顕現

日本国営放送N K H 渋谷放送センター/東京都渋谷区/日本国

平成33年9月21日 午後1時00分(日本標準時)


「――何の音だ?」

 フロア内にいた職員の何人かは、宙に視線をさまよわせた。


 その直後だった。

緊急地震警報E E W出たぞ! 三重沖だ!」

 特徴的なアラーム音とともに、担当者のPCモニタには、気象庁からの速報が映し出された。

「熊野灘の地震津波観測監視網D O N E Tからも来てる!」

「Aフロア用意しろ!」

「……


 熊野灘は、かねてより東南海トラフ巨大地震発生が予想される地域となっていた。通常の地震速報報道訓練に加え、この地域での地震に関しては特別な報道態勢となることを見越し、あらゆる部署が綿密な連携を図っていたところであった。どうやら『』が来たのだ。


「Aフロア出せます!」

 戦闘機の緊急発進スクランブルさながらに、ニュースセンターAフロアでは第一報の準備が整えられた。アナウンサー手元の端末には、気象庁からのデータを元に、自動生成されたアナウンサー用原稿が既に表示されていた。


『緊急地震警報が出ました。三重県、和歌山県、愛知県。該当地域の方は、強い揺れに備えてください。警報から揺れまではわずかな時間しかありません。落下物から身を守ってください。棚や崩れやすい家具から離れてください。緊急地震警報が出ました。』

 アナウンサーは努めて冷静な口調で、訓練通り第一報を伝える。しかし、送出フロアでは混乱が起こっていた。


「和歌山と愛知の実測どうなってる!?」

「S波は閾値しきいち超えてない、むしろ関東のP波マグニチュードが警報レベルになってる」

「地図追加出せるか?」

「もう出てる。三重と埼玉と東京で5強の予測」

「あたま気をつけろ! 外撮れるか!?」

「端末には続報出てるな!? 関東のやつ読んでくれ!」


『緊急地震警報が更新されました。埼玉県、東京都、千葉県。強い揺れに備えてください。埼玉、東京、千葉は、強い揺れに備えてください。警報からすぐに強い揺れが来ます。身の安全を確保してください。落下物から頭を守ってください。倒れやすい家具から離れてください。揺れが収まってから、火の始末をしてください。』

 困惑を面に出すことなく、アナウンサーは続けた。原稿を読み上げる間に、渋谷のスタジオでも縦揺れが始まった。


「揺れる! 東京揺れてるぞ!」

「代々木撮って撮って!」

「福島、新潟、宮城、山形、震度4予測」

「名古屋震度3だ、どうなってる」

「最大震度まだか!」

 普通の地震であれば、震源を中心とした同心円上に震度が分布していく。しかし、三重はともかくとして、和歌山と愛知では比較的小規模な揺れにとどまっているのだ。一方で、最初の縦揺れから想定される震度は、関東や南東北のほうが大きくなっていた。


『現在、渋谷のスタジオでも揺れを感じています。東京も揺れています。渋谷の国営放送スタジオでも大きな揺れを感じています。落ち着いて対処してください。まず身の安全を確保してください。揺れが収まってから、火の始末をしてください。揺れが始まってから10秒以上経過しています。どうか安全な場所で、揺れが収まるのを待ってください。』


「三重県で震度5強! 三重県の赤牟町あかむちょうで震度5強!」

「震度5弱が埼玉……東京、千葉、神奈川。どうなってんだよ一体」

じゃないのか!?」

 海溝のプレート境界を震源とする地震では、このような震度分布にはならないはずなのだ。

「最大震度を先に読んでくれ、念のため海から離せ!」


『最大震度が出ました。最大震度は、震度5強を三重県で観測してます。赤牟島あかむしま赤牟町あかむちょうで震度5強を観測しています。震度5強です。仮に震源が海底ですと津波のおそれがあります。揺れの強かった海岸付近や川の河口付近から、直ちに離れてください。少しでも高い場所へ避難してください。決して立ち止まらず、少しでも高い場所、海から離れた場所を目指してください』


「震源と規模まだか? ……おい!」

 コンソールの前で、ひとりの職員が固まっている

「いや……来てるんだが……」

「なら早く出せ!」

 その剣幕に押され、ためらいがちに彼は答えた。

「深さ……400km。マグニチュードは8.0」

「バカ言え、それは緊急地震警報E E Wの第何報だ」

「最終報だ。訂正報もない、いまのところ最新のデータだ」

「400kmということは……津波は?」

「150km以遠での津波は考えにくい」

「……わかった。震度読み上げ頼む。津波情報は出ていない」


『各地の震度をお知らせします。震度5強が、三重県赤牟町。震度5弱が埼玉北部、埼玉南部、千葉南部、東京23区、神奈川東部、神奈川西部。震度4が山形南部、宮城南部、宮城中部、茨城南部、栃木南部、群馬南部、千葉北東部、千葉北西部、長野中部で観測されています。』

 

「震度3以下は……ダメだ、多すぎる。無感含めれば47都道府県全部揺れてやがる」

「本当にマグニチュード8規模だっていうのか」

「深さ400kmならプレートの下だ、異常震域いじょうしんいきが出ることも十分ありうる」


 固いプレートと呼ばれる地面構造のはるか下で地震が発生した場合、地下に潜り込むプレート伝いに揺れが伝播することで、震源に近い地表よりも遠方の地表の揺れが大きくなることがある。これを異常震域と呼ぶ。


「……なるほど。津波情報なし、潮位の変化だけ注意するよう伝えてくれ」


『13時00分頃、三重県南東沖を震源とする地震がありました。最大震度5強を三重県、震度5弱を埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県で観測しています。震源の深さは約400km、地震の規模を示すマグニチュードは、8.0と推定されています。若干の潮位の変化はあるかもしれませんが、この地震による津波の心配はありません。繰り返します、この地震による津波の心配はありません。』


「まずは……三重局につないでくれ。あと関東の被害状況把握頼む」

「自治体にはつながるまで連絡だ」

「代々木方面では火の気は見えない」


 国難とされる大震災とならなかったことに、フロアもアナウンサーもひとまずは――面に出さずとも――安堵していた。


 しかし、彼らは本当の『』がことなど、知るよしもなかった。


 彼らのうちの何人かは、最初の警報の直前に、あるものを感じ取っていた。それはくぐもったオーボエの低音のようであり、霧笛のようであって、なおかつ地鳴りとは別の禍々しい響きだった。


 そして、直後の混乱がなければ、気づいていたはずなのだ。

 ――その音が、ということに。

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