第10話
車はそのまま官庁街を抜けて、首都を縦横無尽に巡る高速道路へと入った。運転手がアクセルを踏み込み、車はゆっくりと加速する。
首都は平時ほどではないにしても、戦時中とは思えないほどに平和だ。
所々に軍用車が混じってはいるが、民間業者の輸送トラックが生活必需品や食材を運び、人々は家族でドライブを楽しんでいる。
「平和ですよね」
運転手が、唐突に口を開いた。
シャーナは、いきなり声をかけられたせいで何と言っていいのか分からなくなってしまい、ただ頷いた。
「数日前、ザルカ帝国軍の諜報員がこの高速道路を爆破しようとしたんです」
運転手の語りに、シャーナは相槌すら打たず聴き入る。
それを突拍子もない話と思えるほどシャーナの生活は平和ではなかったし、ザルカ帝国ならやりかねないという事もよく分かっていた。
「その時は、ちょうど連邦大統領が車で出勤する時間帯でした。もし爆発していたら、今頃政府は大混乱に陥っていたでしょう」
「だが、陥らなかったということですね」
ここにきて、シャーナはようやく相槌を打った。
だが、緊張しているシャーナの相槌は少し運転手の言葉と被ってしまい、結果として妙に運転手の話を遮ってしまった。
シャーナは大人しく口を閉じる。話すのは苦手だ。
運転手は、特に気にすることもなく話を続けた。
「はい。情報をいち早く掴んだ我々は高速道路に狙撃手を派遣して、爆弾を満載して走行するトラックを狙撃し、運転手を射殺しました」
高速道路上、時速100km近い速度を出すトラックに狙撃か。
それも、もし外せば流れ弾で大事故が起こりかねない状況下でだ。
「すごいですね」
シャーナは、思わず感嘆の声を漏らす。
「ええ。我々の狙撃手は常に優秀です」
運転手は誇らしそうだ。
「その後、警察の爆弾処理班が搭載された爆薬を安全に処理し、事態は事無きを得ました」
運転手は話を締めくくる。
だが、ここでめでたしめでたしと話を終わらせることができるほど、シャーナは平和ボケしていない。
「情報の流出経路はどこですか?大統領の出勤ルートなんて、連邦警護庁の最高機密ですよね」
シャーナは頭に浮かんできた疑問を、思わず口に出した。
「その答えは、貴方がそのスコープで見ていたはずでは」
わずかな沈黙。シャーナは一瞬で答えを出した。
「例の政治家ですか」
「はい。我が国に潜伏するザルカ帝国の諜報員が、彼に賄賂を渡して情報を受け取っていました。現在、詳細を調査中です」
シャーナは少しぞっとした。内側から国が突き崩されていくことほど怖いことは無い。
「賄賂を渡していたザルカ帝国の諜報員は?」
「我々の戦闘チームが向かいましたが、すでに自殺していました。口封じのための他殺かもしれませんが。なんにせよ真相は闇の中です」
運転手は、薄笑いを浮かべたままそう言った。
確かに情報を隠す一番の方法は、情報を知っている者を殺すことだ。
だが、それをやれる組織の制圧には確実に武力が必要だし、情報本部はその手の荒事に対応する能力を持っていないはずだ。
「私はどこに向かっているんです?それと、あなたは誰ですか?情報本部は、戦闘部隊を保有していないはずです」
シャーナは、違和感と恐怖を感じてそう聞いた。
「いいえ。私は情報本部の人間ですよ。ですが、違うと言えば違いますね。実際、情報本部の人間とはほとんど関わりないですし」
シャーナは、首を傾げた。
「どういう意味です?」
「情報本部人的情報部・特務機関。組織上は情報本部の一組織ですが、その実態はありとあらゆる組織から独立して活動する特殊部隊です」
運転手は、穏やかな声でさらさらと答える。
「は?」
その回答に、シャーナは思わず聞き返した。
運転手の答えた組織の名前が、陰謀論者たちの間で囁かれる秘密組織の名と同じだったからだ。
情報本部人的情報部・特務機関。
