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 泣き出しそうな表情のまま語り終えた美咲を見ながら、片岡はドアの脇の壁に寄りかかり小さく息をついた。

 自己紹介を終えたあと、弦月は有無を言わさず二人を奥の部屋に案内した。さっさと荷物を渡して帰ろうとした片岡をも、だ。嫌だ帰るとごねたところでこの青年に敵うわけもなく、仕方ないからと部屋の片隅で美咲の話を聞くことにした。

 その判断を、五分後に後悔したが。

 美咲の話を聞く限り、かなり厄介な気配がする。

 それはもうプンプンする。

 むしろ厄介な気配しかしない。

 チラリと視線を弦月に向けると、彼は机の上で指を組み、相変わらず心意の読めない笑顔を美咲に向けている。


「コインロッカーの中には、何が御座いましたか?」


 穏やかに微笑みながらそう問われ、始めは躊躇したが、彼女はカバンの中から小さなスティック状の機械を取り出した。一言断ってから、弦月はそれを手にとり観察を始める。細部まで見つめる彼の目は、真剣そのものだった。


「中身は拝見されましたか?」

「はい。けど、何のデータも入っていないんです」


 片岡が見たところ、何の変てつもないただのUSBメモリだ。おまけに何も入っていないとなると、そんな意味深なことをする必要などないんではないかとすら感じる。

 だが、そんな片岡とは裏腹に、弦月は真剣な表情でUSBメモリを見つめていた。


「兄上の勤めてらっしゃる会社は、何と仰いましたか?」

幡中はたなか製薬です」

「……幡中製薬……」


 ポツリと呟き、弦月はUSBメモリを蛍光灯に翳した。

 目をスッと細め、酷く残虐に、けれど新しいおもちゃを手に入れた子供のような無邪気さで彼は薄く笑う。

 たかだかUSBメモリ一つにそんな表情を浮かべる弦月に、片岡は訝しげに首を傾げた。

 けれど、弦月がそんな笑みを浮かべていたのはほんの一瞬。次に美咲へ視線を向けた時には、彼は既にいつもの読めない笑顔に戻っていた。

 不安そうにしている美咲に穏やかに微笑みかけ、弦月はUSBメモリを指で指す。


「中々面白い模様ですね」


 USBメモリの表面には、大中小様々な木片で複雑に模様が作られていて、片岡はどこかコジャレた印象を受けた。

 弦月の問いに、美咲は初めて小さな笑みを浮かべる。


「あぁ、兄は寄せ木細工が好きだったんです。

だからソレも寄せ木細工っぽいやつにしたんじゃないでしょうか」


 彼女の答えに「そうでしたか」と穏やかに返し、彼はまたUSBメモリに視線を向けた。

 USBメモリには小ぶりな鈴がいくつも連なっていて、弦月が手を動かす度に涼やかな音色を立てる。

 弦月はその音色を楽しむかのようにわざとUSBメモリを振り、響く音に目を細めた。


「此のUSBメモリ、しばらくお預かりしても宜しいですか?」

「え?」


 唐突な発言に、美咲は目を丸くした。それを、良く聞き取れなかったためと受け取ったのか、弦月は美咲の目を見つ心持ちゆっくりと同じ言葉を繰り返す。


「此のUSBメモリを、暫くお預かりしても宜しいですか?」


 穏やかだが、有無を言わさぬ口調。

 抗えぬ『何か』に動かされたかのように、美咲は小さく頷いた。

「有り難う御座います」と微笑むその顔は、彼女が、そうとしか答えないことを見越していたかのようにすら見え、片岡は戦慄した。

 無事預かることになったUSBメモリを机の端に置き、弦月は美咲を見て小首を傾げる。


「今更ながら、御代は如何程いかほど頂けるのでしょうか?

 申し訳無いのですが、当店はボランティアでは御座いません。

 れ相応の金額を頂く決まりでして……」


 表面上は申し訳なさそうに微笑む弦月に、美咲は慌ててカバンから一冊の通帳を取り出した。


「コ、コレがあたしの全財産ですっ!」


 必死な表情の美咲から通帳を受け取り、中身を確認した弦月がスッと目を細めた。後ろから同じように通帳を覗き込み、片岡は内心ため息をつく。

 確かに、美咲の預金残高は、同年代の子に比べたらかなり多いだろう。

 けれど、足りない。

 弦月の報酬額は法外なことで有名だ。それでも、払う価値があるからと客はやってくる。だから商売が成り立つ。

 こりゃ断られるな。

 心の中でこの哀れな少女に同情した片岡の予想を裏切り、弦月は視線を通帳から美咲へと移した。

 そして、今までと同じ口調、同じ表情で、


「所で、我の店を何処で知ったのですかな?」

「……へ?」


 弦月の問いに、美咲だけでなく片岡も目を丸くした。

 二人の反応にのほほんと笑いながら、弦月は言葉を続ける。


「貴女は未だ若い。我の話をするような友達が居るとも考えがたい。

 はて。其れでは何故此方ここにいらしたのでしょうか?

 ……何方どちらで我の事を知りにったのですか?」


 片岡は、それを聞いてハッとした。

 弦月の仕事は、表向きは『骨董屋』だ。今日片岡が持ってきたのも、それに関連する商品だったりする。

 だが、ただの『骨董屋』に人探しなど頼もうとは思わない。畑違いにも程がある。

 それでも、彼女は来た。

 加えて、この店の暗号すら知っていた。

 弦月のは、おおっぴらに公言出来る類いの物ではない。当然依頼人は皆それを承知している。だから噂話など流れない。

 それなのにこんな少女が知っているということは、誰かが漏らしたと言うことだ。これは信用問題に関わる。

 口調は軽いが、弦月の目は真剣だった。

 弦月の気迫に圧されたのか、若干怯えながら美咲はモジモジと指で遊ぶ。


「おばあちゃ……祖母から、聞きました」

祖母?」

「はい。困ったことがあったら何でも屋さんに頼みなさいって」

「御祖母の名前は?」

「紗枝。野川紗枝です」


 美咲が告げた名に、弦月は目を見開いた。

 めったに表情を変えない、ましてや驚くなんて本当に稀な弦月の変化に、片岡は首を傾げる。何か問題でもあるんだろうか。

 弦月の変化は一瞬で、次いで彼は寂しげに愛しげに微笑み「彼女か……」と小さく呟いた。

その呟きの意味を美咲が問うより早く、弦月は通帳を返し穏やかな笑みを向けた。


「此の仕事、お受け致します」

「マジかよ弦さん?!」


 思わず声を上げた片岡を無視し、彼は、あからさまにホッとした様子で息をつく美咲に微笑みかける。


「期日は一週間で如何いかがですか?」

「そんなに早く?!」

「はい。

 ……一日でも早い方が宜しいでしょう?」


 労るような弦月の言葉に、美咲の目から涙が零れた。

 張りつめた緊張の糸が切れ、今まで耐えていた分を補うように、涙は止めどなく彼女の頬を濡らす。嗚咽を溢しながら、何度も「ありがとうございます」と繰り返し両手で顔を覆い机に突っ伏すその姿は、やはりまだ幼い子どもの姿だった。

 弦月は、ただ優しくそれを見つめていた。

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