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「……すごいな。ここにいるの、ほぼ魔術師か」


 総勢五十人ほどだろうか。ダンスホールには若い男女が多くいた。警察の見込みが正しければこの中には密売人も潜んでいる。しかし魔術師であるかどうかは、見た目だけでは判断がつかない。


 全員が全員、派手な仮面をつけている。これが夜会参加の条件だった。こんな賑やかで華やかな空間であるにも関わらず、どこか不気味さを覚えてしまうのは気のせいではないだろう。病的なまでに派手な色の仮面たちが、全てこちらを見ているような。そんな気がしてきてしまう。


 しかし、想定していたよりも穏やかな空気に三笠は少しほっとした。薄気味悪いのは確かだが、恐れていた治安の悪さのような刺々しい空気はない。正直ダンスの思い出云々よりも、物騒なことが起きる方が怖かった。専用の魔道具を修理に出している今、本来の能力を発揮できないのは不安でしかないからだ。


「そうなるね。でも、思ってたより穏やか……かな」


「こういうものってことね」


 三笠の正直な感想に、初瀬も頷く。彼女もまたもう少し治安が悪いものだと思っていたのだろう。お互いに最悪の予想が外れたといった具合だ。


「夜会は大体こんな感じ。音楽が鳴ったら適当に踊り出すと思う」


「へえ……」


 そう呟いて腕を組む初瀬もまた、髪を下ろしてドレスコードを身にまとっている。最初、初瀬は仕事ならと言ってスーツで行こうとした。が、それは逆に目立つと三笠が必死に説得をしたのである。


(……いや、本当に説得が通じる相手でよかった)


 当人としては有事の際に動きづらいのが嫌だったそうだが、目立ってしまっては元も子もない。あの服装でこの中に入ろうとしようものなら、入口で警備員に絶対に止められる。そんな確信が三笠にはあった。


『夜会にはちゃんと相応しい服装があるんだってば!』


 などと子供っぽい説得しかできなかったのは、今後の反省点だろう。そんな彼女が身に着けているのは深い青が印象的なイブニングドレスだ。聞いたところによると東が仕立てたものらしい。慣れない空間に、慣れない服装で落ち着かないのだろう。初瀬はしきりに己の腕をさすっていた。そういえば以前、スカートは苦手だと話していたと三笠は薄っすら記憶している。


「そ、そんなに落ち着かない?」


 そう問えば、初瀬はきっと三笠の方を睨みつける。仮面を付けていてもなお、その瞳は鋭く感じてしまった。


「逆に何であんたは落ち着くのよ」


「別に僕だってリラックスできてるわけじゃないよ」


 じろり、と再度浅縹に睨まれる。緊張しているのは事実だ。それでも、それを隠すことに三笠は慣れている。それを初瀬も分かっているのだろうが、どうしても文句を言わないと気が済まなかったらしい。今日の彼女はかなり機嫌が悪い。調子が悪くともそれを隠し通せるのが初瀬という人なのだが、やはり全く慣れない環境のせいだろう。仮面を付けているにも関わらず彼女の感情はいつもより読み取りやすい。


 淡々とそして優雅に事が進む中で、二人だけはどこかささくれ立っていた。


 特に何かが起きるわけでもなく、夜会はのんびりと進んでいく。三拍子に合わせて舞う色とりどりの布。食欲を刺激するスパイスの香りに、仄かなアルコールのにおい。異世界のようなその場所に自分が立っているなんて、疑わしいことこの上ない。もしかしたら幻かもな、などと三笠は考える。


「あのう、一曲一緒に踊りませんか?」


「へ? ぼ、僕ですか」


 不意にかけられた声に変な反応を返す。そちらを見てみれば、深紅を身にまとった妙齢の女性が立っていた。他の客と同じように派手な羽飾りのついた仮面を付けている。それでも隠しきれていない艶やかさは、きっと彼女の魅力なのだろう。


