第15話
数週間後、シャーナとガーランはザルカ帝国首都のレストランにいた。
白を基調とした近未来的なデザインの小洒落たレストランは、戦時中とは思えないほど賑わっている。
高層建築物の頂上付近に位置しており、眺めもいい。
シャーナは、透き通ったガラス越しに外を見つめた。
立ち並ぶ高層ビルはどれも美しく、ガラスの壁面が青く透き通る空を写している。
だが、それだけでアトラ連邦首都を圧倒するほどの美しく巨大な地上施設は、この街のほんの一面に過ぎない。
この都市が最大の誇りとしているのは、張り巡らされた地下交通網とそれに付随する地下インフラ施設だ。
ザルカ帝国では都市機能のほとんどを地下に移行しており、空白になった地上幹線道路を緑化することで、環境保全と経済発展を両立している。
今はまだ首都を始めとする大規模都市に留まっているが、今後は莫大な予算を割いて、中規模都市も含めた全ての人口密集地区に同様のシステムを採用する予定とのことだ。
「いい場所だね」
ガーランは苦虫を嚙み潰すような気分を顔に出さないようにしつつ、そう言った。
「ああ、そうだな」
これだけ豊かなくせになお富を求めるこの国に心底吐き気を覚える。シャーナは不快感を隠そうともしていなかった。
シャーナとガーランは、レストランの隅にある丸机を囲んでいる。
二人ともスーツ姿で、傍からは昼食中の会社員にしか見えない。不満げな表情も、仕事について愚痴っているぐらいにしか思われないだろう。
実際、彼らはAPMC社の社員という肩書きを持ってここにいるので、会社員という表現もあながち間違ってはいない。
「こんなにのんびりしていていいのか?一応、急ぎの任務なんだろう?」
シャーナ達は現在、中立国の偽造パスポートでザルカ帝国に入っている。
与えられた任務は、ザルカ帝国の防諜機関である『情報調査室』に追われている特務機関の工作員と接触して情報を受け取り、その人物と共に国外へ脱出すること。
現在は、特務機関から支給されたクレジットカードで、調査ついでにちょっと高いレストランに来ているところだ。
機密漏洩の防止を徹底するため、支給されている資金の監査は無いも同然なので、多少高い外食をしてもお咎めはない。
任務さえ成功させれば。
「まあ、問題ないんじゃない。美味いし」
「そうだな」
シャーナは皿の肉を一切れ切って、フォークに突き刺し口に運ぶ。口の中でソースのかかった甘い肉がとろけた。
任務って意外といいな。
シャーナの脳裏に不謹慎な考えがよぎったが、すぐに気を引き締める。
ここは敵国だ。もし身元が露呈したら、死かあるいはそれよりも酷い目に遭う。たとえ休息中でも、それに変わりはない。
「これから工作員の方が来るけど、できるだけ自然体で。最悪の場合、交戦になることも覚悟しといて」
唐突に放たれたガーランの言葉に、シャーナは思わず水を吹きかけた。
「ゲホッ。どういうことだ。聞いていないぞ」
「まあ、言ってないしね」
ガーランは、悪びれもせずに言う。
「それはいいのか?」
情報は軍隊の血だ。過剰だと流出の危険があるが、必要な分が行き届かないと末端の兵士は満足に機能できない。
「まだ非正規戦に慣れていない新兵には、最低限の情報のみを与えることになってるんだ」
「そうなのか‥‥」
シャーナは、自分が信用されていないようで、少し憂鬱な気分になった。
特務機関にとって機密情報の流出は文字通り致命傷になりかねないし、シャーナにはまだ機密情報を扱えるほどの情報管理能力がない。
それはシャーナ自身もよく分かっているのだが、彼女が機械ではない以上、そう割り切れるものでもないし、仲間から信頼されている方が信頼されていないよりも気分的にいい。
「いや。別に俺がシャーナさんを信用していない訳じゃないよ。ただ、情報が漏洩するリスクは減らさなきゃね」
ガーランはステーキを飲み込んで取り繕った。実際の所は、特務機関は新人をほとんど信用していない。
いや、誰も信用していないと言った方が正しいか。
