第9話 優先順位


 第二森林区。北端に位置する場所。


 区と区の間を遮る壁と白門が見えてくる。

 

 その前には、金鎧を纏う鹿の悪霊が待ち構える。


(戦った痕跡がない……。一番の乗りは俺か……)


 前進を続けたベクターは、第二区の門番にたどり着く。


 鹿の悪霊は、闇に溶け込んだこちらに、気付いていない。


 理由は単純明快。気配を断ち、目に微量のセンスを込めた。


 おかげで、こちらが一方的に、敵を視認できる環境にあった。


(鹿の霊……森の化身か……。原生林じゃないのが、惜しいな……)


 原生林は、人の手が加えられていない森林。


 そこに宿る神秘や奇跡は、神にも匹敵する力。


 相手が原生林の王であれば、力は計り知れない。


 しかし、ここは地下十三階。原生ではなく、人工。


 人の手が加えられた森。神秘や奇跡の力は半減する。


 不意打ちをすれば、一方的に勝つ可能性は十分あった。


「……さぞ、名のある生物だったとお見受けする」


 ただ、ベクターは、あえて声をかけた。


 悪霊相手に言葉が通じるとは思っていない。


 それでも、この昂ぶりを抑えずにはいられない。

 

 この運命的な邂逅に、思いを伝えずにはいられない。


 天然物に劣るとはいえ、養殖された奇跡と神秘の集合体。


 人の手に余る実力者なのは間違いない。手こずるに違いない。


 それが、たまらなく美味しく見える。自ずとよだれが分泌される。


「――――」


 気配を察した鹿の悪霊は、こちらを睨んだ。


 膨大な緑色のセンスを体に纏い、敵だと認識した。


 見立て通りの上玉。野生の闘争本能が解き放たれる寸前。


(あぁ……この瞬間がたまらねぇ……)


 苦境、困難、強敵、全てが成長の糧。


 成長機会を奪われるのが耐えられない。


 だから、群れない。頼らない。譲らない。


「殺ろうや……」


 つまるところ、ベクターは戦闘中毒者バトルジャンキーだった。


 ◇◇◇

 

 第二森林区。南端に位置する場所。


 第一商業区の門をくぐった先にある森林。


 焚火が辺りを照らし、三人の男が腰かけている。


 ジェノが症状を話して、パオロとルーカスが聞き入る。


 その傍ら。ジェノの太ももに、頭を預けているサーラがいた。


「……うぅん」


 気分が悪い。頭がガンガンする。まぶたが重い。


 それでも、目が開いた。開かないといけなかった。


「あっ、起きたんですね。サーラさん」


 ジェノは、こちらを見て、明るい笑顔を見せている。


 気付いていないのか、気付いていないフリをしてるのか。 


 どちらでも構わない。今は、それより優先すべきことがある。


「……森の様子、かなりヤバイよ。奥で誰か戦ってる」


 サーラは起き上がり、最優先事項を告げる。


 森がざわざわと騒いでいるような気配があった。


 感覚系がどうこうの問題じゃない。それほどの圧力。


 感じ取れない方がおかしい。山火事と同程度の息苦しさ。


「だろうな。恐らく、王子と第二区画の門番が戦ってる」


 パオロは当然といった様子で、答える。

 

 隣に座るルーカスも、首を縦に振っている。


 少なくとも、ジェノ以外は気付いていたみたい。


「何もしないでいいの……?」


 気付ていたなら、なぜ立ち上がらないのか。


 警戒して、臨戦態勢にならない意味が分からない。


 他人事とはいっても、巻き込まれる可能性は十分あった。


「王子と門番の戦いだ。どちらかが倒れるか、もしくは相打ちになるまで続く。必ずしも、こちらが巻き込まれるわけじゃない。僕たちに被害が及んだ時に、初めて考えればいい問題だ。……それよりも、優先すべきことがある」


 パオロは、理路整然と状況を語る。


 確かに、言ってることは間違ってない。


 巻き込まれるかどうかは、まだ分からない。


 あくまで可能性であり、確定した未来じゃない。

 

「現状、他に問題なんてある?」


 分からないのは、何を気にしているのか。


 継承戦の攻略が、今のところ最優先事項のはず。


 それを上回ってくるような問題があるように聞こえた。 


「……お前、ジェノの話をどこまで聞いていた」


 すると、パオロは眉をひそめ、尋ねてくる。


 それで、ストンと腑に落ちた。察してしまった。

  

(あぁ……面倒だなぁ……。自分のことで手一杯なのに……)


 問題の中心にいるのは、ジェノ。


 気付いていないフリはできそうになかった。

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