漂着
警視庁庁舎会議室、霞が関/東京都千代田区/日本国
平成33年9月24日 午後1時30分(日本標準時)
「いやあ……これはまた厄介な……」
津川と名乗った、三重県警察の中年刑事は、苦笑いしながらしきりにハンカチで汗をぬぐう。
9月21日の地震を受け、熊野沖で警戒中だった海上保安庁の巡視船から、「紀伊沖で大量の紙のような浮遊物」との報告が寄せられたのは、9月22日正午ごろのことだった。
その後1時間余りの間に、民間からも同様の118番通報が多数寄せられた。また、和歌山県沿岸で警戒中の地元消防団が漂着したリュックサックらしきものを発見、中に大量のルーズリーフ紙が含まれていたことが、和歌山県警察への通報で明らかになった。
それからほどなく、リュックサックの持ち主と思しき人物の遺体が、三重県の海岸でやはり沿岸を警戒中だった地元消防団によって見つかった。
遺留品から、“仏さん”は捜索願が提出されていた、本籍地が東京都の人物と判明。そこで、警視庁・和歌山県警察・三重県警察、そして海上保安庁の人員からなる合同捜査本部が設置される運びとなった。
「仏さんの身元は、東京都豊島区在住の会社員、
「
和歌山県警察の亀田刑事が、ぼそりと言った。
「いやあ、通院歴といっても、保護措置の
「都内在住の働き盛りで精神科通いってことは、いわゆるブラック企業というやつですか? まさか我々みたいに
岸本という海保からの要員が、真っ黒に日焼けした顔で言った。
「どうなんですかね、勤め先は……『カートゥーン・チューブ・キネマ社』、ああ、アニメーション製作会社だとか」
「アニメ……あんまり詳しくないなあ」
津川刑事は腕組みして、宙に目をやる。
「そこ知ってます! 結構前になりますけど、都会の男の子と田舎の女の子が入れ替わる話とか、東京を晴れさせる巫女の女の子の話とか作ってたとこです」
岸本保安官が身を乗り出す。
「ああ、あの背景がすごく繊細できれいなアニメ作るところか。うちの子供と見に行きましたよ」
亀田刑事は頷いた。
「きれいな絵を描いてても、ストレスたまるもんですかね。船で同じ景色見てるようなもんですか」
「のどかな光景は見てる分にはいいんですけどね、描くとなるとねえ……」
なんとも気の抜けた会話が、会議室で交わされている。
警視庁・
能登氏のご遺体の状態は、死後1日から2日ほど。着衣の乱れや外傷など、争ってついたと思われるようなものはなし。持ち物や漂着した遺留品にも、不審な損傷はなかった。備考として、両手の指の間に粘液のようなものがついていたが、成分は科捜研で分析中。「無意識にクラゲ等を掴んだものと思われる」と海保担当者からの注釈つき。
ここからは、土屋自身が調べた情報。
父親とは疎遠。『テレビのマンガなんか描く仕事は男のするもんじゃない』と就職当初から言われていたそうで、当然と言えば当然か。
母親は栃木出身で、かつて岩舟を舞台にした作品を作った会社、ということで比較的受け入れていたようだ。今度の作品についても熱っぽく話していたらしい。取材で三重の離島の土着信仰を調べるのが楽しい、と。
最近、同窓会で会った友人たちの印象は、少し違っていたようだ。仕事の話として、離島の信仰を調べていることは聞かされていた。凝り性だったのは昔からだったものの、今回は少し度を超えており、いささか常軌を逸しているような印象だったようだ。
土屋は、ホワイトボードの資料に目を戻す。
最後に目撃されたのは、9月20日、横浜のフェリー乗り場。所持品の財布から三重の離島を就航するフェリーのチケットが見つかっており、乗船したことは間違いない。
所持品は財布や鍵、スマートフォンは着衣のなかから発見。漂着物に関しては、衣類と大量のルーズリーフ。衣類は本人のサイズと一致。ルーズリーフは同一の筆跡のものが本人所持のリュックサックから見つかっており、もともとひとまとめだったと推定。リュックサックは3日分くらいの物資が入るものだった。
ここまでは、単にフェリー客の転落事故か自殺で済まされる内容であるのだが。
岸本が言う。
「それにしても……死に顔が、安らかすぎませんか? 決意の自殺だとしても、です。溺死なのにここまで“笑っている”仏さんは見たことがないです」
「抗精神病薬を使っていた影響ということは?」
土屋は尋ねる。
「いいえ、司法解剖から薬物は出ませんでした」
津川は答えた。
「そして……このルーズリーフです」
亀田がコピーの一覧を示す。
「漢字だらけですな、これは……写経かなにかですかね?」
「可能性はありますが……仏さんの仕事を考えると」
その言葉は誰かが言ったのか、それとも土屋自身が無意識に言ったのか――
「なんらかの……古文書の写し?」
会議室に、沈黙がおりた。
「となると……三重の伝承の古文書を片っ端から当たることになりますか」
三重県警察の津川刑事が腕組みをする。
「自殺の動機調べに、そこまでの人員が割けるかどうか、ですな」
亀田刑事も渋い顔になる。
「あの……古文書と民俗学についてですが……」
会議室の視線が、土屋に向く。
「知人に専門家が、一人おります」
土屋は言った。
「城南大学の、文学部に」
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