第45話 尻軽女の牽制

 金曜日、午後を迎えて始まった五時限目。


 あと数時間を乗り切れば自由な週末が控えているというのに、二年A組の教室には、パンパンに張り詰めた風船に針を近づけるかのような、緊迫した空気が充満していた。


 その原因は、いたって単純明快。


 二年A組の五時限科目は、英語――校内で一番厳格と評されている羽場はば先生の目下にあるうちは、誰も羽目を外せるわけなどなかった。


「それじゃあ、この前の小テストを返していくぞ。……それじゃあまず、網谷」


「はーーい」


「間延びした返事をするなと、何度注意したら分かるんだ」


 サボりの常習犯であった網谷さんが授業に出席している光景はもはや通常と化し、小テストの分配は順調に行われていった。


 そして、全員にテスト用紙が行き渡ったところで、羽場先生は重々しく口を開く。


「あーー、今回の小テストだが、今回も成績上位者の名を挙げていこうと思う。まず一位は、宇田うだ。二位は不破ふわ。そして、その次が……」


 羽場先生はそこまで言い切り、僕と網谷さんのほうをじろりと睨む。


「三位は四季しき、そして……あーー、四位は網谷あみや、という結果になった」


 ざわっ……!


 羽場先生の発表に、静まり返っていた教室内は生徒たちの驚きで騒がしくなる。


「網谷が四季に続いて四番目……!?」

「あの不真面目で自堕落な網谷さんが……?」

「何か卑怯な手を使ったんじゃないのか……?」


 当の網谷さんがどこ吹く風なのをいいことに、クラスメイトは小声で好き勝手に会話を交わす。


(網谷さんがかつて、親の都合で進学校に通っていた過去を知ってるのは、このなかで僕一人だけだもんね……)


 もともと地頭の良かった網谷さんにとって、小テストで好成績を叩き出すことなど、造作もなかったことなのだろう。


 だが、そのことを微塵も知らないクラスメイトは、クラスで四番目の高得点を取った網谷さんに、嫉妬と嫌疑の視線を向けてくる。


「あーー……オホン」


 教壇に立つ羽場先生が白々しく咳ばらいをすると、騒がしかった教室内に再び静寂が訪れる。


「この際だから単刀直入に発言するが……網谷、ここ最近のお前の突然の豹変ぶりには驚かざるを得ない。授業中の態度もそうだが、何よりあからさまに上昇した小テストの得点。……何か、やましい手を使ったんじゃないだろうな?」


 カンニングどころか妥協すら許さない羽場先生が向けるのは、射抜くような嫌疑と逃げ道を断つような追及の眼差し。


 僕だったら失禁してしまいそうな鋭い眼光に、網谷さんは動じることもなく、教壇に向かって姿勢を正した後。


「やだなぁ、羽場センセー。まさかアタシが、カンニングしたとでも思ってるんですかぁ?」


 けらけらと笑いながら、室内の空気を懐柔するようなおどけた様子を見せる。


「アタシはただ単に、勉強にマジになろうかなぁって少し本気を出しただけですよぉ。それに、『態度で示すより成績で示せ』……なんて小テスト前に言ったのは、他でもない羽場センセーじゃないですかぁ」


「む……確かに、それはそうだが……」


 自分でくぎを刺した生徒を疑うのはさすがに気が引けたのか、羽場先生は少しバツが悪そうに身じろぎする。


「それにぃ、アタシが今日みたいな好成績を出せたのはぁ……他でもない、たくちんのお陰ですよぉ♪」


 むぎゅっ!


「ひぅっっ!?」


 隣の網谷さんに突然肩を組まれ、胸に彼女の豊満な乳房の柔らかい感触を感じた僕は、情けない声を漏らしてしまう。


「四季が……?」


「そうなんですよぉ。アタシが勉強分かんないから教えてって頼み込んだら、たくちんが同意してくれてぇ。放課後に一緒に勉強してたんですけど、彼メチャクチャ教え方上手いんですよぉ。今回の小テストが楽勝だったのも、たくちんがアタシの面倒みてくれたから、的な♪」


「確かに、網谷と四季が最近つるんでるのをよく見かけるよな……」

「私、校舎端の自習室で二人が勉強してるのを、外から見かけたよ?」

「じゃあ、今回の網谷の点数は、四季君との合同勉強によるもの……?」


 重圧をものともしない網谷さんの言い分に、羽場先生とクラスメイトが網谷さんに向ける疑いの眼差しは徐々に薄まっていく。


「先生!僕からも発言していいでしょうか!」


 突然手を上げ立ち上がったのは、それまで口を閉ざし成り行きを見守っていた不破ふわ君であった。


「以前、『勉強に真面目に向き合ってみる』と自ら打ち明けた網谷さんに対し、勤勉で努力家な四季君を彼女のサポートにあてがったのは、僕の提案でもあります。それは僕が、四季君の良き隣人として、彼が『人を変えられる力がある』と信じたからです。結果、網谷さんは勉学に臨み、こうして好成績を獲得するまでに至りました。以前までの彼女の姿勢を知っている僕たちとしても、今一度彼女の成績を素直に認め、褒め称えるべきではないでしょうか」


 不破君の発言に、羽場先生は顎に手を当てて、少し黙考したあと。


「確かに、成績優秀な四季が網谷の勉強のサポートをしたとなれば、今回の点数にも合点がいく。……私としたことが、勉学に真摯に向き合った生徒を疑うなど、教員失格だな」


 羽場先生はそう言いながら、その険しい顔を綻ばせる。


「網谷、のちに控えている中間試験に向けて、その調子で勉強に励んでくれ。そして四季。網谷のサポートご苦労だった。もしよければ、今後も網谷の勉強のサポートを継続してくれないか?」


「……は、はい」


 羽場先生の純粋な善意、かたや網谷さんによる綿密な包囲網に絡み取られた僕は、ぎこちない返事をすることしかできず。


 それを知らないクラスメイトは、一斉に賑やかしくなる。


「勉強を教えられる四季くんも凄いけど、網谷さんも見直しちゃった」


「なんかあの二人、男女の仲としても相性よさそうだもんねー」


「お、俺も四季に勉強を教えてもらおうかな……」


「それでこそ僕の良き親友ライバルだ、四季君………!」


「くっ…………!」


 朗らかに笑いあうクラスメイトの中、ただ一人網谷さんの本性を知っている宇田うださんは、彼女を恨まし気に見つめていた。


「それじゃ、これからもよろしくだねっ、たくちん♪」


『コレでもう、逃げられないね♡』


「…………う、うん」


 僕に向ける網谷さんの可愛らしい笑みには、そんな本音が秘められているように感じ取れた。



 そのあと行われた、美少女二人あみやさんとうださんによる火花を散らすような熾烈なにらみ合いに僕以外の誰もが気付かないまま、五時限目の英語は何事もなく再開されるのだった。


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