第20話

 シャーナは、にわかに敵施設が騒がしくなったのを見て、敵が侵入に気付いたことを理解した。


 減音器をつけていない銃器が火を吹く音が、森にこだましている。


 シャーナは引き金を引き、サーチライトを破壊した。


 明るかった施設の庭すら、完全な暗闇に閉ざされる。


 警備員たちが混乱しているのが、暗視装置越しに見えた。


 これで暗視装置を持たない警備員は、暗闇の中で戦わざるを得ない。


 一通りの任務をこなしたシャーナは、どの敵を射殺するのが最適か考えるため、少し戦局を俯瞰した。


 やはり陸軍の戦闘服を着た敵が少し気になる。


 数こそ多くないものの、動きが精密で暗闇の中でもちゃんと連携がとれている。


 暗視装置を所持しているのか。


 事前に聞いた情報にはなかったが、この施設にはなんらかの精鋭部隊が駐屯していたのかもしれないな。


 それならば、少し数を減らしておくか。


 シャーナは狙撃銃の照準を彼らの一人に合わせた。


 次の瞬間、無音で飛翔してきた弾丸がシャーナの頬を掠めた。


 金髪が少し切り裂かれ、赤い瞳が見開かれる。


 位置が露呈したことを理解したシャーナは、すぐさま木の陰に隠れた。


 続いて飛んできた弾丸は、つい0,1秒前までシャーナがいた地面を穿つ。


 シャーナは恐怖で縮み上がった。


「チッ、外れか」


 シャーナの隠れる場所から100mほど離れた木の上で、一人の狙撃手が狙撃銃を構えていた。


 幹に体をもたれかからせ、枝に銃身を預けて安定させている。


 銃のデザインはシャーナの物とよく似ていて、銃身のほとんどを覆う減音器が特徴的な小型の狙撃銃だ。


 だがシャーナの物と異なり、その狙撃銃はセミオート式になっている。


 一発撃つごとにボルトアクションを挟まなくていいので、連続して射撃することが可能だ。非常に高価という弱点があるが、使い手が気にする話ではない。


「餌をぶら下げておけば、獲物が食らい付く」


 額にえぐれたような傷のある男が、唇の端をいびつに吊り上げた。


 アトラ連邦の諜報機関である対外情報庁や情報本部は、公開情報の分析が主で、海外に工作員を送ることは稀だし、非合法戦などまず手を染めない。


 つまり連中は特務機関以外あり得ない。


 男の所属する組織にとって、その構成員が保有する情報は垂涎ものだ。


「ククク」


 男は薄笑いを浮かべながら数発ほど射撃して、狙撃銃を構えようとしているシャーナを牽制した。


 発砲音も発火炎も減音器で限りなくゼロに近づけられて、シャーナの目と耳には届かない。


 対する男は、熱画像カメラを使ってシャーナの位置を割り出している。


 男は、すでに自身の勝利を確信していた。


「こちらシャーナ。敵狙撃手から狙撃を受けた。身動きが取れない。オーバー」


 シャーナは無線で報告を行った。自分を助ける余裕がある人がいないことは分かり切っているので、応援は呼ばない。


 自力で何とかするしかない。


 シャーナは、必死に思考を巡らせる。


 敵は何者だ?情報調査室についてはそこまで詳しくないが、自動小銃や狙撃銃で武装した部隊を抱えているなんて聞いていない。


 流石にそんな情報があれば、シャーナにも教えられているだろう。


 ならザルカ帝国特殊作戦軍か。


 だが、連中は情報調査室の任務にはあまり関わりたがらないし、情報調査室も自身の作戦に彼らを関わらせたがらないと聞いている。


 まさか、ザルカ帝国にも特務機関のような組織があるのか。


 シャーナがその仮説にたどり着くのに、そこまで時間はかからなかった。


 特務機関本部はこの存在を認知しているのだろうか?規模と予算はどのくらいだ?特務機関という組織を知っているのか?