全ての情報にアクセスできるのは、特務機関の中でもわずか数名だけだし、ほとんどの職員は一切のアクセス権を持っていない。
誰も信用しないことで、特務機関はその機密性を維持している。
だが、そんな事をわざわざ口にしてシャーナの士気を下げるほど、ガーランは無神経ではない。
「そろそろ約束の時間だね。もし来なかったら、すぐに店を出るよ」
ガーランは腕時計を確認して、シャーナにそう伝えた。
「少し待ってもいいんじゃないか?」
「もし工作員が情報調査室に捕縛されていて、連中に情報を吐いていた場合、俺たちもここで死ぬ羽目になるから、待ってやるわけにもいかないんだ」
ガーランは、特に口調を変えることもなく言い切る。
「なるほどな」
もう情報が流出している可能性も考えているのか。
シャーナは情報戦に求められる病的なまでの慎重さを感じた。
2人とも小型の拳銃を持っているが、装弾数は2発だけで予備弾薬もないため銃撃戦にはほとんど役に立たない。
せいぜい、袋小路に追い込まれた時に自分の頭を自分で撃ち抜ける程度だ。
戦闘になるような事態は、絶対にあってはならない。
「来たね」
ガーランは入口に目を向けて、そう言った。
幸い工作員は時間に間に合ったようだ。
シャーナもレストランの入口に目線を向ける。
燃えるような赤い髪の毛が特徴的なスーツ姿の女性が、ちょうど店内に入ったところだった。
背筋が良く全体的に社交的な雰囲気があり、一見すれば明るい女性会社員といった感じだ。だが、目立たない程度に目線を動かして周囲を警戒しており、隙は全く見せていない。
「特徴は一致だね」
ガーランは、机の下でスマートフォンを操作して、ライツにメールを送信した。
女性は冷静な翠眼で辺りを見回してシャーナらの机へ目を止めると、そのまま自然な動きで近づいてくる。
「失礼。君らがAPMC社軍事部門の方ですね?」
透き通るような綺麗な声だった。
「はい。IT部門の方であっていますね?」
ガーランが、自然に聞き返す。
「ええ。本日はよろしくお願いします」
シャーナ達の机は3人用で、椅子が一つ空いている。女性はその椅子に座って、自身の名刺を机に滑らせた。
ガーランはそれを持ち上げて明かりにかざすと、ポケットに入れながら頷く。
シャーナは自分が何をするべきなのか分からないので、まだ何もせず黙々と食事を続けている。
だが酷く緊張しているせいか、その動きはかなり不自然だった。
「接触成功ですね。何か食べます?」
ガーランが、少し安心したようにそう聞く。
「奢ってもらえるかい?僕、今手持ちが無いんだ」
女性は申し訳なさそうに頼む。情報調査室の目を誤魔化しつつ逃げるのに、持っていた金銭は自力で調達した物も含め全て使い果たしていた。
「こっちの資金は潤沢だから気にせずどうぞ」
自分の金ではないので、ガーランは快く了承する。
「ありがとう。助かるよ」
赤髪の女性は店員を呼んで、ステーキを注文した。
シャーナたちが食べているのと同じものだ。この店の看板メニューらしく、客のほとんどがこれを注文している。
シャーナはもう一切れ肉を頬張る。
確かに美味しい。これだけ人が来ているのも納得だ。
「この方はカヤさんといって、APMC社のITエンジニアなんだ」
ガーランが、工作員の名前と肩書を紹介した。
「よろしくお願いします、シャーナと申します。APMC社の軍事部門勤務です」
シャーナは、緊張で強張った声で挨拶をする。
「よろしく」
対するカヤの挨拶は自然だった。
「早速だけど、例の情報をもらえるかな?」
ガーランはすぐ本題に入る。
「分かってるよ」
カヤは店員が持ってきたばかりの水を飲み干すと、黒いUSBメモリをポケットから取り出して、机の上を滑らせた。
ガーランはそれを受け取り、ポケットに押し込む。
これで、任務の一つである情報の受け取りは完了だ。
「それで、僕はどうすればいい?」
カヤはそう聞いた。
「明後日の午前2時8分に合流地点に来てください。工作船が待機しています。そこで船員にこちらを提示して下さい」
