桃から生まれてしまった男④
ー4 感情:恐怖、悲嘆ー
あれから桃太郎はどこへ旅立ったか。北の雪国へ消えたとも、南の孤島に流れたとも聞きます。
しかし、いずれも嘘でした。お爺さんやお婆さんを欺くための虚報だったのです。
彼は1人、都へ登っていました。
「どうですか、桃の旦那! まさに、この世の極楽じゃありませんか!」
桃太郎は、都の一画に豪邸を建てて、そこに住みました。下男下女を多く雇い、来る客も拒むこと無く、平等にもてなします。
そのため、桃太郎の館は大賑わいです。飽きもせず酒池肉林。連日訪れる客も海千山千。朝から晩どころか、夜中でさえも宴会騒ぎとなりました。
そんな暮らしを維持できたのも、膨大な『あぶく銭』があるお陰でした。
「旦那様ぁ。暗い顔してないで、一緒に飲みましょう?」
「旦那旦那。この娘は京でも一番の美人ですぜ。へへ、へへっ。どうにか頑張って連れてきたんで、アッシの事をお忘れなく」
それでも桃太郎は浮かない顔です。いかなる美食も、どんな美女が相手でも、心の虚しさを埋めてはくれませんでした。
一時の快楽など、何になるのでしょう。むしろ、心が渇くのを感じるばかりです。
「私は、一体何者なのだ……。何のために生を受けた……!」
桃太郎は、毎晩のようにうなされました。そして、悪夢を見ては飛び起きるのです。
彼を苦しめるのは、アイデンティティの欠如でした。愛されず、認められず、しかし金だけは有り余る。多くの人が集まっても、下心しかありません。
大衆の中の孤独は、経験の無い痛苦を教えてくれました。人は多く居ても、分かり合える者は居ない。これならいっそ、山中で孤立した方がマシでした。
「私は、本当に必要とされているのだろうか。この余生は何のためにあるのだろうか。今の光景が人生の終点だとしたら、何と味気ない……」
寝所からは中庭が見えます。そこでは、今も飲めや歌えやの大騒ぎ。かがり火もたくさん並べているので、真昼のような明るさです。それを眺めているだけで、不意に胸が痛みを覚えます。
堪えかねて顔をそらすと、ふと目が留まります。枕元に愛用の刀がありました。無銘ですが、切れ味だけは良いと評判の一振りです。
「いっそのこと消えてしまおうか。このまま長々と生きていても、実に退屈ではないか」
桃太郎が刀を手にした、まさにその時です。外は突然、別の意味で騒がしくなりました。ツンと鼻をつくような、殺伐とした気配も感じられます。
間もなく悲鳴と怒号が聞こえ、辺りは戦火に包まれてしまいました。
「桃太郎はどこだ! 出てこい!」
「財宝を独り占めにしやがって、その首をはねてやるぞ!」
故郷の村人達です。彼らは桃太郎の偽装工作を見破るなり、一丸となって都へ押し掛けたのです。
暴徒と化した村人を率いるのは、お爺さんとお婆さんでした。先陣切ってカマや斧を振り回し、京人たちを威嚇します。
桃太郎は、そんな光景を眺めるうち、小さな笑みを浮かべました。
「ふっ、ふふっ。これは何という皮肉。感動の再会とは、こういうものを指すのか……!」
桃太郎は寝間着のまま、刀を手に取り、階下へと降りてゆきました。
そして向き合うのです。かつて、不純な動機で育ててくれた、老夫婦の2人と。
「どうやらお元気そうですね、お爺さん」
「来たか桃太郎! この恩知らずめが!」
「人聞きの悪い。恩なら既に報いました。たった数粒でも、底辺庶民には望外の報酬だったはず」
「あんなもの、はした金じゃ。婆さんが博打を一晩やったら、全てが溶けて消えたわ。なぁ婆さんや?」
「あの晩は負けがこんでてね、少し突っ張ってしまったわ。恥ずかしい話よね」
お婆さんは、反省の弁を口にしました。しかし瞳は獣のように獰猛です。口の端からも、舌の先が見え隠れします。
「でも、もう安心よね。ここには莫大な金がある。一生賭け事をしても使い切れないだけの、凄まじい富が!」
「そういうことじゃ。観念するのだ桃太郎」
「観念、ですか」
「だが我らとで鬼ではない。この屋敷を明け渡し、財宝も全て差し出すのであれば、命ばかりは助けてやろう」
「ふっ、ふふっ。これがニンゲンというものですか。私は今、この瞬間、桃から生まれたことに感謝していますよ」
「急に何を言い出す」
「もしお前らのような、外道と同じ種族だったとしたら……。運命を呪っていた所だ!」
桃太郎はそう叫ぶと、かがり火を蹴倒しました。火は瞬く間に屋敷に燃え移り、大きな大きな炎となりました。
「な、何ということを! 気でも狂ったのか!?」
「私は至って平静です。貴様らに譲るくらいなら、全てを灰にしてやりますよ」
