五里霧中

岩擦ヶ丘いわんずれがおか遊歩道

三重県北牟婁郡赤牟町/日本国

平成33年10月21日  午後0時30分(日本標準時)


 ――『』ってさ、もうちょい楽しみながら歩けるもんじゃないの?


「もう……ちょっと……ペース落として……くれると……嬉しいな」

 フィールドワークで悪路はそれなりに歩いていたつもりだったけれど、現役自衛官アンド元自衛官アンド現役刑事が一緒となると、さすがに体力の差というものを痛感する。思わず、手すりにつかまってしゃがみ込む。


 赤牟島の北西、瀬良野せらのの図書館から、島の南西の端である岩擦いわんずれ岬の駐車場まで車で10分ちょい。そこから歩きで岩擦ヶ丘展望台までとなったものの、遊歩道とは名ばかりのデコボコで曲がりくねった山道を登ること、1時間以上は経っている。道の両側に手すりはあるものの、遊歩道の脇は奇妙に削り取られたような鋭い岩石がニョキニョキで、手を滑らせるか足を踏み外せばどうなるかは想像にかたくない。しかも、もう昼過ぎというのに、海の湿気のせいか薄いもやも周りに立ちこめていた。


 普通のスニーカーで来たのがダメだったかなあ、と言い訳を考えてみたけれど、水城ミズさんはリュックサック――――例の自衛隊謹製釣り具入れとは別物――にウェストポーチとゴツい靴、猪瀬イノさんはジャケットに普通の靴、土屋さんに至ってはワイシャツにジャケットとスラックスそして革靴という刑事スタイルだった。……OK、何も言いません。


「先生、水分補給する?」

 先頭を歩いていたミズさんが、リュックサックからスポドリを取り出した。

「うん……遠慮なくもらう……」

「はい、ゆっくり一口ずつ飲んで」

 ぱきり、とキャップを開けて差し出してくれた。一口、二口と、少しずつ飲み込む。

「そうそう、ぐびぐび飲まずに、口をゆすいで飲み込む感じ」

 横からイノさんも声をかけてくれた。

「みんな……そのペースで……平気なの……?」

「疲れてはいないんだけど、地形に違和感を覚え始めた」

 イノさんが口元に手をやる。

「私もです」

 土屋さんが頷く。

「ちょっとずつ登ってはいるが、駐車場から見たときにここまでかかるとは思ってなかったな。歩測でだいたい5km歩いてる」

 ミズさんに至っては歩いた距離まで測っていた。自衛隊ってそんなことまでやるの?

「小休止の頃合いだな。センセ、ちょっとお尻痛いかもしれないけど、座って足伸ばしておきな。靴もいったん脱いで」

 イノさんが言ってくれた。ここは素直に言葉に甘えることにする。


「丘の頂上は駐車場からでも見えてたよな?」

 イノさんがミズさんに訊ねる。

「……いや、それが自信なくなってきたんだ」

「何?」

 怪訝な顔をしたイノさんに、ミズさんは続けた。

「駐車場から見えていた遊歩道、もっとまっすぐだった筈だ。さすがに5kmも歩くような道じゃない」

「そんな! 迷うなんてことがありますか? 曲がりくねってはいましたが、一本道でしたよ?」

 土屋さんも加わる。

「そこなんです。知らぬ間に同じ所を廻っていたか、そもそも遊歩道の入り口を間違えたのか……」

「……ねえ、僕は本当に言うべきでないことはわきまえてるつもりだけどね、これだけは言わせてほしい」

 3人が僕を見つめた。

「まさかとは思うけど……長野の……口那陀くちなだ村を思い出さない?」


 全員が沈黙したが、それを破ったのはイノさんだった。

 

「センセ……あのときの騒動みたいに、この島でも何かが起こってるっていうのか」

「あのときはGPSの誤動作、いまは方向感覚の混乱だけど、知らぬ間に自分たちがいるはずのない場所にいる、という状況は似通ってる。それに、この島に僕たちが来ることになった古文書だって、ほとんど怪文書だ。少なくとも、休暇のミズさん以外はこの島に来ることになった理由は同じくらいオカルトめいてる」