ガーランは慣れた口調で説明すると、偽造パスポートを取り出してカヤに渡した。
黒い冊子に金字で、大陸東南の小国の名前が記されている。場所がわかる人は滅多にいないだろう。
カヤはパスポートをパラパラとめくり、中身を確認した。
「了解。ありがと」
カヤは礼を言う。ここまでしてもらえる工作員はあまり多くない。ほとんどの場合、潜入先の防諜機関に目をつけられた工作員は見捨てられる。
それどころか口封じに殺されることすら珍しくない。
助けてもらえるということは、カヤが特務機関にとって救出する価値があるほど重要な存在であるということだ。
「その際、情報も持って行って。万が一俺たちが任務を達成できなかった時に備えての予備が必要だからさ。コピーは取ってあるね?」
「問題ない。準備してあるよ」
カヤはポケットからUSBメモリを取り出して、そう言った。
「それにしても、なぜ目を付けられるようなミスを?」
「運用していた潜伏工作員の一人が情報調査室に捕縛されたらしくてね。僕の情報も吐いてしまったようだ」
カヤは肩をすくめた。
現地人を懐柔して特務機関の駒として運用するのが、カヤの主な任務だ。
人と関わる仕事なので、それだけ身元が露呈する危険も高い。
「気を付けなよ」
ガーランが軽く注意する。
「ああ。次の機会がもしあれば、潜伏工作員にはもっと徹底して機密保持を伝えるよ。ところで、君は新人かい?」
カヤは、唐突にシャーナへと話を振った。
「あ、はい。つい数ヶ月ほど前に入隊しました」
シャーナは、緊張してしどろもどろになりながら答える。
「そうかい。大変でしょ」
カヤは、軽くシャーナを気遣った。
「まあ」
1日の睡眠時間が1時間を割るような過酷な訓練を思い出して、シャーナは相槌を打った。
「まあ、頑張りなよ」
ガーランは皿に残った肉の最後の一切れを口に入れて、水で流し込む。
「さて、シャーナさん。そろそろ行くよ」
「もう行くのか」
シャーナの皿には、まだ少し肉が残っていた。
ここが敵国である以上、この店に来ることはもう二度とないだろう。せっかくだから食べておきたい。
「ここは人が多いからさ、あんまり長居したく‥‥」
ガーランが言い切るより早く、レストランの入口が俄かに騒がしくなる。
数秒後、制服姿の男が5人ほどレストランに入ってきた。
腰には自動拳銃を吊っている。
シャーナの胸に湧き上がってきた嫌な予感は、的中していた。
「あの制服は情報調査室だね。早くしたほうが良さそうだ」
ガーランはシャーナの耳元に唇を寄せて、威圧的に周囲を見回す情報調査室の男たちに気付かれないよう囁く。
「分かった」
シャーナは皿に残った最後の一切れを飲み込んで、席を立った。
カヤは動かない。
「カヤさん」
心配するようなシャーナの言葉に、カヤはふっと笑った。腹を括った笑顔だった。
「早く行ったら。僕は問題ないから」
「シャーナさん。行くよ」
ガーランに急かされて、シャーナは後ろ髪を引かれる思いを感じながらも歩き出す。
2人は可能な限り自然な動きでレストランの入り口に向かい、そこで止められた。
「止まれ。このレストランはすでに封鎖している。我々は情報調査室だ。ここに諜報員が潜入しているという密告があった。これから調査を行う」
制服姿の男が、高圧的な口調で一方的に宣言した。
食事を取っている人たちが一斉に動きをとめ、ほんの少し前まで賑わっていたレストランに不気味な静寂が広がる。
文句の声を上げる人はおろか、不満げな態度を示す人すらいない。
情報調査室に文句を言えば酷い扱いをされる。なら黙っていた方が賢いと、市民も理解しているからだ。
彼らはまず、シャーナとガーランの顔を確認した。
シャーナは自分の内心が顔に出ていないか心配になったが、幸いなことに情報調査室の職員は表情を読む能力に長けておらず、検査はすぐに終わった。
「違うな、もう出て良いぞ。次!」
彼らは手順よく客の顔を確認して、手元のタブレットと見比べていく。
