第三楽章 敵国へ

第13話

 数日後、特務機関に呼び出されたシャーナは山奥にある軍事基地で訓練に勤しんでいた。


 蔓草に絡みつかれたその施設は、一見すると廃墟にしか見えない。


 実際、施設のある山はフェンスで囲まれていて、『崩壊の危険があるため立ち入り禁止』と書かれた張り紙が至る所に設置されている。


 ここが特殊部隊が駐屯するために必要な機材を備え、最先端技術が注ぎ込まれた軍事基地だとは、誰も思わないだろう。


 規模が大きい割に駐屯している兵力はそこまで多くなく、APMC社軍事部門に所属している管理人10名と、シャーナが配属された部隊5人の計15人だけだ。


 そのせいで、施設は全体的にがらんとしている。


 施設に併設されている広々とした格闘場で、シャーナはゴム製のトレーニングナイフを振り下ろしていた。


 トレーニングナイフは相手の肩へと吸い込まれていき、そこに当たると思った次の瞬間、シャーナは地面へと叩きつけられる。


「やっぱり陸軍兵士は格闘技能力が低いね」


 冷淡な空気を纏う青髪の女性戦闘員が、空色の瞳でシャーナを見下ろしていた。


 彼女の名前はサリアという。元は警察特殊部隊に所属していた警察官で、シャーナが配属された特務機関のチーム内ではトップの格闘能力を誇る秀才だ。


「じゃあ俺とやるか?俺も陸軍兵士と同じく専門は野戦だぞ」


 ザルノフに次いで。


 ザルノフはサリアの襟首を掴むと、その筋肉に任せて投げた。


 小柄なサリアはあっけなく空を舞い地面に転がると、すぐに立ち上がる。


 衝突する瞬間に上手く受け身を取ったようだ。


「相変わらず乱暴だね」


 サリアは、呆れた瞳をザルノフに向けた。


「敵兵が、『失礼します。僭越ながら投げさせていただいてもよろしいでしょうか?』なんて挨拶してくれるといいな」


 ザルノフは肩をすくめた。戦闘員の訓練は、基本的に挨拶など行わず直接始まる。

 