 シャーナの頭に、次々と問いが湧き上がってくる。


 土を抉った弾丸が、膨らみかけた想像を消し飛ばした。


 足りない頭で空想など膨らませている場合ではないな。シャーナは身をすくめつつ意識を張り詰める。


 どれだけ重要な情報を掴んでも、それを持った人物が生還しなければ意味が無い。

 生き残らなければ、正解を知ることすらできない。


 だが、生還するためには敵狙撃手を無力化する必要があり、その為には敵狙撃手の位置を探る必要がある。


 だが、シャーナに敵狙撃手を探す手段は無い。


 重要な情報の鱗片を掴んだ高揚などすぐに消え去って、シャーナの頭には死という単純明快な単語だけが残った。


 静かに飛んできた弾丸が、木を抉る。


 シャーナは沸々と湧き上がってきた恐怖を噛み殺して、何とか生き残る道を探ろうと耳を澄ませた。


 弾丸が飛んできた方角は何となく分かる。


 だが、発砲音は聞こえないし発火炎もない。音で探ることは不可能だ。


 シャーナのすぐそばに弾丸が着弾する。地面が穿たれて土が跳ねた。


 そうだ!


 シャーナはポケットから計測用の分度器を取り出し、弾痕の角度を測った。


 防水ノートと計算機、それにボールペンを取り出して、弾痕の角度を元に計算を始める。


 消音狙撃銃の射程は150m、長くても300m。


 限りなく無音に近い発砲音の代償として弾速や威力などに大きく制限がかかる以上、消音狙撃銃が一般的な軍用狙撃銃のような長距離狙撃をすることは不可能だ。


 その程度の距離であれば、大まかな位置の特定は難しくない。


 数分間かけてノート数枚分を使い、計算は完了した。


 シャーナは使い終えたノートをポケットに戻して、狙撃銃を握りしめる。


 体を出した瞬間に、弾丸が飛んでくるだろう。


 自分が撃たれるより先に、敵を撃たねばならない。


 シャーナは狙撃銃の角度を合わせて構え、木の幹から半身を晒した。


 目星をつけた位置に照準を向ける。草木の中で、かすかに銃身のような棒が動いた。


 シャーナは素早く照準を調節して、引き金を引いた。


 シャーナの狙撃は時間にして1秒にも満たない速度だったが、木の上で狙撃銃を構える男が引き金を引くには、十分すぎる時間だった。


 弾丸は空中で交錯し、シャーナは右腕を穿たれて倒れる。


 一瞬の間をおいて、シャーナの放った弾丸は男の狙撃銃を抉って跳弾した。


 弾丸は大きく威力を落としながらも男の腹を殴る。


「うっ」


 激痛でバランスを崩した男は木から落ち、地面に叩き付けられた。


 背中を地面に殴られた衝撃で肺から空気が押し出され、男は声にならない悲鳴を上げる。


「がっ!」


 その腕から壊れた狙撃銃が離れ、地面を転がった。


 痛みに呻きながら、男は無線機のマイクを口元に引き寄せる。


「こちら狙撃手。やられた。お前らはどうだ?」


 男は苦痛で呻きながら、そう聞いた。


「は。情報調査室の警備員は壊滅状態で、我々の方も黒人の散弾銃使いに苦戦しています。すでに5名戦死しました」


 無線から伝えられた状況に、男は嫌な顔をした。


 特務機関に所属する黒人の散弾銃使いに、心当たりがあったからだ。


 彼はその人物と交戦して、惨敗した経験があった。


 まさか、こんな場所で鉢合わせる羽目になるとは思わなかった。


「なるほど。そろそろ潮時だな。お前らも適当に交戦して離脱しろ。俺も引く」


「了解。人質は殺しますか?」


 男は、軽く唇を吊り上げる。


「いや。殺す必要はない。どうせ顔は割れているんだ。今後入国管理局に引っかかったら、その時に情報を奪って殺せばいい」


「了解しました。御武運を」


「もう負けてるがな」


 無線連絡を終えた男は、痛みをこらえつつも立ち上がり離脱を開始した。


 一方のシャーナは、血の止まらない右腕に止血帯を巻いていた。


 透き通るような赤い瞳が、苦痛に歪んでいる。


 止血帯は血管を圧迫して出血を止める応急処置器具で、即座に出血を止めるのには有効なものの、使用には被弾以上の痛みを伴うからだ。


 その痛みに耐えかねて止血帯を外し、大量出血で戦死した兵士は数知れない。


「こちらシャーナ、敵狙撃手を撃破。腕に被弾した。戦闘不能。オーバー」


 シャーナは念のため無線連絡を行って、空を見上げる。


 暗視装置が作り出す緑の夜空に、満天の星空が煌めいていた。

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