「ええ、はい。先約が無ければぜひ」


 にっこりと笑うその人に若干の眩しさを感じる。明らかに住む世界が違う人だ。


 返事に困った三笠が、ちらりと初瀬の方を見てみれば、彼女は「行ってくれば?」と言わんばかりに視線を返した。特別会場内で警戒する必要はない。それに会場の隅々を把握するには好都合だろう。少し気が引けるものの、三笠は小さく頷いた。


「じゃあ……よろしくお願いします。いいですか?」


「はい」


 女性の手を引いて輪の中に躍り出る。そうとなってしまえば、自然と足が出た。


 手を取った女性をしっかりリードしなければ。そんな意識よりも先に鼓動は拍に乗っていく。


 ステップ、ステップ、少し離れて一回転。


 少しぎこちないところはあれど、嫌なことに身体はしっかりと踊り方を覚えていた。


(拍子を聞いて、リズムは一定に──)


 嫌な思い出を忘れるほどに引く手はしなやかに音を辿る。


 走るピアノに伸びのいいヴァイオリンの音色。


「ねぇ、そういえば」


 ふと、女性が口を開いた。


「私のこと覚えてる?」


 思わぬ言葉に目を丸くする。今一度女性の顔を見てみるが、やはり心当たりはない。仮面のせいでもあるのだろう。それでもこんなに艶やかな人が、果たして三笠の知り合いにいただろうか。そんな具合で三笠は逡巡しつつも正直に答える。


「え、いえ。覚えてない、ですけど……」


 三笠が正直にそう答えれば、女性の手に力がこもった。


「なんでそんなこと言えるの? 冷たいね」


「……あ」


 その一言で。


 その一言が封印していた記憶を呼び覚ます。


「あ、やっとこっち見てくれた」


 彼女はすっとほほ笑んで仮面をずらした。そこから覗く愛らしいその顔そのものは、数年前と何一つ変わっていない。柔らかで透けるような白い肌に、瑞々しい薄桃色のリップ。仄かな暗さを目元に添えて、彼女──綾川凛華は笑っていた。


「ほら、足止めないで。ぶつかっちゃうよ。ステップ、ステップ、ワンツーさんしー」


 思わず足を止めそうになった三笠を綾川はリードする。立場逆転、とでも言うべきか。しかし彼女からすれば昔に戻っただけなのだという。


「はい、いち、に、さん」


 音楽が鳴りやむ。


 一刻も早くこの時間を終わらせたい。しかし、身についた所作がそんなことを許すはずがなかった。早打ちする心臓と逆に、三笠はゆっくりとその手を放した。一歩、下がって礼をして。また目が合う。


「初めて以来だね。次はちゃんとリードしてよ? あの時みたいにほったらかしは困るから」


 妙に被害者ぶって綾川はそう言った。ぱっと彼女は手を放して魔術師の群れに消えていく。



「え、ちょっと?」


 早足で会場を出ていく三笠を初瀬が引き留める。


「急にどうしたんだよ」


「あ、いや……ごめん、ちょっと疲れたからもう寝ようかなって」


「あんた新幹線の中で爆睡してたのに?」


「……まぁそういうこともあるよね」


 訝しむ初瀬の視線から逃れようとして三笠は窓の外に目をやった。日がすっかり沈んだ海は暗く、明かり一つ見当たらない。どこへ目をやればいいのかすら分からなくなってしまった。


「なんかあったんなら言えば? 調査の妨げになっても困るのはわたしたちだし」


「違うよ。そういうのじゃないから」


「ふーん……気持ち悪いな。言いたいことあるんなら言えば?」


「ごめんって」


「そうじゃないでしょ」


 いつも通り三笠に対して煩わしさを感じたのだろう。初瀬は顔を顰めながらそう言った。


「……大丈夫。事件に繋がるようなことじゃないから」


 それでも何があったのか言おうとしない三笠に対し、彼女は小さくため息をつく。


「なら後はわたしがやっておくから。寝てれば?」


 初瀬はそう言い残して踵を返す。薄暗い廊下で三笠はしばらく立ち尽くしていた。

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