異動

科長室、開発実験団装備実験隊第8実験科/陸上自衛隊富士駐屯地、静岡県駿東郡小山町

平成33年■月■日 ■■時■■分 (日本標準時)


第1戦車大隊イチセン以上にせわしなく国内を飛び回る部署ですが、飲み屋のツケなどは残してきていませんね?」

 新しい上司となった女性幹部は、いたずらっぽく笑った。

「陸上自衛隊開発実験団、装備実験隊第8実験科、科長の白河しらかわ歩美あゆみ3とう特務とくむ陸佐りくさです。統幕監とうばくかん先進装研せんしんそうけんからの出向組で外様とざまですし、防大では後輩にあたりますから、そう硬くならずとも結構、水城和馬1とう陸尉りくい。『休め』」


 かつての統合幕僚会議とうごうばくりょうかいぎ、現在の統合幕僚監部とうごうばくりょうかんぶ・防衛計画部・先進装備研究推進室。「統幕には『』ヤングエリート集団がいる」という噂は、防衛大でも昔からささやかれている都市伝説だった。目の前の白河3佐もかなり若く見え、見たところ30歳手前といったところか。


「長野豪雨災害と、先日のアウトレットモール立てこもり事案に関する報告、確かに確認しました。既に第6号防衛記念章が授与されているとおり、これは業務改善に対する多大な貢献となります。過去の腔発こうはつ事故に関する報告による業務改善を併せて考慮した結果、先の辞令の通り、貴官には開発実験団・装備実験隊・第8実験科――AXEアックス第2係長への転属を命ずる。質問事項は?」


 ――さて、どこから聞いたものか。


「では、3点。第1、アックスとは、一体どのような類の装備を扱うものであるか。第2、自分は戦車乗りですが、その技能M O Sは必要とされるものであるか。第3、なぜ自分が選出されたものであるか。以上」


 白河3佐は満足そうに頷く。


「よろしい。第8実験科の『AXE』はAdvancedアドバンスト eXperimentalエクスペリメンタル Equipmentイクイップメント、先進試作装備の略として公文書に記載されるものである。試作段階のあらゆる装備――弾丸ひとつから航空支援C A S誘導機材に至るまで、他の実験科の垣根を越えた試験が本科の設立目的である。ついては、16式機動戦闘車も含む戦車技能に関しても需要があると考えて差し支えない。そして、貴官の選出理由であるが――」


 ここで白河3佐は、いったん言葉を止めた。よほどのことなのか、と身構えたが、彼女はニコリと笑った。


「例のレポートからうかがわれた、『目の前で起こったことをありのまままとめて報告する』、という水城1尉の能力によるものです。AXEで用いる機材は想定外の動作をする可能性がありますから、『なにをしたら、どうなったか』をきちんと整理して報告できる人材にはうってつけです。左遷ではないので、俸給に関しては心配なく」


 左遷ではない、との言葉に思わず苦笑が漏れる。公には『豪雨による土砂崩れで女の子1人以外の全村民が死亡』『アウトレットモールにクマが出現し、買い物客が集団ヒステリーを起こし一部が立てこもり、警察官を含む死傷者が出た』とされる事案に、『』『』とレポートを提出したのだ。普通はよくて左遷、悪ければ除隊ものである。


「後ほど顔合わせしますが、他の科員もユニークな人材揃いです。指揮系統のうえでは私が上官という名目になるものの、任務の性質上、風通しよく意見具申できる環境とします。繰り返しになりますが、そう硬くならずとも結構、水城


 ここまでフランクなのもどうなのか、と思わなくもないが、それがここの流儀というなら慣れるほかないだろう。


「うー、しまった、部隊章支給がまだだったか……だからAXEの質問が出たのかー……」

 白河3佐はバインダーの書類の束を取り外しながら独りごちていたが、

「ああそうだ、水城1尉、釣りの経験は?」

 たわいない世間話のような口調で切り出した。

「自慢するほどではありませんが、それなりには」

「結構。私だとベラぐらいしか釣れないもので。カラフルでかわいくて美味しいのにね、ベラ」

「は、はあ」

 いったいなんの質問なのか、と考えていると、白河3佐は取り出した書類をトントンと揃え、咳払いをした。

「さて。海自の“魚釣りエフ作業”に関して、機材は私物が原則ですが、それらを収納しうる多目的収納具の需要は陸海空自衛隊通じて存在します。ついては、その新型多目的収納具等の評価試験を命じます」

「釣り具の……評価試験ですか」

「山奥はこりたことでしょう。あたたかな離島で気分転換、というのも悪くないのでは?」

 白河3佐はまたニコリと笑った。


「本書類をもって、本件詳細を通達する。書類に関しては、言うまでもないことですが、細部までよくよく目を通すように。また、機材の元手は血税ですので、物品愛護の精神でよろしく」

 白河3佐が書類を机の上に置こうとしたそのとき、部屋のドアがノックされ――。

 

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