第20話 亜梨子side―回想②
四季が二年A組に転入してからしばらく経過した、四月中旬。
亜梨子は「図書委員」と書かれた腕章を腕に嵌め、静謐な雰囲気に包まれた図書室内のカウンターで本を読んでいた。
時刻は昼休み。明るい日差しが差し込む窓の外からは、グラウンドで遊ぶ生徒たちの活気に満ちた声が聞こえてくる。
対して広い図書室内に人はまばらで、誰もが口を閉ざし静かに過ごしている。掛け時計からカチコチと響く小さな音をBGMに、亜梨子はひたすらに手に持った本を読み進める。
「…………?」
突如、図書室内の妙な気配に勘づき顔を上げると、一人の生徒が本棚の間をうろうろと歩き回っていた。
清潔感のある制服の着こなしに、マッシュルームのような髪型。そして、他の本棚に圧倒されるほどに低い身長。
それは、同じクラスメイトの四季であった。
彼はしきりにあたりをキョロキョロと見渡し、時折背伸びをして本棚を見て廻っていた。
「……もしかして、何か探しているのかな」
亜梨子は読んでいた本を閉じ、彼の下へと近づく。
「……四季くん?」
「わひゃいっ!!?」
声を掛けると、彼は驚いた声を上げカエルのように跳び上がる。
そこまで大きな声をかけたわけでもないのに……それに「わひゃい」って。
彼の反応に可笑しさを覚えた亜梨子は、思わず吹き出しそうになるのをこらえる。
「う、宇田さん…!ご、ごめんなさい。図書室で大きな声出しちゃって……」
「うぅん、問題ないよ。それに、何か探してたようだけど?」
「!あぁ実は、この図書室にいい数学の参考書があるって聞いてきたんだけど、それを探してて……」
「数学の参考書……あぁ、もしかしてアレのことかな?ついてきて」
「し、知ってるの?……あ、ありがとうございます!」
「ふふ、同じクラスメイトでしょ?敬語じゃなくていいよ」
緊張で体を硬くしている四季に優しく笑いかけ、目的の場所まで同行する。
「はい、これでしょ?確かにこの参考書、凄く頼りになるって評判だから目立つ場所に置いてあるんだ」
「そうなんだ。教えてくれてありがとう!」
顔を輝かせ礼を述べる四季に「どういたしまして」と柔軟に答える。
それから数秒、お互い無言の時間が過ぎる。
「そ、その……宇田さんは、本が好きで図書委員を志望したの?」
やがておずおずと話しかけてきた四季に、亜梨子は表情を崩さずとも僅かに身構える。
自分に突然他愛も無い話題を話しかけてくるのは、彼女と親密になりたい男子が用いる常套手段だったからだ。目の前の四季からは邪な気配を感じないが、一定の距離を崩さないよう気を張り詰める。
「…………そうだよ。小さいころから本が好きで、この委員を務めてる時が一番楽しいから」
「そうなんだ。カウンターに座って読書してる時も、すごく様になってたから」
「……ありがとう」
こちらの容姿をさりげなく褒める。それも言わずもがなナンパの常套手段であった。
「……もう、他に用件はない?」
「あ!その、えぇと……」
会話の終了を遠回しに催促すると、四季はまごまごと慌てだす。
二人きりの時間が気まずかったからなのか、本当は不純な動機があったのか……。
表情を崩さないまま胸中で邪推していると。
「そ、その……僕、勉強が好きだから」
「?」
「僕が図書室で勉強してる時、もしかしたらまた宇田さんに本を探すよう頼むかもしれないけど……そのときは宜しくね」
四季から発せられたのは、何てことはない単なるお願いであった。
「…………ふふっ」
「……?どうしたの?宇田さん」
人知れず身構えていたことを伏せ小さく笑うと、四季がきょとんと首を傾げる。
「いいえ、何でも。私が力になれることがあったら、何でも言ってね」
「!うん!」
にぱぁっ。
安堵した様子の四季は、その幼さが残る顔を思いっきり破顔させる。
「…………っ」
四季が見せた屈託のない笑みに、亜梨子は思わず息をのむ。
異性に距離を詰められたときの、脚がすくみ上る感覚でもない。肌が粟立つ感覚でもない。
突如彼女を襲った、原因不明の胸の高鳴りと全身の高揚が、思考を混乱させる。
「……?どうしたの、宇田さん」
「!な、何でもない……」
亜梨子の様子を不思議に思った四季に、慌てて平常を取り繕う。
その日から亜梨子は、四季のことを自然と意識するようになっていた。
時に、教室で彼が親友と談笑する姿。
それがまた、微笑ましくて。
時に、体操でバテてしまい座り込む姿。
それがまた、放っておけなくて。
時に、図書室で勉強に取り組む姿。
それがまた、凛々しくて。
時に、目が合った時に顔を赤らめ俯く姿。
それがまた、愛おしくて。
彼の一挙手一投足を、気づけば目で追うようになってしまっていた。
図書館での出会いを機に、四季にだけ芽生える特別な感情を自覚するのは、それからもう少し後のことであった。
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