警察や連邦軍から選抜したメンバーで構成される精鋭部隊で、公に出せないような秘密任務に従事していると、まことしやかに囁かれている。
細かな規模や装備に関しては諸説あるが、噂自体は大手のインターネットメディアがまとめるほどには有名で、シャーナも聞いたことがある。
だが、確かな情報は一切出ていない。
任務の実態も、各国諜報機関との連絡所程度と言う者もいれば世界各地に諜報網を張り巡らさせていると言う者もいるし、規模も、数名程度と言う者もあれば少なくとも10万人は所属していると言う者もいる。
そもそも存在しているかどうかすら、定かではない。
国がだんまりを決め込んでいるので、ほとんどの人はそんな組織など存在していないと信じ、その手の文章は全て三流オカルト記事扱いしているが。
もちろん、シャーナもその1人だ。
いや。その1人だった。
「まあ、流石に想像力豊かなマスメディアの皆様が書くほどの非人間はいませんし、実質的な予算や規模も、特殊作戦軍にすら及びませんが」
運転手は、謙遜するように言う。
ちなみにだが、特務機関に所属している彼すら特務機関の全容は知らない。
正確な人数も予算も教えられていないし、機密情報のデータベースにアクセスする資格すらない。
だが、『何も知らないこと』をここでシャーナに明かすつもりはなかった。
ほとんどの特務機関員が特務機関という組織について何も知らないという情報すら、流出させたくないからだ。
「ところで私はどこに向かっているんです?」
シャーナの声には、緊張が滲み出ていた。
「首都郊外にある我々の本部です。現在、貴方は特務機関の候補生になっているのです。これから最終面接を行なってもらいます」
運転手は、それがさも当たり前の事であるかのようにそう告知する。
「私は何も聞いていませんけど」
シャーナは、狐につままれたような気分でそう言った。
軍に存在する数多くの試験は全て、それが必修でない限り自分から志願しなければ受けられない。
もし上官がどうしてもということで受けさせる場合にも、本人の了承は絶対に必要だ。
もし万が一それら全てをすっ飛ばして試験や訓練(ほとんどの場合2つはセットになっている)を受けることになったとしても、訓練開始前に告知されるはずだ。
いつの間にか候補生になっているなんてことは、人事官に壊滅的な書類管理能力が備わっていない限り、まずあり得ない。
シャーナはそこまで考えて、ふと別の考えが浮かんできた。そもそも特務機関という存在自体が非常に特殊だ。
つまり、入隊方法が特殊であっても全くおかしくない。
結局、シャーナは深く考えることを諦めた。
深く考えた所でどうにもならないことはあるし、結局どうにもならないのならば深く考えるだけ時間と体力の無駄だ。
「断りますか?」
運転手は、答えなど分かりきっているというような口調で、そう聞いた。
「いや」
シャーナは、ほぼ即答した。
「ですよね。軍組織に忠実な貴方なら、断ることはないと信じていましたよ」
運転手は、口元の薄笑いを深める。
シャーナは、もしここで断ったら自分がろくでもない扱いを受けることを察していた。
実際シャーナがこの誘いを断ったら、運転手は即座に彼女を薬物で気絶させて病院に運び込み、全てをうやむやにするよう命令されている。
薬物で気絶させられるのは、ろくでもない扱いとしか言いようがないだろう。
だが、その作業は非常に手間がかかる割に、特務機関の存在を隠しきるほどの効果はない。
記憶を消すのではなく、その記憶を幻覚かそれに準ずるものだと勘違いしてもらうのが目的だからだ。
だがシャーナが承諾したことで、その誰も得をしない措置を取る必要はなくなった。
運転手は一切表情に出さないよう細心の注意を払いつつ、ほっとした。
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