第35話 くらりへの疑惑②

「あははっ。たくちんがそう推測するってことは、それなりの理由があるんでしょ?」


 僕からの問いかけを網谷はすぐに否定せず、こちらを試すように身を乗り出す。

 網谷から貰った小テストの解答用紙を手に持った僕は、一度大きく息を吸い込み、自分の考えを話せる心境になるまで呼吸を整える。


「えっと……まずはこの、網谷さんに見せてもらった、英語の小テストの解答用紙なんだけど……誤答の傾向がちぐはぐなんだ」

「?どういうこと?」


「僕はいつも、虎井君と粕田君の勉強もサポートしてるからわかるんだけど……二人がテスト内で引き起こした誤答っていうのは、それぞれの苦手な分野に起因するものなんだ」


「例えば虎井君は、英単語の文字列をうまく覚えられないことによる、記入ミス。粕田君は、慣れない英文を読み続けることによって引き起こされる、文法ミス。さらに言えば、成績優秀な不破君も、全問解答後の慢心からくるケアレスミスをよくするんだ」


「……それで?」

「……ただ網谷さんの誤答は、整合性が釣り合わない。誰でも覚えられるはずの簡単な英単語を間違えてるし、選択問題の正答誤答もちぐはぐ。これは僕の推測だけど……、みたいな……」


 自分の推察を言い切った後、そこで一旦言葉を切ると、ずっと静かにしていた網谷は「ぷっ」と小さく噴き出す。


「何ソレ?仮にアタシが、その小テスト一つにマジになってたら、たくちん凄い失礼なこと言ってるよ?」


「……うん。網谷さんがこの小テストに真剣に向き合ってたのなら、僕は凄く失礼な推測をしたと思う。そのことに関しては謝るけど……次の推測は、おそらく的を射ていると思うんだ」


「………へぇ?」

 興味ありげな網谷の視線に、僕は一度、手に持った網谷の解答用紙に目を落とす。



「……網谷さん、だよね」



 ぴくっ。

 ぼくの言葉に、網谷の肩が小さく震えるのを視界にとらえた。


「これも、僕の体験談になるんだけど……筆跡って、人によってホントに様々なんだ。勉強が苦手な虎井君と粕田君の字体は、お世辞にも綺麗とは言い難くて、勤勉で真面目な不破君の字体は、精密でしっかりとしている。正直、字の綺麗さは勉学に対する姿勢と比較すると思ってる。……せっかく勉強好きなのに、字が汚い人には申し訳ないけどね」


 そこでいったん言葉を濁し、せきをして気を落ち着かせる。


「前に網谷さん、僕を勉強会に誘った時に言ったよね。『文系全般が苦手だ』って。それは文系が得意な僕に辻褄を合わせたのかもしれないけど、網谷さんのこの文字の綺麗さは、文系科目が苦手な人のものじゃないと思うんだ」


 そう。

 網谷の直筆の文字は、自分が見てきた筆跡の中でも特に滑らかで美しい。

 比較的筆圧の弱い女子の文字といったら、丸っこい、可愛らしいなど様々だろうが、網谷の文字はそのどれにもはまらない。シャープペンシルだというのに筆圧はしっかりとしてるし、ひらがなと漢字関係なく、書体はすっきりとまとまっている。各所のとめ、はね、はらいなどは最早見習うレベルで申し分ない。


 こんなことを言っては失礼だが……怠惰で不真面目でビッチなギャルである網谷が書いたにしては、とても似つかわしくないほどに綺麗なのだ。


 いつしか網谷の美顔からは、笑顔が取り払われていた。


「テストに対する姿勢は、いくらでも誤魔化せると思う。正直、あえて間違いに行くのは容易いことだから。…でも、手指に染み付いた書写の感覚をあえて誤魔化すのは、そう上手くいかない。文字の勉強は小学校に入って一番初めに行う授業だからね。……更に言えば、網谷さんの文字の綺麗さは、おそらく長い間、矯正され続けたことによって生まれた、網谷さん自身の努力の賜物であると思うんだけど……違うかな?」


 最後の問いかけに、網谷はしばらく無言だったが。


「…………あははっ」

 沈黙も決して長くは続かず、対面に座る網谷は吹っ切れたように笑う。


「ご名答だよ、たくちん。まさしくコナン君みたいな名推理。小学生……じゃないや、高校生探偵名乗れるんじゃない?なんて」

 ニヤニヤと口角を吊り上げる網谷からの冷やかしにも答えず、彼女をじっと見据える。抱き続けてきた違和感を吐露し、僕の心情は風一つない湖面のように穏やかだった。



「…………そうだよ。かつてのアタシは、馬鹿みたいに勉強熱心だった。真面目だった。勉学だけが取り柄だった。模範生徒とあげつらわれるのが幸せだった。正直、小さいころのアタシは、太陽みたいに眩しく輝いてたかもね。……目を背けたくなるくらいに」


 網谷から発せられた最後の一文は、網谷自身の心情に起因するものだと直感した。


「で?たくちんはずっと胸に秘めてたこと、アタシに聞けて満足した?」


「いや、話の真意は別にあって。……知りたいんだ、網谷さんのこと」


「知りたい?」

 不思議そうな顔をする網谷に対し、僕は一度息を大きく吸う。



「網谷さんは、その……すごく、魅力的な女性だと思う」



「ンッッ!!?」

 僕からの告白に、拍子抜けした網谷は素っ頓狂な声を出す。


「顔は一番と言っていいぐらいに可愛いし、化粧はバツグンだし、服の着こなしは奇抜だけど、ぜ…前衛的でいいと思うし、その……身体つきは……とてもえ、エッチだと思うし」


「た、たくちん?」

 終盤はもはや暴走気味な僕からの褒め殺しに、網谷も若干困惑気味だ。


「『真面目で優良な模範生徒』を自負する僕が、不真面目で怠惰な網谷さんを跳ね除けられないのは、弱みを握られてるからとかじゃない。単に、網谷さんのことを魅力的な異性として優先して見てしまっているからだと思う」


「そ、そーなんだ……あんがと」


「でも僕は、網谷さんと安易に身体を重ねることは決してしない。……その、一度踏み外しかけたけど。もう決意は固まってる。その一線を越えたら、もう僕は戻れない」


「それでもなお、網谷さんが僕に執着するというのなら、教えてほしい。網谷さんが受け入れた過去、僕と近い人生で起きた、これまでのことを」


 心からの懇意を口にすると同時に、対面に座る網谷のつぶらな瞳が一瞬、儚げに揺れるのを僕は見逃さなかった。


 僕と網谷は口を閉ざしながら、互いの瞳を見つめる。二人だけの図書館に、再び静寂が訪れる。


 だかそれも長くは続かず、やがて網谷が意を決したように口を開く。


「……たくちんはさ、アタシの身の上話を聞いて、バカにしたり、誰かに勝手に話したりしない?」


「勿論。これは僕から願ったことなんだ。仮に自分から聞き手にまわっておいて、他人の実情を軽んじたり吹聴したりするような人は、外道だとまで思ってるから」


 僕の本心を聞いた網谷は、念じるような眼差しで再びこちらの顔をじっと見据える。


 それはまるで、「信じられない」と心から疑うようで。あるいは、「信じてもいい」と心から許すようで。


 再びお互い無言の時間が続くが、それは脱力した網谷のため息でかき消された。



「分かった。たくちんには特別に教えてあげる……アタシのこと、アタシの過去。……アタシが受けてきた、これまでの出来事全てを」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る