5

 翌日、三笠は初瀬と軽い報告をした後にデッキに出て海を眺めていた。本来であれば調査をしなければならない。船内を見て回ろうと思っていたのだが、彼女に出くわしてしまうと考えるとどうしても動きたくなかった。


 初瀬は初瀬で、特に何も言わずに探索に出ていった。文句の一つや二つは覚悟していたが、まさか一つもないとは。三笠は思いもしない無反応に困惑していた。


(あー、嫌だなぁ)


 口に出せない文句を一つ一つ飲み込んでいく。それだけで腹は膨れてしまいそうだった。


「あ、冬吾くん」


 滅多に呼ばれることのない名で呼ばれ三笠はぎょっとして飛び上がる。声のする方を見てみれば、綾川がそこにいた。昨晩の光景が脳裏を過る。彼女は暗い色のワンピースを揺らして、三笠に寄った。


「そんなにびっくりすること?」


「あ、いや……ごめんなさい。普段そっちで呼ばれることがないものですから」


 三笠の敬語が面白くないのだろう。不機嫌さを前面に押し出して、彼女は目つきを鋭くした。


「へえ、他人行儀だね。新しい彼女がいるから、元カノの前ではそうするしかないんだ」


「彼女……?」


 はたまた思わぬ言葉にぎょっとするが、綾川の性格を思い出せばすぐに納得がいってしまった。思い当たったそれに三笠は頭を抱えそうになる。そんな彼の反応を見て、綾川は肯定と捉えたのだろう。話を続ける。


「女の人連れてたじゃん。まさか女の子連れてくるなんて思わなかった」


「違います、あの人はただの……」


「ただの?」


 そこまで聞かれて、三笠は一瞬迷う。正直に答えても問題ないのか、回った思考が答えをたたき出す。


「同僚だよ、事務所の。綾川さんでしょ、うちの事務所に招待状送ったの」


 半分自棄になりながら三笠は綾川に探りを入れた。それを悟ったのか悟っていないのか、彼女は可愛らしく頷いてみせる。


「うん、そうだけど。でも構成員にあんな人いたかな」


 どこまで把握されてるの、と息を飲む。墓穴だったかもしれない、そう思いながらも三笠は調子を崩さないように話を続けていった。


「新人だよ。去年の騒動は……知ってるの?」


「ええ、知ってるわ。むしろそこで冬吾くんを見つけたんだよ。魔術師だったんだ、って。ちょっとびっくりしたけど。全然そんな感じしなかったし」


「そりゃ」


 隠していたからに決まっている。派手な髪色はともかく、魔術師であることは行動にさえ気を付ければ隠すことができるものだ。彼女は分かっていてそう言ってるのだろうか。


「……話戻すけど、昨年色々あって人員を増やした方がいいってなって。それで入ってきた人なんだよ」


 初瀬が、というわけではないが、実際に増員はされた。三笠はまだ顔を合わせていないが、富士が忙しそうにしていたのはそのせいもある。新人の教育は基本的に富士が担っているのだ。


「そりゃあ……時間もないわけだーって。ね、私も実は魔術師の家の出だったんだよ」


 思わぬ告白に三笠は目を丸くして綾川の方を見る。彼女は三笠と目が合ったのが嬉しかったのだろう。綾川は少し早口になって話を続けた。


「不思議? そうだよね。でもさ、実は才能はなくって。魔術式の展開が全然上手くできないの。だからお父さんもお母さんも私には期待してなくて。……じゃなくて、あの時はごめんね? 冬吾くんのこと、全然解ってなかった。忙しかったの、本当だったんだって」


 その表情と言葉に、三笠の内で言いたいことが一気に湧き出た。しかしそのどれもを口にすることは無く、三笠は全てそれを飲み込む。


(そうじゃなくて)


 胸やけがしそうなほどに滾る感情を飲み干してから、口を開いた。


「仕方ないことだし、どうしようもなかったことだから、別に」


 あまりにもそっけない返事だったが、彼女はそれで満足らしい。再びにっこりとほほ笑んで三笠の手を取る。


「よかった。それで、あの同僚さんは? 今日は一緒じゃないんだ」


「そりゃ……四六時中くっついてるわけにもいかないし……」


「そうだよね。付き合ってるわけじゃないもの。でも昨日の夜、なんか変な空気になってなかった?」


 未だに三笠の浮気がきっかけで別れる羽目になったのだと思っているらしい。それも気にかかったが、昨夜のやり取りを目撃されていたことも放っておけない。変な空気になったのは事実だが、詳細を彼女に明かすわけにはいかない。彼女が魔術師としてここにいるのであれば、招待状を出した人物としてここにいるのであれば。いくらでも可能性はある中で、自分たちに関する情報をできる限り渡すわけにはいかない。


「あー、うん。最近知り合ったばかりだから、僕が距離感掴めてないんだ。あと、久々に踊ったから疲れたのもあるかな」


「そっか。結構ぎこちなかったもんね。でも……」


 言葉を切って、少しだけ綾川は目を伏せる。


「あの時みたいに、下手くそでも楽しそうだったよ?」


 嬉し気な声色と対称的にその表情はどこか冷たく仄暗いものだった。

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