解読

文学部棟・民俗学研究室(露木研)、城南大学・円谷キャンパス/東京都品川区/日本国

平成33年9月27日 午後2時00分(日本標準時)


 露木先生の教え子さんは私と猪瀬さんの分のコーヒーを入れてくれたが、話の内容が内容なので席を外してもらった。――猪瀬さんをもっと眺めていたいそぶりをしていただけに申し訳ない。


「私は残ってもいいんですか、土屋刑事?」

 先ほど“1尉”と呼んでしまったことへの仕返しとばかりに、猪瀬さんはいたずらっぽく笑いながら言った。

「ハハハ、もう勘弁してください。それと、場合によっては猪瀬さんにも協力をお願いするかもしれませんので」

「私に、ですか」

「ええ」

 1つめのケーキを食べ終え、口をぬぐっていた露木先生の手が止まる。

「――つまり、こと?」

「まだ、わかりません。ただ、普通ではない、とだけ」


 そこで、私の視線は露木先生の手元の和柄ハンカチで止まった。


「……まだ、お持ちだったんですか。唐毘矢からびや織」

口那陀くちなだ村……いや、長野豪雨災害からもう2年、か」

 猪瀬さんも宙に目をやりながら、ぼそりと言った。

「……手放せるわけ、ないじゃない。あの子……いや、あの子たちから貰ったんだもの。彼女らの想いを忘れずにいられるのは、僕たちと……水城みずきさんだけだ」

「……水城さんは、まだ陸自に?」

「私が辞めるときにはまだ第1戦車大隊イチセンにいるのを見たけれど、怪事件に二度も巻き込まれては、ね。異動になりそうだという話は少しだけ聞いた。まあ、水城さんが遭遇したのは非番のときで、私のように『災害派遣さいはの偵察小隊小隊長が3日間行方不明になる』なんてやらかしをしたわけではないから、暗に辞めろとまでは言われてないだろう」

「そう、ですか……」


「えーと、話戻していい?」

 露木先生は、ハンカチを丁寧に畳んでポケットに戻す。

「失礼しました。今回お願いしたいのは、捜査資料にあった古文書の筆写らしきものの解読です」

 封筒から、例の文書のコピーを取り出し、応接テーブルに載せる。

「『らしき』っていうのはどういうこと? ――あー、こういうことか」

 露木先生が身を乗り出す。

「漢字ばっかりだな……中国語とかお経……ってことはないですよね、露木先生?」

 猪瀬さんものぞき込む。

「いや……大きい漢字と小さい漢字があるから……お経なら全部同じサイズで書くかフリガナ振ると思うし……たぶん漢文か万葉仮名だね……これ書き込みしても大丈夫?」

「ええ、コピーですので」

「うん」

 露木先生は頷くと、胸ポケットから3色ボールペンを取り出し、猛烈な勢いで文面に丸やアンダーラインを引き始めた。その表情は真剣そのもので、『民俗学者・露木総』という肩書きが伊達や酔狂ではないことを表していた。


 ――ふと、その手が止まる。

「イノさん、ちょっとお願い」

「さっきから何やってるかさっぱりですが」

「探偵さんに捜し物の依頼。買ってきてくれたケーキ1つ報酬で食べていいから」

「この段ボールの海から捜すんですか?」

 露木先生はボールペンの背でこめかみを三度ほど叩くと、文書に目を向けたまま段ボールの山のうち一つを左人さし指で示した。

「テレビの左横の棚の前の段ボール、下から二段目、開封して右側、底の方の白い表紙の本。書名は表紙にピンクの縁取りで『ヘイセイシンペン ノリトジテン』。ヘイセイは年号の平成。ノリトはお祝いのしゅくに歌詞の祝詞のりと

「画像記憶は子どもの頃に衰えるはずだってのに、相変わらず恐ろしいね……」

 ぼやきつつも、猪瀬さんは指定された段ボールの中身をかき分けていく。

「シュクシと書いて祝詞のりと……ああ、これかい?」

「ありがとうイノさん」

 露木先生は祝詞事典を受け取ると、迷いもなくページを開き、再び考え込んだ。

 

 10分ほど経った頃だろうか。

「こんな冒涜的な……本物か?」

 露木先生はぼそりと言った。

「なにか分かりましたか?」

「土屋さん、これ持ってた人の素性って聞いてもいい?」

「イエスともノーとも言えないところです。分かったところまでを教えてもらってもいいですか?」

「文章の形式は神社の神主さんが奏上する祝詞に酷似している。だけど、本来なら書かれていなければいないはずのものが抜けていて、本来なら書かれていないはずのものが付け足されてる」