 マナーより実戦を想定しているためだ。


「私の敵は、ほとんど狂った人間だったからね。彼らは訓練を受けた戦闘員みたいにはやらないよ」


「奇声、あるいは雑な乱射が挨拶か。ぞっとしないな」


 ザルノフは自身のトレーニングナイフを指先で弾いて、そう言った。


「そういうこと」


 サリアは頷く。


「一応、手加減はしてくださいよ。シャーナさんは対人格闘に慣れていないのですから」


 濃紺の戦闘服を着たライツが、助け舟を出した。


 スマートな雰囲気のある彼にその恰好はあまり似合っていなかったが、それは本人が一番承知しているので誰も指摘しない。


「大丈夫かい?もう少し受け身の練習をした方がいいかもね。脳震盪を起こすと大変だ」


 そう気遣いつつシャーナに手を差し伸べた戦闘員は、墜落したヘリコプターの生き残りだ。


 名前はガーランという。


 仲間が全滅し自身も重傷を負ったせいでその腕が発揮されることはなかったが、彼は軍医に準ずる医療能力を持つ衛生兵で、元は陸軍特殊部隊に所属していた。


「私は、弱いらしいな」


 シャーナは、そう呟いた。


 一般部隊にいたころは格闘技も含め他兵士の追随を許さない成績を誇っていたが、特務機関への移籍を果たしてからは狙撃を除いて全く勝てない。


 シャーナは、自らの胸に抱き続けているザルカ帝国の滅ぶ日が、自分が想像しているよりずっと遠くにあることを思い知った。


「そう気落ちすることはないよ。俺だって、初めてここに来た時はザルノフに吹っ飛ばされたものさ」


「まあ、お前は吹っ飛ばしても問題ないからな」


 ザルノフは、相手の戦闘能力を見極めることを得意としている。


 そのため、格闘技について本格的な訓練を受け始めてからまだ数日ほどしか経っていないシャーナとは組んでいない。


 ザルノフが警告無しで投げるのは、どんな姿勢からでも確実に受け身が取れる人だけだ。


 そもそも一般的な陸軍では、格闘技をそこまで重視しない。ミサイルの飛び交う現代の戦場で殴り合いになることは、ほとんどないからだ。


 だが、ありとあらゆる任務に対応する必要がある特殊部隊員は、射撃から対人格闘まで全てこなせる必要がある。


「手首の捻り方が良くないね。あと、咄嗟に受け身を取って即座に立ち上がるぐらいはできないと」


 サリアは、シャーナに動きを伝えた。


「最低限の格闘技は使える感じか。ただ、一種類の技だけ覚えても意味ないから。ナイフを持った相手に投げ技使えば刺されるし」


「はい」


 サリアはシャーナにプラスチックの模擬拳銃を投げ渡す。


「それ構えて」


 シャーナは模擬拳銃のグリップを両手で握ると、真っ直ぐに構えた。


「まずは武装解除ってのは基本だけど、例えば相手が自動拳銃を構えていて、こっちが非武装だった場合は、とりあえず手を挙げて相手と距離を詰めて」


 模擬拳銃を構えたシャーナに、サリアが両手を耳辺りに挙げて近づいていく。


「相手の拳銃を掴む」


 サリアはシャーナの構える拳銃を掴んで、引っ張った。


 シャーナの手から、拳銃があっけなくもぎ取られる。


 直後に、シャーナの頭に赤い模擬拳銃の銃口が突きつけられた。かかった時間は、せいぜい0,2秒程度。


「まあ、こんな感じ。ここで撃つか撃たないかは状況を総合的に判断すること」


「はい」


 サリアは、銃口を下ろした。


「今度は私とやりませんか?貴方との訓練は練習になる」


 ライツが、いつも通り感情を読ませない薄笑いを浮かべながらトレーニングナイフを持ってサリアに近づく。


「いいよ。でも、君はザルノフと組んだ方がいいんじゃない?」


 サリアは面倒臭そうな口調でそう言う。


「あれは参考になりませんよ。並外れた筋力で技を封殺するような戦い方は、私にできませんから」


 次の瞬間、ライツが動いた。ゴム製の柔らかいトレーニングナイフがまっすぐにサリアの肩へ突き出される。


「早いな」


 ガーランは、そう感嘆した。


 即座にナイフを確認したサリアは体を捻ってそれを避けると、ライツの手首を掴み捻り上げた。


 ライツの手からトレーニングナイフが弾き飛ばされ、音もたてずに転がる。


 ライツは自身の手首を固定するサリアの腕を掴むと、大きく体を捻ってサリアの体を地面へと叩きつけた。


 サリアは受け身を取ってその衝撃を殺すと、地面を蹴って距離を取る。


「強くなったね」


「弱くなりましたか?」


 ライツは地面に転がったナイフを拾いつつ、挑発した。


「‥‥腕、腹、足。どこを痛めつけて欲しい?」


 サリアは静かに、調子に乗るなよと脅す。


「私も一方的に嬲られるほど弱くないですよ。いくらでもかかってきてください」


「ライツさんもサリアさんも、怪我したら誰が処置するのか忘れないでよ」


 部隊の衛生兵であるガーランがそう突っ込んだが、無視された。


「まあいいだろ。シャーナの勉強にもちょうどいい」


 ザルノフは、腕を組んだ。


 国防軍格闘術、逮捕術、零距離戦闘術など、彼らの使用する技はかなり豊富だ。


 体に染み込ませた型を、0コンマ以下の判断で選び出して繰り出す。


 サリアが腹部を狙えば、ライツは姿勢を低くしてサリアの足へと切りかかる。


 逆にライツがナイフを突き出せば、サリアはその腕をねじりその手からナイフを弾き飛ばす。


 2人の動きは完璧なリズムを取っていて、どこか剣舞を彷彿とさせた。


「サリアが主に使っているのは逮捕術。相手を武装解除して確保する技だ。主に警察が使っている。逆にライツが主に使うのは零距離戦闘術で、連邦警護庁だけでなく国防軍なんかも使っているな」


「逮捕術は相手を殺すことが許されない状況下で、零距離戦闘術はより効率的に敵を撃破する時に有効です」


 ザルノフの解説に、ガーランが補足した。


 2人はしばらくの間互角に組み合っていたが、実力は僅差でサリアが上回る。


 勝敗は、概ね予想通りだった。


 サリアはライツを足払いで転ばせ、地面に組み伏せた。


 素手での戦闘で言えば、犯人逮捕を最優先事項とする警察が最も強い。


 ライツは模擬ナイフを使っていたが、刃物を持った相手などまさに警察の本領だ。


「相変わらず見事ですね」


 ライツが、組み伏せられたまま感嘆した。


「連邦警護庁は、格闘も重視しているはずだけど?」


「すみません。修練不足で格闘技は人並みにしか」


 サリアが拘束を解くと、ライツはすぐに立ち上がる。


「シャーナさん。俺とやりませんか?多分、この中では俺が一番弱いんで」


 ガーランがシャーナに提案した。


「いいのか?」


「はい。正規の国防軍格闘術使える人と戦えるのは、俺の勉強にもなりますし」


 ガーランは二本のトレーニングナイフを手に取って、片方をシャーナに投げ渡した。


「ナイフ格闘は、状況次第でナイフの刃を掴んでしまっても問題ないよ」


 ガーランは教え方が非常に丁寧だ。


 化け物じみた筋力や才能のあるザルノフやサリアとも、並外れた理解力で技を記憶したライツとも違い、努力で骨髄に叩き込んだ技だからだ。


「ほぼ全てのナイフは、横に滑らせない限り物は切れないからね」


 ガーランは、腰に吊った格闘ナイフを自身の手に当てて、押した。


 少し跡が付いたが、皮膚は切れていないし血も流れていない。


「こういうこと。相手の腕を蹴る、捻る等の方法で相手からナイフを奪うこともできるんだけど、相手のナイフを握り、もぎ取る技も使えた方がいいかな」


 ガーランは格闘ナイフをホルダーに仕舞うと、トレーニングナイフを構える。


「じゃあ、かかって来ていいよ」


 シャーナは、トレーニングナイフを構えて地面を蹴った。

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