オール・ユー・ニード・イズ・スシ

赤牟港/三重県北牟婁郡赤牟町/日本国

平成33年10月20日  午後12時30分(日本標準時)


 白衣を着た長身痩躯ちょうしんそうくのアフリカ系男性は、立ち尽くしたまま救急車が去った方向を見つめていた。先ほどまでわいていた野次馬は、既にどこかへ去ったようだった。


「どうしようか、あの人」

 露木准教授がぽつりと言った。

「慰めようにも、いかさか状況がわかりませんものね」

 土屋刑事も同意した。

「話しかけるにしても、何語ですりゃいいのか……。露木センセイは英語イケるクチだっけか?」

 猪瀬が尋ねる。

「専門は民俗学だから英語の文献も読むには読むけど、会話できるほどじゃないよ」

「となると……水城、お前なんとかなるだろ」

 突然、自分に話が回ってきた。

「いや、よりにもよって自分がか? お前も防大のときにそれなりにやったはずだぞ、猪瀬」

「退官してから貧乏探偵やってるうちにほとんど忘れちまったよ。お前第1戦車大隊イチセンで合衆国のヤキマ演習場行ったり合同演習参加したりでそれなりに使ってるだろ」

「そういうのはな、って言うんだよ」

「いずれにせよ一番喋ってるのはお前だ、頼む」


 斥候せっこうのときのように、そっと近づく。間違って誰何すいかしないように気をつける。

エクスキューズ・ミーExcuse meサーSirメイ・アイ・ヘルプ・ユーMay I help you ?」

 我ながら酷い発音だったが、男性には聞き取れたようだった。こちらを振り向く。

「アッハイ、日本語大丈夫です」

 拍子抜けしつつ、振り返って猪瀬を睨みつける。

「では日本語で。立ち尽くしておられたが、どうなさいました?」

「わたしたちはポダラカから来ました。同僚が急におかしくなったので、赤牟島の病院にヘリコプターで運びました。とても心配です」

「それはお気の毒に。彼は、ポダラカでの治療は受けられないほど、重い病気なのですか? それとも、ポダラカには、病気の人が多いのですか?」

「両方です。ポダラカで病気の人が出ると、だいたい治療できない人なので、すぐに赤牟島に運んでいます」

 ここまで男性は言った後、いぶかしげな目つきで我々を見た。


「あなたたちは、誰ですか?」

 名乗ろうとしたところ、後ろで見ていた露木准教授や土屋刑事、猪瀬がこちらに寄ってきていたことに気づいた。

「自己紹介がまだでした。失礼しました。自分は水城みずき和馬かずまと申します。公務員――Public Officerです」

「僕は露木つゆきそうです。大学でAssociate Professor准教授をしています」

「私は土屋と申します。公務員をしています」

「私は猪瀬いのせりょう、私立探偵――Private Detectiveです」


 我々が一通りの名乗りを終えると、男性は両手を合わせ、30度の角度のお辞儀をした。

「アイサツありがとうございます。私はヤハヤ・アル=サーイグ。ミスカトニック大学からポダラカで仕事をしています」

 彼はそういって、胸のIDカードを我々に見せた。

 『Miskatonic Univ.ミスカトニック大学 Faculty of Physics物理学部 Dr. Al-Sayigh, Yahya』

 IDカードには、そう書かれていた。

「わたしの名前は日本人には『ィヤッハヤー・アッ・サーイグ』に聞こえるそうです。『イヤハヤさん』と呼んでください」

「では遠慮なく。我々はイヤハヤさんの様子を見て、とても心配になりました。我々にできることはありますか?」

 こう尋ねると、イヤハヤさんは顎に手を置いて考え込んでいたが、小声でつぶやいた。

「……スシ、ですかね」

「……スシ? あの魚の?」

「ハイ、スシです」

 我々一同が顔を見合わせていると、イヤハヤさんは続けた。

「日本の習慣で、病気になった人の回復を祈るために、岩の前で踊りながらサケを飲んでスシを食べる、と聞きました。わたしもスシを食べるべきだと思います」

「……なんか色々ミックスされてる」

 露木准教授がボソリと言ったが、その口を土屋刑事が慌てて塞ぐ。――さっきのお辞儀といい、色々と日本文化を誤解している気がする。


「可能であれば、わたしをこの島のスシ・バーに連れていってくれませんか?」

 我々は再度顔を見合わせたが、猪瀬が頷き、イヤハヤさんに向き直った。

「いいでしょう。私たちもまだランチを食べていませんでした。一緒にスシ・バーを探しましょう」

「猪瀬、どこか心当たりあるのか?」

 猪瀬は頷いた。

「タクシーでここまで来るときに、赤牟あかむ漁港のほうに『だごんずし』という店があると聞いた。そこなら多分やってるだろう」

「そういえば僕も聞いたな」

「確かに、運転手の方がそのように」

 露木准教授と土屋刑事も頷く。

「決まりだな。俺と土屋さんは5人乗れるレンタカー借りてくるから、水城とセンセイは案内所で『だごんずし』の場所を聞いておいてくれ」

「了解」

「よし、分かれ」


「というわけでイヤハヤさん、スシ・バーまでお連れします」

「ありがとうございます、本当にかたじけない」

 イヤハヤさんは私と露木准教授に代わる代わる握手した。

 


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