「そのこころは?」

 モンブランを手に、猪瀬さんが尋ねる。

「神道の――たぶん密教もかな――影響を受けた土着信仰のまじないか何かか、あるいは全くのハッタリかのどちらか」

「我々には理解しきれないかもしれませんが、そこに関して詳しくお願いします」

 手帳を取り出してメモの用意を始める。露木先生は目を閉じ、眉間をボールペンで何回かつついていたが、決心したのか説明を始めた。


「この形式の祝詞だと、たいてい最初の方に出てくる神様はまず伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那美命いざなみのみこと。それから天照大神あまてらすおほみかみ須佐之男命すさのをのみこと月讀命つくよみのみことというのが相場。ざっくりいうと天津神あまつかみという分類で、いわゆる天の神様を称えるところから始まるんだけど、そのくだりが正体不明の存在を称える文言に差し替わってる」

「正体不明の――存在?」

「少なくとも神道の天津神あまつかみ国津神くにつかみとしては聞いたことがない」

「それが『書かれていなければならないものが書かれてなくて、書かれていないはずのものが足されてる』、ということですか?」

「いや、まだある。本来なら奏上する者――祝詞をあげる神主の名前を名乗ってから本文に入るけど、それも抜けてる」

「電話口で名乗らずに営業かけてきて、しかも相手方の名前を間違ってるようなもんですか」

「まあそんな感じだね、イノさん。祝詞としては相当冒涜的な内容になってる。それと」

 露木先生は顔を上げて、赤いアンダーラインが幾重にも引かれた文末を、コンコンとペン先で叩いた。

「最後に、祝詞ではまずあり得ない意味不明な一節がある。ここだよ」

 そこには、『以阿以阿 久里留宇布 倍多具牟』の文字があった。

もって……?」

「いや、漢文として意味を成してない。おそらく、いわゆる呪文みたいなのを万葉仮名でそのまま音写したんだと思う」

「じゃあ、なんと読むんです?」

「『いあいあ くりるうふ ふたぐむ』。可能性としては、かつて日本の山間部に住んでいた部族の間だけで通じる言葉とか、密教のなんらかの隠語か合い言葉かもしれない。だけどな……うーん」

 ここで露木先生は腕を組む。

「そうだ、この文章から、出所でどころはおわかりになりますか?」

赤牟国あかむのくに、とあるから、おそらく三重県の赤牟島に伝わる文書だね? 持ってた人物は赤牟島に関わる人物」


しばしの沈黙。


「――そこまでお気づきでしたか」

「うん。――実は赤牟島には調査の予定があってね。事前資料は調べていたけれど、こんなものはその中にはなかった。特に、この呪文と、正体不明の存在は」

「そっちの神様もどきの名前は読めますかい?」

「それは、ここのくだりだね」

 露木先生は、今度は青でグルグルと印をつけた3カ所をペン先で指す。そこには『久里留宇布能命』 『陀碁於牟』『波伊陀宇良能命』と書かれていた。

「それぞれ『くりるうふのみこと』、『だごおむ』、『はいだうらのみこと』。現地に行かないと、この存在の言い伝えとかはわからないだろうね」

「なら……行きますかい?」


 猪瀬さんの言葉に、思わず私と露木先生は顔を見合わせた。


「イノさん、突然どうしたの」

「さっき言いそびれたんですけどね、私が持ってきたコピー、あれも赤牟島に関わるものだ」

「――なんだって?」

「土屋さんのコピー、あきらかに一度水に浸かった痕跡がある。となると押収品というよりは、ホトケさんの遺品やら遺留品のたぐいだね?」

「――!」

「沈黙は肯定と受け取るよ。とにかく、なにかろくでもない信仰に関わることが同時に2件は、さすがに偶然とは思えない。ならば、赤牟島で何かが起ころうとしているんだと思う。に、限りなく近いものが」


 重苦しい空気が部屋に満ちる。


「じゃあ、水城さんも呼ぶのかい?」

「一応連絡は取ってみるよ、来てもらうのはかなり難しいとは思うが。土屋刑事は仕事として行けそうですか?」

「おそらく三重県警が調べると言い出すでしょうね。この際だから白状しますが、上は事件性はないものと考えているようです。深掘りするのであれば、私は非番として個人的に行くことになるでしょう。大丈夫です、私は捜査本部では人数合わせ要員みたいなもんですから」

 自嘲をこめて笑ってみせる。他のふたりも苦笑いする。

「私立探偵は自由な稼業だから、私もいつでも行けるよ。露木先生の調査行はいつ?」

「ちょっと調整はいるけど、前乗りで現地入りするといっても誰も不思議に思わないよ。普段からこんなんだからね、僕」

「じゃあ、決まりだね?」

 猪瀬さんは、我々を見回す。


 我々3人は、深く頷いた。

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