「くっ……こしゃくな真似を! 者共、一旦退がれ! このままでは焼け死ぬぞ!」
村人たちは速やかに退散しました。大勢の客人も、下男下女も、既に逃げ去った後です。燃え続ける屋敷には、もはや桃太郎しか居ません。
「ふっ、ふふっ。何だったのだろう、この人生は。いや、そもそも人では無かったか」
枯山水(かれさんすい)の上で寝転び、夜空を見上げました。星は煌めき、満月も艷やかです。
せめて最期くらいは、美しい心で。この身が焼け落ちるまで、穏やかな心で居たい。
そう思っていた所、空を何かが横切りました。そして、ぐるぐると視界の先を飛び続けるのです。
「ピーーヒョロロッ。ピーーヒョロロ!」
「あの声は、もしや……?」
桃太郎はおもむろに立ち上がりました。するとそこへ、軽快に跳ね回る小動物がやって来ました。
「うきっきーー!」
「お前はあの時の……?」
「うきっ、うきっ!」
「何だ。私をどこへ連れて行こうと?」
猿の導きに従い、向かった先は松の木です。枝から布切れが垂れ下がっています。
「猿よ。ここから脱出しろと?」
「うきっきーー」
「今更なぜだ。私を恨んではいないのか?」
「うきっ! うきっ!」
「分かった。そう急(せ)くな」
桃太郎は猿を抱えて、布を掴みました。そして力いっぱいに反動をつけて、大きく大きく飛び跳ねました。
塀を越え、屋根を越す程に飛びました。視界を埋め尽くす夜空の星々。ほんのひと時だけ、心を奪われた想いになります。
しかし、見惚れたのも束の間でした。桃太郎は、戦機の残る地上へと着地しました。
「とりあえずは塀の外に逃れたか。だが、安堵するには早いか……」
火災から逃げ切ったのですが、窮地は続きます。屋敷から逃げる姿を、村人たちに見られたのです。
――桃太郎が逃げたぞ、追え!
――決して逃がすなよ! 包囲網を崩すな!
村人たちは殺る気です。桃太郎も刀を抜き放ち、交戦の意志を露わにします。
しかし、そこへ犬が現れては、桃太郎の手を舐めました。
「お前まで来たのか。一体どうして」
「わんわん」
「もしや、お前も私を連れてゆこうというのか?」
「わんわん」
「分かった、そう急くな」
犬は、路地を右に左にへと行きました。時には廃屋を通り、鼎(かなえ)の中に潜むなどしました。
そうして逃げ続けると、やがて都の外れまで辿り着きました。
今となっては何もかもが遠く思えます。燃え盛る屋敷も、夜空に響き渡る怒号も。
「犬よ。お前のお陰で無事、逃げ切る事が出来た。感謝する」
「わんわん」
「猿も、よく危険な所に現れてくれたな。百人力であった」
「うきっきーー」
「そもそも、キジが私を見つけてくれたのだな。お手柄だ」
「ピーーヒョロロ」
「しかし分からぬ。お前たちとは縁を切ったはずだ。なぜ私に関わろうとする?」
お供の3匹は、何も語らず、その場から離れようとしません。
「そうか、キビダンゴだな? あれはもう無いぞ。全てお前たちにくれてやった」
しかし、3匹は離れません。ジッと桃太郎を見続けます。
「新しい団子を買う金もない、飼ってやるだけの屋敷もない。全てが灰になったのだ」
それでも3匹は動こうとしません。真っ直ぐな瞳を向けるばかりです。
桃太郎は戸惑います。そして考えあぐねた結果、静かに尋ねてみました。
「まさかとは思うが。また旅をしようとでも?」
「わんわん!」
「うきっきーー!」
「ピーーヒョロロ!」
「言葉が通じた……? いやまさか、偶然に違いない」
桃太郎はむず痒くなり、眉間を揉みほぐしました。
その間、犬は桃太郎の左脇に座り、反対側に猿が立ちました。そして桃太郎の肩にはキジが止まります。
皆が皆、頼もしい顔つきでした。
「まぁ、よかろう。私も暇を持て余していたところだ。お前たちの気が済むまで、旅に付き合ってやる」
こうして、桃太郎達はいずこかへと立ち去りました。
「ところでキジよ」
「ピーーヒョロロ」
「お前、実はキジではないな? 何という名の鳥だ?」
「ピーーヒョロロ!」
「なるほど。さっぱり分からぬ」
ここで彼らの消息は途絶えました。辿るとすれば、とても断片的なものとなります。
それも、どこかの野武士を成敗したとか、山の妖怪を打ち倒したなどと、一貫性のないものばかりです。
場所も事柄もまちまちで、とても同一人物とは思えません。
しかし助けられた人々は、感謝の念と共に語り継ぐのです。
あの精悍な若者には、絶えず3匹の家来が寄り添っていた、と。
ー完ー
【緊急企画】プルチックの感情の輪を味わい尽くせ! おもちさん @Omotty
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