第5話 これから

 人を殺してしまえば、こんなものかというなんとも言えない感覚が全身に残留した。

 それが嫌悪感というものなのか見広には判断がつかなかった。


 魔物から食った魔石のエネルギーは全て消費し終わったようですでに身体能力は普通程度までに戻っている。

 それと同時に彼自信も落ち着きを取り返し始めていた。



「あん、た」



 近場にいた水ぼらしい男が畏怖したような目を向けて見広に声をかけてきた。


 それで冷静になった見広は辺りを見渡してみてその男以外の人間が魔物によって殺されていることに気がついた。

 道理で、景色に赤が多いわけだと見広は感じた。

 見広は、その男を見つめる。



「あんたは、何者だ」



 ただ単純に疑問に思ったような声が放たれて見広は苦笑する。

 自分が何者かなんて、今それを聞くのはただの反則だろう、と言ったふうに。



「なんの変哲もない、今人殺しになった人間だよ」



 その響きに、見広はブルリと体を震わせた。

 人殺し、というその単語を自分のことだとそう感じてしまうことに恐怖に近いものを感じたのかもしれない。


 自嘲しながら放たれたその言葉がどれだけその男の心に響いたのか。

 男は歯噛みしながら見広に言った。



「ありがとう、これを殺してくれて」



 見広はその言葉に少なからず目を見開くことを余儀なくされた。

 いくら人を殺した人間とはいえど、自分勝手な判断で無慈悲にも自分が殺したというのに。



(それなのに、この世界では感謝されるのか)



 やはりここは大いに狂っている、と見広は思った。

 もしもここが日本だったのだとしたら今の状態で罪を被ることになるのは殺された《魔獣使い》ではなく、殺した自分の方になるのではないだろうかと見広は思った。



「感謝される筋合いは……ないな。俺は自分勝手に動いただけだ」



 その男からしたら見広は救世主にでも見えたのかもしれない。

 それでも見広はやめてくれ、とため息をついた。


 それに、瞬間的な命の危機となっている場面を助けたとしても長期間的な、それこそその男の金の問題までは解決してやることはできないのだから。



「じゃぁな。今日会ったことはできるだけ早く忘れるんだ」



 男のことを心底どうでも良さそうに、見広は後ろを向いて手を振った。

 男はそれを呆然と見つめるだけだった。


 でも、それでいいと思う。

 人殺しは人殺しらしく静かに退散しようではないか。


 




 宿へ帰り着いた見広はそこからシルルの死体があった場所を見つめて、帰ってきた今それがないことにホッとした。

 そして、ホッとした自分に嫌気がさす。



(忘れよう)



 そう思う。

 この世界に来てから彼女と体験した全ては自分の思い描いた嘘偽りなのだと、そう都合のように思っておきたかった。そうでも思っていないと、見広は何かが自分の中で壊れてしまいそうだった。


 ロビーで待機していた受付嬢もそのことを気にかけてくれていたらしく、何もないかのように血まみれの見広を見過ごしてくれた。

 この時ばかりは、にこやかな営業スマイルではなくスンとした真面目な顔だった。



「くっそ……」



 見広は、軽くふらつきながら部屋に戻って最初に一度だけベッドを拳で叩いた。

 しかしその衝撃は布団に吸収されて、ポスンとその場に不似合いな間抜けな音がする。


 腕について乾ききっていた人ならざる者の血痕が少しだけ剥がれ落ちる。

 ボロボロと、いっそシミでも作ってくれた方が現実を受け入れることができるのに。



「今度こそ、風呂に入るか」



 何か大きなものを消失した気がするのは、親しかった人間が殺されたからかあるいは自分で人を殺したからか。

 どちらにせよ、そのことについて見広は考える気が起こらなかった。


 だからやり直そうとした。

 自分が本当はやりたいと思っていたことを、それ以外のことを放棄して。

 


「風呂って、空いてます?」

「____えぇ、空いていますよ」



 案内されて見広は上部だけのお礼を言った後、服を脱ぐ。

 血糊の割に傷のない状態の体を、一通り水で洗い流すと知らぬ間に涙が溢れ出てきた。


 本当に知らぬ間に流れてきていたので、それが風呂の水だったのか涙だったのか判断できなかったくらいだ。



 しばらく、浴場でお湯に浸かっているとコンコンコンと扉が叩かれた音がした。



「はい」



 なんだろう、と思いながらも端的に返事を返した。

 返ってきたのは、案内してくれた受付嬢の声だった。


 見広以外、風呂に入っている人間がいないとそう判断して入ってきたのだろうか。



「ごゆっくりしているところすみません。見広様にご来客です」

「____あぁ、わかった」



 誰が、とは言われなかったがなんとなく予想はついた。

 今、見広のことをわざわざ訪ねてくるような人間は一人しかいないだろう。


 名残惜しく思いながらも、見広は風呂を後にすることにした。



「で、ここにきたってことは色々と終わったのか?」



 替えの服はどうやら宿の人間が用意してくれていたらしく、それを着て来客を迎え入れた見広はそう聞いた。



「えぇ。そうね、本当に何もかも終わったわ」



 その来客というのはいうまでもないリシアで、今は仕事終わりということでおしゃれな私服姿であった。先ほど見た時と衣装が変わっているので、あの服は血液で汚れて使い物にならなくなったのだろう。


