第二楽章 招待状
第9話
国防軍唯一の諜報機関である情報本部は、アトラ連邦首都の中心に位置する官庁街にその居を構えている。
古めかしい石造りの建物が多い官庁街で、近未来的なガラス壁のビルは居心地悪そうに目立っていた。
両隣にある対外情報庁とデジタル省も同じく近未来的なデザインになっており、数世紀前の町並みを残す官庁街で、その区画はかなりの異様さを放っている。
軍服姿のシャーナは、スーツ姿の官僚や政治家が行き交う官庁街の大通りで、仲良く並ぶ三棟のビルを眺めつつ迎えの車を待っていた。
ショートボブの金髪と赤い瞳に、濃い緑の軍服はよく似合っている。
道ゆく人が思わず二度見しそうなほどに美人だ。鋭い瞳が醸し出すどこか近寄りがたい雰囲気もいい。
だが、職務中を示す軍服を着用しているからか、あるいはその雰囲気に気圧されたのか、首都中央駅からこの官庁街に来るまで、声をかけようとする人は1人もいなかった。
シャーナを呼び出した組織は情報本部なのに、待ち合わせ場所に指定されたのは情報本部ビルではなく、少し離れた大通りの歩道(つまりここ)だった。
今シャーナが待っている場所から情報本部までは、歩いて10分もかからない場所にあるのに、わざわざ車の迎えを出す点が腑に落ちない。
通常の事情聴取ならば(それが犯罪者に対して行われるものでなければ)、情報本部の玄関ロビーでコーヒーを飲みながらのんびりと待てるはずなのだが。
情報本部のコーヒーは美味しいと評判がありシャーナも期待していたので、彼女は少しがっかりしていた。
情報本部から事情聴取を受ける心当たりは、ザルカ帝国と繋がっていた政治家を逮捕する作戦に参加したことぐらいだ。
だが、それについて情報本部が何を知りたいのか、シャーナには皆目見当もつかない。そもそもシャーナは教えられた以上のことを知らない。
待ち合わせ場所が通常と違うのも何か試されているような気がして、シャーナは待ち合わせ時間より随分と早く到着していた。
そのせいで、やや肌寒い中もう随分と長く待っている。まあ、ここは長時間滞在するのに悪い場所ではない。
通勤の自動車が吐き出す排煙の匂いはやはりするが、冬にも葉を茂らせる街路樹の心地よい空気が、それを中和している。
利便性を追求した代償として汚れた空気しか吸えなくなった首都圏内で、ここは残り少ない緑の見られる場所の一つだ。
立ち並ぶ文化的価値の高い建築物や庭園を見に来た観光客も少なくない。
シャーナは、辺りに視線を向ける。
観光客の何人かは、この辺りではあまり目にすることのない軍人であるシャーナに、何かあったのかと不安げな目を向けていた。
国土の奥深くにある首都圏に駐屯する部隊はそこまで多くなく、せいぜい準軍事組織である国家憲兵隊が一個連隊ほどいるだけだ。
前線からも数百kmは離れており、対空ミサイルを初めとした防空兵器も多数配備されているので爆撃も受けていない。
戦争の香りが、これでもかと言うほど排除された町なのだ。
その上、デザイナーが国家の威信にかけてデザインした軍服は、細身のシャーナにも堂々とした威圧感を与える。
そして民間人や文官に混じれば、軍服の放つ存在感は相当なものだ。
目立つのが苦手なシャーナはできる限り自然体を装いつつ、一刻も早く迎えの車が来ることを祈っていた。
それから時計の針に鉛を括りつけたような時間が過ぎて、迎えは約束の時間ちょうどにやってきた。
シャーナの前に停車した車の運転席からスーツ姿の若い男性が降りてきて、自然な動作で彼女を一瞥すると、後部座席のドアを開けた。
優しい薄笑いを浮かべた好青年だ。彼を見た一般人は、十中八九彼のことを好感が持てる人間だと評価するだろう。
車の扱いから見て、運転手としての腕もいいようだ。
だがシャーナは、その顔にどこか不気味さを感じた。偽りが持つ特有の不気味さ。
その笑顔が完璧に統制され作られたものだと、シャーナは即座に理解する。
内心を隠し、自身の表情を完全に管理する能力を持つ人間は、ほとんどの場合において恐ろしく強い。本当に彼は情報本部の人間なのだろうか?
シャーナは警戒心を強めた。
「すみませんね。待ちましたか?」
運転手は形式的に詫びを言う。
「いえ。大丈夫です」
シャーナはすでに30分もここで待っていたが、何も言わなかった。
「では、乗ってください」
運転手に促され、シャーナは高級感のある黒塗りの乗用車に乗り込む。
ドアが、心地よい音を立てて閉まった。
運転手は白い手袋でハンドルを操作し、巧みに車を発進させる。柔らかい革のシートも相まって、驚くほどの乗り心地だ。
ドライバーとしての力量もだが、スーツの下に隠された拳銃と鍛え上げられた肉体にも、シャーナは気づいていた。
技官や事務官の多い情報本部で拳銃を携帯している者はほとんどいないし、デスクワークが大半を占める情報本部の職員がここまで鍛えている必要はほぼない。
何より、彼は単なる送迎ドライバーのはずだ。
おかしい。
シャーナは、せっかくの高級なシートに身を沈めることもせず、意識を張り詰めていた。
今は拳銃はおろか、警棒やナイフなどの近接武器すら持っていない。
訓練を受けた人が扱う拳銃に素手で対抗することはまず不可能。
この人物と戦闘にならないことを祈るしかないな。
シャーナは、強い緊張に唾を飲み込んだ。
車は、そのまま当然のように情報本部のビルを通り過ぎていく。
シャーナは何も言わなかった。
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