第39話 真面目系男子の決意
幼いころの網谷さんにのしかかった、余りにも重すぎる壮絶な過去。
そしてそれらを乗り越えたうえで行き着いた、彼女なりの生きざま。
それらを聞いた僕は、思考を束ね結論を出すために、しばし口をつぐんでいた。
そして。
「……だとしても、僕は、人生は清くあるべきだと思う」
脚色一つない、ありのままの思いの丈を口にした。
「……やっぱ、たくちんはそっち側の人間だよね」
僕に向ける網谷さんの柔らかい微笑は、一抹の優しさとも、ある種の諦めとも感じ取れた。
「真面目に生きて、一つのことに全力になって、互いを尊重する。それは確かに窮屈に感じるかもしれないけれど、だからこそ、そういった生き方を貫いた人のために、自由ができる喜びが享受されるべきだと思う」
「ま、たくちんはアタシの甘言に流されないだろうな、とは薄々思ってたよ」
頬杖を突く網谷さんに対し、姿勢を傾けて彼女の眼を正面から見据える。
「そして僕は、網谷さんにそういう生き方に戻ってほしい、と思ってる」
「……………………は?」
僕の言葉に拍子抜けした網谷さんは、目を見開きぽかんと口を開ける。
「小学生のころの網谷さんみたいに、何かに誠実で、誰かにひたむきで、人生に前向きな網谷さんに戻ってほしいって、僕は心の底から思ってる」
「ちょ、ちょっと待って、たくちん」
その時初めて、慌てた様子の網谷さんから「待った」の声がかけられる。
「アタシの身の上話聞いてたでしょ?アタシはアタシの限界を知って、親にも愛想つかされて、人一倍強い性欲に正直になって、その上オヤジに犯されそうになったんだよ?そんな過去を過ごして、今はほぼ人生諦めてるアタシに更生してほしいって?」
「うん」
間を待たない僕からの返事に、呆れた様子の網谷さんは「はぁ~~~……」と仰々しくため息をつく。
「何事にも前向きで真面目なのはたくちんの取り柄だと思うけど、アタシみたいなビッチの今後のことまで杞憂してるってなると、さすがに見過ごせないんだけど」
「そこで僕を突き放そうとしないあたりが、網谷さんなりに僕の意見を尊重してくれてるようで嬉しいよ」
「…………相も変わらず『こんな変わり者とセックスしたい』ってムラついてる、アタシとたくちんに呆れてるだけだよ」
互いに軽口を交わしあい、場の空気を和ませる。
「でも、そうだね……アタシに更生してほしいって、真正面から啖呵きってくれたの、たくちんが久しぶりかも」
「そうなの?」
「そ。クラスの奴らとか、教師の反応とか見てりゃわかるでしょ?『コイツには何を言っても無駄なんだ』って、直に言われなくとも感じ取れるじゃん。アタシもそういう生き方を選択したわけだから、とやかく言うことはないけど……たくちんだけは、違うみたいだね」
「……網谷さんに更生してほしいっていうのは、半分網谷さんのためでもあるし、もう半分は自分のためでもあるんだ」
「たくちんのため?」
不思議そうな顔を向ける網谷さんに対し、心に秘めていた思いを暴露することを決意する。
「……僕のお父さんは合併症を患って、病院での闘病生活も虚しく……一年前に、死んじゃったんだ」
鼻腔の奥が、ツンと痛くなるのを感じた。
目頭から何か噴き出そうになるのを堪えた。
忘れることなんてありえない、許されない。
あってほしくなかった、愛する父親との死別。
それを網谷さんに打ち明けた。
「僕もお母さんも、父さんとの永遠の別れからはしばらく立ち直れなかった。それでも時間がたつにつれて、僕たちは悲しみを乗り越えて、人生を前向きに生きていこうって決めたんだ」
僕の身の上話を聞く網谷さんは、口を閉ざしてこちらを見つめ続けている。
「これは今も変わらない思いだけれど、僕はずっと、お父さんに元気で居続けてほしかった。それはお父さんも同じ思いだったと思う。……だからこそ、許せないんだ。言い方は悪いけれど、自分の人生を見限って、これから迎えるかもしれない破滅に甘んじてる、網谷さんのことが。社会に、未来に、他人に、何より自分自身に絶望してる網谷さんを、僕すらも見放してしまったら、僕は今後一切、僕のことを誇れないと思う。だからこそ網谷さんには、窮屈で退屈でも、誰かを、何かを信じられる生き方に戻ってほしいんだ」