 しかし、そんな服とは対照的に彼女の顔に疲労の色が浮かんでいるのは今日の忙しさを物語るいい証拠だろう。血痕こそ張り付いてはいないが、彼女も汚物と化したシルルに触れたはずだった。


 気がつけば日は傾き始めていて、もうそんな時間かと見広は思う。



「……見広は、あの後大人しく宿に戻ってなんていなかったわね」


「あぁ、そうだな。嘘を言ってすまなかった」



 流石に騙すのは悪かったな、とそう思って見広は素直に頭を下げた。

 それに対して、リシアが何をしていたのと聞いてきた。



「……」



 それに応えることを見広は少しだけ逡巡した。

 この少女に向かってそれの答え合わせをしてしまってもいいのか、と。


 言ってしまったら何か決定的なところで、天智見広は終わってしまうのではないかと。

 それでも言葉にしなければいけないと、そう思った。



「シルルを殺した人間を、俺が殺した」

「っ……?!。どうしてそんなに危ないことを!」



 激昂、とまではいかずともリシアが声を張り上げた。

 宿の壁が多少なりとも防音仕様になっていなければ、外にまで声が聞こえるだろうと思うくらいには大きかった。



「しょうがないだろ? そうする以外に俺の中の感情を押さえつける術を思いつかなかったんだ」

「……」



 沈黙が少しの間流れた。

 リシアの方も少し思い至るところがあったのか強く否定できなようだった。

 

 その代わり、と言ったように別の話題に変えてきた。



「シルルを殺したのって、人間だったの?」



 もっともな疑問だと見広は思う。

 そういえばあの死体を見てゴブリンの仕業だろうと言ったのは他でもない彼女だったか。

 


「あぁ、間違いないね。《魔物使い》の男だった」

「……間違いない?」


「ないな。本人から、言質はとっている」



 正確には、言質らしきものだが。

 それでも間違いはないだろうと、どこかで見広は感じていた。


 リシアの目をしっかりと見つめて肯定した見広は、その瞳をフッとしたに下ろした。



「……こっから、どうしようかな」



 自己放棄気味にそう放たれた言葉に、リシアが首を傾げていう。



「学園に来るんじゃないの?」

「こんな感情のままに人間を殺した人間がそんな場所に通えるわけねぇだろ」



「それじゃぁ、どうするの?」

「この街から出て行って、どっか他の街で生活するか。あるいは、どっかで野垂れ死ぬかだな」



 苦笑して、そういった見広にリシアはいう。



「そんなのダメだよ。せっかくシルルが生活基盤を作ってくれようとしていたのに」


「……でも、そのシルルはもういないし。俺がどうなろうと心配してくれる人間なんていない」



「いるじゃない、ここに!」



 リシアがそう言って、見広は目を見開いた。

 目の前の状況がよく理解できていない、というよりかは本当に驚いているような顔だった。



「……心配してくれるのか?」


「当たり前でしょう? あなたが傷付けば私は心配になる。……あ、変な意味じゃなくてね」



 わかってるよ、と見広は少し照れるような顔を見せたリシアに返した。

 ありがとうと素直に返すのがなんだか照れ臭くて、ぶっきらぼうに。

 この少女はまだ出会って数日も経っていない自分を心配してくれる。


 それだけで、少しだけ見広は嬉しい気持ちになった。



「だから、学園に来て。お願い」



 見広は、優しげな顔を浮かべた。



「わかったよ。行くよ、学園」



 例えそこで何が起きようとも、何が変わろうとも。

 この少女の笑顔を失わせないように。

 シルルと同じような運命を辿る人間が少しでも少なくなるように。



「ありがとう」



 奇しくも同じタイミングに少年は心の中で少女は自身の言葉で、同じ言葉を発したのだった。

 そんなことを少女は梅雨知らず、少年は気が付かれないように笑いながら格好をつけて拳を打ちつけた。



《あとがき》

 週末に熱が下がったので、一週間ぶりの学校です!

 絶対授業わからなくなってる……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る