第22話 少し変わった朝

「はぁあ…………」

 週が明けた月曜日、僕はため息をつきながら通学路を歩いていた。


 脳裏に呼び起こされるのは、先週の金曜日。ビッチギャルの網谷と情事に至りかけたあの放課後。

 瀬戸際で理性を取り戻し、網谷と既成事実を作ることは何とか免れたが、神聖な学び舎の教室で性交に至ろうとした、己の不貞さに嫌気がさす。


 やはり、手慣れたビッチギャルの誘惑の前には、童貞の決意など豆腐のように脆いのだった。しかも「網谷のバストはKカップ」という情報も得られたし、何だかんだでこちらにもメリットは――。


「何にも反省してないじゃないか、僕は!!」

「キャンッ!?」

 網谷のおっぱいを想起しセルフツッコミをかました僕は、ついそばを通り過ぎた散歩中の犬を驚かせてしまう。

 怪訝な顔を浮かべる飼い主に小さく謝罪した後、多くの生徒で賑わう校門前に差し掛かる。


 決めた。

 今日こそ網谷さんからどれだけからかわれようと、関わろうとしない鋼の意志を持とう。話しかけられても最低限の対応で済ませ、目の前であの大きなおっぱいをゆさゆさされても、素早く目を背けよう。

 宇田さんに良いところを見せるためにも、あの網谷とこれ以上深くかかわり合ってはいけない。

「…………にしても、金曜日に生徒指導の藤部とうべ先生とすれ違わなかったのは、不幸中の幸いだったな」


「俺がどうかしたか?」

「キ゜ャッッ!!?」

 校門を潜り抜けたところでその当人から話しかけられ、思わずビニールをこすり合わせたような奇声を発してしまう。

「と、藤部先生!?何故ここに……」

「何故って……毎週始業前は此処に立って持ち物チェックをする決まりだからな」

「そ、そうでしたね……」

 何を今更、と言いたげな顔をする藤部に納得したそぶりを見せる。


「……んん~~?もしかして、俺に言いにくい事でもあるのかぁ?」

「ギクッ!!?」

 藤部から怪しく向けられる疑いの眼差しに、思わず身体を硬直させる。

 バッグの中にいかがわしいものは何も入っていない…のだが、何としても「あの網谷と教室で性交に至ろうとした事実」は悟られるわけにはいかない。

 早鐘を打つような心臓の鼓動を必死に抑え、平常を保とうとする。


「……なぁんてな。お前の模範生徒っぷりは職員室でも話題になるほどだ。俺が疑うまでも無いだろう」

 藤部は金剛力士像のようなしかめ面を間もなく破顔させ、贅肉のついた腹をタプタプと揺らして快活に笑う。

「は、ははは……」

 藤部に同調するよう顔に引き笑いを張り付け、力なく笑う。

うぅ……これだけの期待を寄せられてるからこそ、先週の自分が情けなく思えてくる。


「むしろ、お前の教室には網谷に虎井と問題児ぞろいだ。担任の茂津は頼りないし、お前も俺の生徒指導に協力してくれると助かる」

「そ、そうですね」

 網谷と同格にされてる虎井って……と心の中で呆れる。


「それじゃあな、授業頑張れよ」

「はい、頑張ります」

 それから藤部と簡単なあいさつを交わし、校舎へと進む。


(そうだ、転校生の僕も自分が知らないだけで、それなりに名が知れてるんだ。みんなからの好ましい評価を地に下げないよう、僕がしっかりとしなくちゃ)

 玄関で靴を履き替えている途中で、頭の中でこれから為すべきことを再認識する。

 そうすると天気とは反対に曇りがかっていた頭の中は明瞭になり、身体はやる気で漲ってくる。

「さて、今日から1週間、頑張らなくちゃ!」

 ふんす!と鼻を鳴らし、意気揚々と2年A組の教室へと向かう。


 ガララッ。

「…………ん?」

 教室後方のドアを開け室内に入った僕は、かすかな違和感を覚える。


 朝日が差し込む教室。まだ始業までに時間はあるので、人の数はさほど少なくまばらだ。

 だが何故だろう。クラスメイトの誰もかれもが、異変に触れないようなよそよそしさを感じさせる。

 僕は静かに、教室をゆっくりと見まわす。


「あぶね~~。水上みなかみちゃんのプロマイド、失くしたかと思ってたら机ン中に置きっぱなしだったわ~」

「お前なぁ…………」

 いつも通り他愛もない会話をする粕田と虎井。


 英単語の教科書を開きブツブツと小さく復唱する絶賛自習中の不破。


 1か所に固まり雑談をしたり授業の準備をしたりする男女生徒。

 そして――。


「…………ッッ!」

 その違和感の正体に気づいた途端、小さく息をのむ。


 教室の窓際……そこには、先週この場で交わろうとした相手―網谷くらりが、何食わぬ顔でポチポチとスマホを構っていた。


(午前中はほぼ欠席するような網谷さんが、何故始業前から……!?)


 これが普通の人ならば、「いや、始業前までに登校するのは至極真っ当だろ」と突っ込むかもしれない。

 しかし、網谷は校内きっての不真面目生徒であり、ここ最近の登校で一番早いのは2限目終了後。そんな彼女が始業前に登校するというのは、もはや異常事態に近かった。

(…………どういう前触れなんだろう)

 僕はごくりと固唾を飲みながら、とりあえず自分の席を目指す。


「おはよう、二人とも」

「「おはよう、四季ちゃん」」

 粕田と虎井に挨拶を済ませた後、自席にたどり着いた僕は椅子に座る。


(僕も不破君と同じように、始業前に予習しておこうかな……)

 そう思い、バッグから教科書を取り出した――その時。


「おっはよーー、たぁくちん♪♪」

 どたぷんっ!


「ひぅっっ!!?」

 陽気な声のあいさつとともに、後ろから2つの大きく柔らかい衝撃が襲い掛かる。


 この声は……そしてこの背中にのしかかるものは……!?


「あっ、網谷さんっ!!?」


 ……と、Kカップおっぱい!!?


「にひ、そーだよ?先週ぶりだね♡」

 網谷は悪戯っぽい笑みを浮かべたその美顔を、キスしてしまいそうなほど超至近距離へと近づける。

「どどどどうしたの!?こんな、教室の中で、皆の前で……!」

「えーー?挨拶に場所とか皆の前とか関係なくなぁい?」

「そっ、それはそうだけど……!」


 当たってる!超でKなおっぱいが満遍なく押し付けられてるっっ!!


 肩にのしかかる細い手と柔らかいおっぱいの感触に、顔がかあぁと紅潮するのを感じる。


 僕と網谷のやり取りに他のクラスメイトはポカンと口を開け、粕田と虎井は「は…………?」と呆然自失に立ち尽くし、三川さんせんは「スクープだにゃあ!!!」と目を輝かせている。


 いや、この網谷とのスキンシップが友達やクラスメイトに見られるならまだいい。

 だが僕には、どうしても見られたくない人が…………!


 どさっ。


 網谷からの拘束を振りほどこうとすると、教室後方から何かが落ちる物音が聞こえてくる。

 そちらに顔を向けると。


「四季君…………?」


 一番見られたくない相手―宇田うだ 亜梨子ありこが、信じられない物を見る目をして、ドアの前で呆然と立ち尽くしていた。


 見られてしまった――。

 今の、網谷とのスキンシップを――。



(終わった)



「…………きひっ♪」


 絶望のどん底に落ちた僕は、網谷から聞こえてくる笑い声も気にならないまま、魂が抜け落ちたようにがっくりと頭を項垂れるのだった。




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