シャーナがタブレットを盗み見ると、そこにはカヤの顔が表示されていた。
カヤは迫る彼らを横目で見て、心地よさそうに、また名残惜しそうに、水を一杯飲み干す。
「早く」
ガーランに促され、2人は店を出た。
「カヤさんが」
シャーナは歩みを止めないガーランに、そう訴えた。
「仕方ないよ。彼女も自分の頭を撃つ覚悟はしている。これが特務機関のやり方なんだ。もしあそこにいるのが俺だったとしても、カヤさんは同じ決断を下すよ」
ガーランは、有無を言わさない口調で言った。
「だが」
「カヤはシャーナさんにとって今日あったばかりの他人だ。自らとアトラ連邦そのものを危険に晒してまで、守るべきものかな?」
食い下がろうとしたシャーナに、ガーランはかなりきつい言葉をぶつけた。
彼にだって仲間であるカヤを助けたい気持ちはあるが、それが不可能であるということもよく分かっている。
「だが私は、あの雪山でお前を助けた。その時は、お前のことなんて全く知らなかった」
「子供みたいなこと言われても困るよ。これは仕事なんだから。俺たちはアトラ連邦のために命を懸けることで安くない給料をもらっているんだ。分かってるよね?」
「‥‥命を救うのが衛生兵じゃないのか」
小さく放たれた言葉に、ガーランは少し黙って口を開いた。
「そんなのはもう捨てたよ。戦争というのは、そんな甘い考えが通用する場所じゃない。シャーナさんもすぐに分かる」
そうしているうちに、レストランの方が騒がしくなってきた。
「こいつだ!」
「カヤだな。反スパイ法違反の疑いで逮捕する」
「‥‥残念だね。注文したステーキを食べてからでもいいかい?」
カヤは、まだ冗談を飛ばす余裕すらあるようだ。慣れているからか、あるいは、もう死が確定して何をしてもいいような気になっているのか。
「ふざけているのか!」
「薄汚い工作員に食わせる飯はない!」
「手を頭に置いて立て!」
案の定、情報調査室の職員たちは激昂して怒鳴り始めた。普段から横暴に振る舞うことを許されている彼らは、煽り耐性が低い。
だが、いくら冷静さを失ったのが情報調査室側だとしても、カヤに希望は残されていない。流石に武装した5と丸腰の1が戦っても、勝ち目はない。
残された道は、徹底的に拷問を受けて死ぬだけだ。
抵抗できるとしたら、敵もろとも自殺するのみ。
潜伏工作員であり、警察等に目をつけられるリスクを避けるため一切の武装を持ち歩いていないカヤには、それすらできない。
「ガーラン!」
シャーナは訴えた。
任務の成功という最優先事項があることはシャーナも重々承知している。
それでもなお見捨てられないのは、いくら復讐に飲まれながらも最後まで仲間を切り捨てるほど非情になりきれないシャーナの幼さがあるからだ。
「俺たちが行った所で、カヤは死ぬよ。死体が1つか3つかの差しかない」
ガーランは、優しく諭すようにそう言う。
どれだけ強くても、どれだけ激しく憎悪に燃えていても、シャーナはまだ18歳だ。
これ以上シャーナを戦争という名の狂気に沈めたくない。
だから怒鳴ったりはしない。ただ優しく伝える。
シャーナ自身が思っているより、ずっと繊細で脆い彼女の心を傷つけないように、優しく。
それにシャーナだって、状況が理解できないほど愚かではない。
シャーナは少し思案して、あきらめたように項垂れた。
「‥‥すまない」
呟くように謝る。
「行こうか」
ガーランの言葉に、シャーナは俯いたまま頷いた。もう、逆らおうとはしない。
シャーナは自分の無力さに対する怒りを飲み込んで、唇をかみしめた。
2人はエレベーターに乗り込み、ガーランが地下3階のボタンを押す。
エレベーターのドアが閉まって、落下するように動き始める。
地下に張り巡らされた交通網は、諜報員にとっても強い味方だ。
シャーナたちは、そのまま現場を立ち去った。
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