「……いつかくる別れが来ても、「じゃあまたね」って笑顔で言える、未来のために」
僕は心の底からの思いを吐露した後、網谷さんを正面から見据える。
彼女は無表情のまま、こちらの思考を見透かすように目を細め、
「……たくちんってホントに、絵に描いたようないいコなんだね。そういう理由で、アタシに真人間に戻ってほしいって思ってるんだ」
「そう。それで、網谷さんの意思は……」
「無理」
網谷さんからの返答は、極めて端的なものだった。
「たくちんとは、ただ気持ちのいいセックスがしたいだけ。何なら、ヤることヤって満足したら、別の男とヤリだすとこまで考えてるから。たくちんの思いが本当だったとしても、アタシは絶対に懐柔されないよ」
「…………そうだよね」
たはは、と苦笑いをすると、むしろ網谷さんが不意を突かれたように目を見開く。
「網谷さんのことを知ったのは、僕がこの学校に転校してきた一か月前のことで、網谷さんと本格的なかかわりを持ち始めたのは、ほんの一週間前のことだもん。数年間自分なりの生き方を貫いてきた網谷さんをどうにかできるなんて思ってるほど、僕は僕を過大評価してないんだ」
「へぇ。つまり、これから長い時間をかけて、アタシを真人間に戻して見せる…………そういうコト?」
「うん。僕は何が何でも、網谷さんの色仕掛けには乗っからない。そして、網谷さんには何としても、人生に希望を見出させて、社会に順応できるような真人間に戻して見せる」
「…………ふぅん?」
僕の意気込みを聞いた網谷さんは、ようやく彼女らしい、小意地悪かつ可愛らしい笑みを美顔に浮かべる。
「それじゃ、コレはアタシとたくちんの駆け引きってことだね?アタシの色仕掛けが通用して、たくちんが乗っかったらアタシの勝ち。たくちんが理性を保って、アタシを真人間に戻すことができたらたくちんの勝ち。そういうコトでしょ?」
「そ、そうなるね」
「あはっ!面白ソーじゃん。ビッチのアタシとしては早くハメたいところだけど、そういう勝負事は悪くないかな。いいよ、のったげる」
快活に笑う彼女を見て、心の奥でホッと安堵する。
「余計なお世話」「何様」などと悪態をつかれて、この関係が断たれてしまう未来を創造し、恐怖する自分がいたからだ。
……とそこで、体を駆け巡る悪寒に肩を震わせる。
「っと、ちょっとごめん……お手洗いに行きたいから、席を離れてもいいかな?」
「うん、別にいいよん」
網谷さんに断りを入れ、席を立つ。
……とそこで、僕は出入口へ向かう歩みをぴたりと止め、改めて網谷さんに向き直る。
「もしかしたら網谷さんは、僕のことをあまり信じ切ってないのかもしれないけれど」
「うん?」
「僕は、心の底から網谷さんに真人間に戻ってほしいって思ってる。網谷さんがどんな選択をしようと、僕は絶対に、網谷さんのことを、見限ったり、見放したり、見捨てたりしないから。それだけは覚えておいて」
今日で何度目になるかもわからない、心からの本音を彼女にぶつけると。
「…………」
スマホから顔を上げた網谷さんは、少しの間ポカンとしたのち。
「あっそ」
そっけない反応を返してから、視線をまたスマホに移す。
彼女の背後にいる僕は、伏している彼女の表情をうかがい知ることはできない。
だけど……もし彼女が、その一言を聞いて、心が揺さぶられたなら。
そして、心の片隅にでも留めていられるなら。
網谷さんは、まだ真人間に更生できる可能性が秘められている。
僕はそう思いながら、先ほどよりも幾分か軽い心もちで、図書館から出ていくのだった。
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