「だとしても!」

 土屋さんが叫んだ。

「なぜ私たち、なんです? !」


「落ち着け!」

 今度はミズさんが叫んだ。ただ、表情は険しくなかった。

「全員ハンガーノックでアタマにブドウ糖回ってないだろ。先生だけじゃなく、先を歩いていた俺だって、どっかで順路を間違えていたとしても不思議はない。とりあえず、ようかんでも食ってアタマに糖分回そう」

 そう言うと、ミズさんはウエストポーチから一口大のようかんを全員に手渡していった。

「イノも座れ。土屋さんも、スラックス破れない程度に。座って休んで糖分を回す。それが先決だ。我々は全力で登ってきたんだから全力で休む必要がある。昼飯も食ってない状態で行動し続けるのは無理があるんだ」

「しかし……」

「土屋さん、腹減ってるとろくな考えが浮かばない。『違和感を覚えた』なんて言い出した俺が言うべきことではないが、まずはゆっくりと休もう。遭難するような時間ではないんだし。今回はちゃんとスマホの電波もあるし、GPSも拾えてる」

 ミズさんの説得で、僕らは遊歩道の端で車座になって休憩をとったのだった。


 20分ほど経ったころだろうか。

「あらあら、皆さん、どうなさいました?」

 登山帽とベスト、リュックサックを身につけ、両手にストックを持った一団が、遊歩道のふもと側からやってきた。先頭は30歳手前くらいに見える女性で、後ろに体格のよい男性4人を引き連れていた。おそらくこの女性がこの登山パーティのリーダーらしい。

 女性リーダーは柔和な笑みを浮かべつつ続けた。

「どこかお怪我なさいました? それとも、もしかして、この先でクマでも出ましたの?」

 こういう美人相手の受け答えは伊達男イノさんの担当かな、と思っていたら、意外にもミズさんが答えた。パーティのリーダーとしての矜持きょうじだろうか。

「ご心配なく、登山に慣れない中年一同、バテて小休止を取っていたところです」

「まあ、それは大変」

「クマも今のところ痕跡はありません。山の中でザクロでも食べていてほしいですね」

「そうでしたの。クマが出たら、手持ちのレモンでも食べていただいてお帰り願いたいですわ」

 女性リーダーはフフフと笑った。

「とにかく、ご無理はなさらず。すみませんが、お先に失礼させていただきます」

「ええ、お気遣い感謝します」

 ミズさんがそう言うと、パーティ一同は我々に会釈しながら、上へと向かっていった。


「ミズさんでも美人を見るとそんな感じになるんだね」

「え?」

「口元ちょっと緩んでない?」

 ミズさんはあわてて口元に手をやる。

「そうかな」

「あの人、結構いいとこのお嬢さんじゃないかな。姿勢もぴっしりしてた。あと、喋り方からすると……たぶん兵庫あたり。神戸か芦屋あたりの令嬢かもね」

「すごいなセンセ、退官後はうちで探偵やらないかい」

 イノさんが、本気とも冗談ともつかない口調で言った。

「頭が回ったのは休憩のおかげですか? それとも美人だったから?」

「土屋さんのいじわる」

 僕ら4人はひとしきり笑った。

「さてと」

 お尻の砂を払い、立ち上がる。休憩のおかげか、もうひとがんばりできそうだ。

「お待たせしてごめんね。僕は行けそうだよ。出発しようか」

「了解。くれぐれも無理はしないでね、センセ。……あと、靴履いて」


 休憩地点は実は頂上のほとんど手前で、10分ほどで岩擦ヶ丘展望台にたどり着くことができた。展望台は意外と人気のスポットだったらしく、バズーカのような大型レンズつき一眼レフや、軍用かと思うほどのゴツい双眼鏡や望遠鏡を構える人――どうやって持って登ったんだろう?――が10数人ほど見受けられた。


 ――その中でもひときわ目を引いたのは、往年のテレビの探検番組のような出で立ちに身を包んだ、腰まで伸びた長髪の若い女性の姿だった。

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