第34話 くらりへの疑惑➀

 網谷との初勉強会から幾ばくか時は過ぎ、水曜日。

 昼休みに校内の廊下を歩いていると。


「おっ、四季ィ!」

「ピャッッ!!?」


 突如後方から大きな声で名前を呼ばれ、驚愕した僕は大きく飛び上がってしまう。

 早鐘のように脈打つ胸を押さえながら後ろを振り返ると、生徒指導担当の藤部とうべが立っていた。

「……その、俺が声をかけるたびに奇声を発して飛び上がるの、どうにかならないか?逐一怖がらせてるのかと思うと、声をかけづらくなってしまうから」

「す、すみません」

 申し訳無さそうに眉を顰める藤部に対し、ぺこぺこと頭を下げる。次から名前を呼ぶときは、もっと声量を抑えてほしい……とは、口が裂けても言えないのだけど。


「な、何か用でしょうか?」

「おぉ、そうだ!お前と同じクラスの、網谷のコトなんだがな」

 用件を尋ねると、藤部とうべは朗らかな顔をして網谷の名前を口に出す。


「どうにも最近、不真面目の代表みたいなアイツが、改心したように勉学に専念するようになったと、生徒と教師の間で話題でな。それで調べてみたら、どうやらお前とつるむようになってから、網谷の態度が変わったと噂になってるんだよ」


「…………!」

 藤部の言葉に、僕は動揺を悟られないよう小さく生唾を飲み込む。


 そう、藤部の言う通り…網谷の学校での態度は、今週を境に急変した。

 先日の火曜日もHR前からちゃんと登校してるし、全授業サボることなくすべて出席している。眩しいぐらいのバニラ色の髪と際立った化粧はそのままだが、制服の着用も以前と比べ大胆に着崩すことはなく、男を唆すような煽情的なものではなくなっていた。

 まさしく……「四季拓斗と仲良くなってから、不真面目な私がこんなに変わりました♪」と体現してるかのように。


「生徒指導の俺がどれだけ口で言っても直す気の無かったアイツが、まさかお前と一緒にいるだけでこうも変わっちまうとはなぁ。ギャルのアイツをどう言い負かしたんだ?俺に教えてくれよ」

「い、いや!僕は何も言ってません、ホントに!」

 興味津々に尋ねてくる藤部から距離を取る。

「またまた。まぁ生徒一人更生できないような俺は、生徒指導失格だろうが……何にせよ、校内一の問題児が鳴りを潜めたおかげで、重かった肩の荷が下りたよ。網谷のことで何か問題が起きたら、俺にいつでも言いに来てくれよ!」

「りょ、了解です」

 藤部はそう言いながら、いつもより上機嫌な顔で廊下を闊歩する。


 確かに、不真面目だった網谷がちゃんと学校に登校し授業に出席するようになったのは、いい傾向なのだが……周りによる彼女への評価が変わりつつある中で、僕はここ最近抱きつつある違和感を解消すべく、また廊下を足早に歩き始めるのだった。


 それから時は過ぎ、放課後。網谷と二人で自習室に向かうと。

「ありゃ、それなりに人がいるね」

 隣に並ぶ網谷が言う通り、自習室はいつにも増して混雑していた。何処かの学年で何かしらの大事なテストが間近に迫ると、自習室の利用者は増える。ここをしばらく愛用している僕は、その傾向をなんとなく把握していた。


「どうする?こんなんでも二人分の席はちらほら空いてるみたいだし、ここでも構わない?」

「いや、図書室に移ろう。あそこでも勉強はできるしね」

 網谷の提案に対し、僕は代替えの案を提示する。


「ふぅん。別にいいけど、たくちんにしては珍しーね」


「その、勉強だけじゃなく……網谷さんには、私的に聞きたいことがあるから」


「……へぇ、他の人には聞かれたくないからか。おっけおっけ、そういうことなら図書館に向かおっか♪」

 朗らかな笑顔を浮かべる網谷に安堵し、僕たちは校舎の対にある図書館へ向かおうと身をひるがえす。


 やがてたどり着いた図書館は使い古された古書の香りが充満し、いつにも増して静謐な雰囲気が漂う。


「センセー、ちーす」

「あら、網谷さん。こんにちは」


 軽い挨拶をしながら入室する網谷に、柔らかい対応をするのは図書館担当の女性職員。


「センセー、今日は宇田うだいないの?」

「今日は係のはずだけど、どうやら用事を済ませてからこの図書館にくるみたい。気兼ねなく利用してもらって構わないわよ」

 網谷は物腰柔らかな女性職員に「あざーす」と礼を述べてから、僕とともに入口から離れた場所にある読書スペースに腰を下ろす。


「それじゃ、一緒に勉強していこうか」

「よろしくね、たくちん♪」

 僕と網谷は問題集とノートを開き、勉強に臨む。


 それから鉛筆がノートにこすれる音がしばらく続き、十数分後。


「そーいえば、たくちん。アタシに聞きたい事ってナニ?」


 何気なく口を開いたであろう網谷からの問いかけに、僕は少し身構える。


 今週から始まった、網谷との勉強会をするようになってから、胸中に抱いていた違和感。彼女に付随する様々な要素と、それに対する僕の考察、推測。それを確かめようと試みていたものの、タイミングが全く図れずにいた。それがよもや、向こうから引っ張り出して出してこようとは。


「……そ、その。これは僕の独りよがりな考察であって、暫定的に決めつけるものじゃないんだけど……」

「いーよいーよ。何でも聞いて」



「…………も、もしかして…………網谷さんって、ホントは頭良かったり、もしくは勉強が好きだったりする……?」



「……………………へぇ?」


 網谷は可愛らしい笑顔を浮かべたまま、こちらを詮索するようにまぶたを細く歪めるのだった。





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