お手回りの品は

観光案内所駐車場/三重県北牟婁郡赤牟町/日本国

平成33年10月20日  午後2時46分(日本標準時)


『地震です 地震です』


 相変わらず背筋の冷える警報が、全員のスマホから鳴り響いた。

「総員、頭を守って姿勢を低く! シートベルトは揺れが収まるまでそのまま! イノ、ハザードとカーラジオつけろ!」

 右隣のミズさんが、珍しく吼えている。左隣の土屋さんは、頭部を両手両腕で被って、うずくまっている。当機はまもなく不時着します――そんなアナウンスが流れそうな姿勢だったが、おとなしく土屋さんに倣うことにする。


 右隣からゴソゴソと音がする。姿勢を低く、と言った当の本人ミズさんは、例の釣り具入れをトランクから手元に引っ張り出していた。

「ミズ、津波で釣りするつもりか!?」

 イノさんが怒号を飛ばす。

「中にラジオ入ってるんだよ! 俺も伏せる! イノはエアバッグ作動に気をつけろ!」

「わかってる! そら、来るぞ! 耐衝撃!」


 強烈な縦揺れが、ワゴン車を下から突き上げた。最初の一撃でお尻が浮いた。

「うわわわわわ!」

 突き上げは何度も襲ってきて、サスペンションがその揺れを反復させる。

「先生、舌噛むなよ! 口閉じて!」

 イノさんが振り返って叫ぶ。ここはおとなしく従うことにする。車は何度もバウンドした後、次に横揺れが襲ってきた。


 先日、東京で遭遇した地震とだいたい同じか、やや強い揺れだった。横揺れというよりは、斜め方向にシェイクされるような揺れ。まるで地面の下からモグラ怪獣が現れるかのような、のように思えた。ラジオではアナウンサーが何ごとか言っていたが、周囲の轟音のせいでほとんど聞き取れなかった。港の船も一斉に汽笛を鳴らしたのか、オーボエの低音のような、くぐもった音も響いていた。


 どれほどの時間、そうしていただろうか。気が付けば、揺れは収まっていたようだった。周囲の轟音も、いつの間にか静かになっていて、ラジオも聞き取れるようになっていた。


『14時46分頃、三重県南東沖を震源とする地震がありました。最大震度5強を三重県赤牟町あかむちょうで観測しています。津波の有無については現在調査中ですが、揺れの強かった海岸付近や川の河口付近から、直ちに離れてください。少しでも高い場所へ避難してください。決して立ち止まらず、少しでも高い場所、海から離れた場所を目指してください』


「車はダメだ、徒歩で避難ビルに上るぞ!」

 イノさんは既にシートベルトを外し、ドアを蹴り開けていた。土屋さんも車外に出る態勢だったが――

「先に行ってください、私は周りの人を誘導します」

 

「土屋さん!?」

「今は非番だし管轄外だろ、声をかけて避難呼びかけだけにしよう」

 イノさんもたしなめる。

「しかし! 仮にも私は――」

 イノさんと土屋さんで押し問答が始まりそうだったが、いつの間にか釣り具からラジオを出していたミズさんが話を遮った。

「あー、ちょっと待て、ラジオで続報」


『14時46分頃、三重県南東沖を震源とする地震がありました。最大震度5強を三重県、震度5弱を埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県で観測しています。震源の深さは300km、地震の規模を示す8.0と推定されています。若干の潮位の変化はあるかもしれませんが、この地震による津波の心配はありません。繰り返します、この地震による津波の心配はありません。』


 全員が安堵のため息をついた。


『気象庁によると、まもなくトラフ沿いの地震に関する評価検討会の臨時会合を開き、この地震の影響について調べるとのことです。』


「うーんと、安心とはいかないまでも、僕らはひとまずは宿に行く準備を始めていいのかな?」

 飛行機乗って疲れたし、お寿司食べてちょっと眠いので、できることなら早めに宿の部屋でゴロゴロしたい。

「土砂崩れが少し心配ですが、旅館は山のほうですから避難にはなるでしょう。ミズはここで下ろしていいのか? そっちの民宿まで送るか――って、真っ先にその釣り具抱えてたのか、しょうがねえな」

 安心したのか、イノさんの口調が荒くなる。怒っているわけではなく、どちらかといえば苦笑交じりだった。まあ当然だ、ミズさんったらあの揺れの最中に釣り具ケースを取り出していたのだから。

「釣り具とラジオと携行食料が入ってるからな」

「え、自衛隊の食料? ちょっと食べたい」

「悪いな先生、この食料1人用3日分なんだ」

「お二人とも大人げないですよ……」

 土屋さんが呆れ顔で言う。


 結局、僕とイノさんと土屋さんの旅館泊チームはレンタカーを返して、港から出ている旅館行き無料送迎バスを使うことにした。ミズさんは釣り具ケース背負って民宿まで自転車キコキコ帰るらしい。


「じゃあな、ミズ。気をつけて」

「お三方も、十分お気をつけて」

 僕らはそうして分かれた。


 僕の頭の片隅に、ミズさんがケースを置いたときのゴトリという――なにか重量物が入っているかのような――音が引っかかっていた。


 しかしそれも、旅館の夕食のメニューを聞く頃までには、すっかり忘れてしまった。

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