太公望にあらず
赤牟港観光案内所
赤牟町/三重県北牟婁郡/日本国
平成33年10月20日 午前12時00分(日本標準時)
「やあ、お久しぶり、みなさん」
案内所のロビーには、
「お辞儀の角度が仕事のまんまですよ、水城1尉殿。お久しぶり」
「そこは言いっこなしだよ、猪瀬」
しまった、という顔で水城は苦笑した。お辞儀と左足と傘は自衛隊員の職業病みたいなものだ。
「にしてもすごい荷物だな、状況中か?」
「まあ半分はそんなもんでね、長期休暇兼このケースの評価試験さ。
「釣り具の評価試験ねえ……いま、どこの閑職やってんだ?」
防大同期の気安さでからかってみる。
「富士山の見える
「
「
「うるせえ」
ふたりでひとしきり笑ったあと、水城は土屋さんと露木先生に向き直った。
「どうもご無沙汰してます。おかわりなく?」
「ええ、相変わらず上からはテイの良い便利屋です」
「それはそれは……」
「僕も変わらず。問題児の集まる研究室」
「この間のご本、拝読しましたよ」
「わ、ありがとー! 御礼にサインしてあげよう、このでっかいバッグに」
露木先生がポケットからマジックペンを取り出して、ナイロン地ケースにサインしはじめようとしたので、水城と二人がかりで止める。
「センセイ、これ税金で作ったやつだから」
「えー、ダメなのイノさん? ミズさんは?」
「物品愛護は自衛隊の基本ですからね」
「じゃあせめて中身ちょっと見せてよー、納税者なんだからさー」
「中身はまだ特定防衛秘密なんで……」
水城の苦笑を久々に見た。
観光マップは水城が既に人数分もらっていて、1冊ずつ配ってくれた。地区と施設が簡素に書かれたもので、裏面にはバス時間とレンタカー営業所の一覧が載っていた。送迎は旅館が出してくれるらしいとはいえ、自由探索にはレンタカーのほうがよさそうだ。
「ミズさんはどこ泊まってんの?」
露木先生が尋ねる。
「
「谷路というと……北の方かー。イノさん僕たちの宿どこだっけ?」
「センセイ自分たちの宿くらい覚えてよ……。
「こっちとはだいぶ離れてるな」
水城が地図をなぞりながら言う。
「鞍貫山を通るルートが使えればよかったんだが……そこは通行止めになってる」
「ああ、クマが出たというやつな。そんなところに宿とって大丈夫だったのか?」
谷路地区といえば、例のクマが出た山の目と鼻の先だ。いくら自衛官とはいえ、クマを相手にする訓練は受けてはいない。
「まあ、なんとかなるさ。で、一緒に探索するとなると、
水城は気楽に流して、谷路から東へ迂回するルートを引いた。
「それか、バスはここの港がハブになってるみたいだから、港を起点とするか」
瑞廉宿泊組としては、港までは宿の送迎が受けられるので、港のバスターミナルを利用する手もある。
「どちらにしても谷路から自転車で来られない距離ではないから、猪瀬、そちらで土屋さんと露木先生を掌握しといてくれ」
「……口調ぐらい仕事から離れろ水城。やはりレンタカー借りちまうのが得策だな、図書館で郷土史あたるにしても神社行くにしてもタクシーは無理がある」
「なら任せた、あとで割り勘な」
「それがな、いま懐が温かくてな」
例のオカルト依頼人の前金20万円はまるまる手を付けずにいる。
「ん、何しやがったんだ貧乏探偵?」
水城と共に、土屋刑事がいぶかしげな目つきでこちらを見てきた。
「合法的に得たカネですよ、ご心配なく、土屋さん」
「でしたらよいのですが……ん? サイレン?」
土屋さんはまだ何か言いたげだったが、外――赤牟町中心市街地方向――から聞こえてきた音に気づいた。
「アンビか?」
「救急車な、水城」
サイレンは近づいてきており、ロビー内の他の人々も気づいたようで、一部の野次馬は外に出ようとしている。
「あれ、露木先生はどうした?」
あたりを見回した水城が言った。
「……」
土屋さんが無言で野次馬を指差す。……最後尾に、トテトテと外に出る露木先生の姿が見えた。
「相変わらず好奇心が服着て歩いてるな」
「首根っこひっつかんで止めるか?」
「止まると思いますか?」
三者三様に愚痴りながらその後を追う。
外に出ると、広場のようになった場所で救急車は止まった。何故こんな中途半端な位置に、と思っていると、今度は海側から爆音が聞こえた。
「ヘリ? どっから飛んできたんだ」
この近くに着陸するらしく、機体底面を晒しながらヘリはホバリング体勢に入った。強烈な
「猪瀬!!
水城の叫んだ言葉で、機体底面に書かれた機体登録番号が日本のものではないことに気がついた。露木先生も小さな身体を大きく反らせて、頭上のヘリを眺めていたが、ハッとした様子で叫んだ。
「あのカラーリング!! 見覚えあるよ!! ミスカトニック大学!! ポダラカに常駐してるやつ!!」
みるみるうちにヘリは高度を下げ、広場に着陸した。救急車からはストレッチャーが運び出され、ヘリがメインローターを止めるのを待っている様子だ。
ヘリのドアが開かれると、ヘリクルーの他に、担架に固定された白衣の人物と、同じく白衣のアフリカ系の大男が降りてきた。大男は盛んに担架の人物にすがりつきながら叫んでいる。一方、担架の人物は落下防止の固定だけでなく、何らかの拘束衣も身につけているようだった。ヘリのエンジンが出力を下げていくと、大男の声が次第に聞き取れるようになった。
「ヘイ! もう陸だぞ! しっかりしろ! もうここはジャパンだ! 帰れるぞ! 大丈夫だ! お前は帰れるんだ! 帰って家族とスシが食えるんだぞ!」
大男の言葉は、やや英語訛りがあるものの、明確な日本語だった。やがて彼は担架から引っぺがされた。担架の人物はアジア系――おそらく日本人――の男性で、落下防止の固定が外された瞬間に暴れかけたものの、ヘリクルーと救急隊員の2人がかりで押さえ込まれ、ストレッチャーに移された。男性は何ごとか叫んでいたが、瞬く間に救急車に収容された。そして、救急車は、島の内陸に向かって走り去った。
野次馬が去った後に残されたのは、我々4人と、大男だけだった。
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