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 気まずい空気の中、三笠は恐る恐る顔を上げる。


「今、なんて言いました?」


 一月下旬。例の事件からようやくひと月が経とうとしていた頃。急に呼び出された三笠は、事務所で富士と話をしていた。


「……だから、夕月会の招待状がウチにきたから、お前さんに行ってほしいって話」


「な、何でですか!?」


 そんな三笠の大きなリアクションに対して、富士は肩をすくめながら眉根を寄せた。


「何でって言われても。三笠名指しだぞ。なんでかは知らんが」


「名指しですか!?」


 再び走った衝撃に思わずその場で立ち上がる。かたり、と紅茶の入ったカップが揺れた。それを片手で抑え、もう片手で富士は白い封筒を取り出して三笠に突きつける。ふわり、といい香りが漂った。


「ああ。ほら。招待状にもこう書いてあるぜ。『敷宮探偵事務所所属 三笠冬吾様』って」


「ほ、本当ですね……」


 紺色のインクの手書き文字は確かに自分の名前を記していた。穴が開くほど睨んでもそれは己の名前を表している。端正で美しいそれに少しだけ圧倒された。きめ細やかな上質紙には『夕月会』という文字とその詳細が書かれている。どこを見ても上品なそれに、三笠は耐え切れず視線を外して腰を据え直した。


 夕月会──魔術師のみが参加できる夜会だ。三笠は噂のみでそういった秘密集会があるということは聞いたことがある。魔術師は堂々と『魔術師である』ことを掲げて集会を開くことを好まない。時勢というのもあるが、元々群れるのが苦手な性質の者が多いからだろう。とにもかくにも、三笠は初めてそのうち一つを知ることになったわけだ。それは富士も同じらしく、説明を終えた後に彼は口先を尖らせながら「詳細はよく分からないけどな」と付け加えた。


「まぁ、どっちにしろ三笠に行ってもらおうっておれは思ってたんだが」


 富士は考え事をしながら話しているのだろう。右手で横髪を摘まんでいる。全体的に外はねをしている富士の髪は、そこだけ真っ直ぐになっていた。


「な、なななんでですか。僕以外に適任はたくさんいるんじゃ……」


 招待状をもう一度確認する。やはり『魔術師』だけに招待状が送られているのだろう。となれば、主催者もおそらくは魔術師だ。そうであるのなら、トラブルになった場合を考えて鷦鷯や東といった実力者が行くべきではないだろうか。そうは思いつつも、三笠はすぐにそれを口に出すことはできない。どう言えばいいのか、口をもごもごとさせているうちに富士は話を進める。


「いやぁ、どうだか。おれもドレスコードとかよく分からんし。夜会のマナーも知らんし」


 ぬけぬけと彼は話す。そこへ腰を浮かせながら三笠は言い返した。


「え、嘘ですよね? 富士先輩、その辺はむしろ得意でしたよね? 明治大正時代の文学でその辺の上流階級に関する話が専門だったって前に──」


「あー、それになんだ。おれは踊れん。仮に知識があっても身体は動かないし、勝手が分からない。だけどよ、三笠は踊れるんだろ? 大学時代に社交ダンスサークル入ってたって言ってたじゃねぇか」


 矛盾を指摘する三笠の話を遮って、富士は特大爆弾を投下した。三笠は思わず身を縮めながら口を閉ざす。


「ほら、面接でも言ってたろ?」


「う、そ、それはぁ……言いましたけど……一年くらいで辞めて、それ以降踊ってないので、もう無理ですよ。踊れません」


 首を横に振って三笠は答えた。


 どうしてそんなことまでこの人は覚えているんだ、と富士の記憶力を呪う。確かに言った覚えはある。なんだかんだ言って話すことがそれしかなかったからだ。それにしたって、話題として持ち上がったの一瞬であったし、富士自身も「なるほど」と言って軽く流していたはずだ。サークルの話はそれっきりしていない。


 提案に対し、無情にもはっきりと首を振る三笠に、彼は顔の前で手を合わせてから話を続ける。ぱんっと乾いた音が鳴った。


「その辺は調整してくれ。頼む。鷦鷯は遠征ってなると問題外だし、東は頑なに無理って言うし。おれはおれでまだ所長代理なんだわ」


 富士の言葉に三笠は思わず渋い顔をした。現在この敷宮探偵事務所の所長は不在だ。お家騒動を終結させるために、実家へ帰ってしまっている。その間富士が代理として事務所の運営を担っているのだ。とはいえ、それ以前と接し方も彼の仕事もほとんど変わらないために、三笠はそれをすっかり忘れていた。


「それになんだ、三笠ならな? さっき言ったドレスコードとかそういうマナー系も問題ないと思うし、戦闘面でも任せられるとは思ってるんだわ」


 まるで自分のことのように、富士は得意げに三笠を褒める。急に変わった風向きに冷や汗を流しながらそちらを見やる。


「や、やけに褒めるじゃないですか……そんなに行きたくないんですか?」


「行き……行くわけにはいかない」


「なんですか、その言い方」


「まぁいいの。行ってくれたらそれで。おれはいいんだけど」


 特別何かを成してこい、というつもりはないらしい。これまでに受けてきたプレッシャーに比べれば、軽すぎるほどだ。それでも三笠にはそうやすやすと頷けない理由があった。


「……ダメです」


「珍しいな。お前がそう強く断るなんて」


 「理由を訊いても?」と言わんばかりに富士は身を乗り出して熱い視線を寄越す。


「…………なんというか、ダンスにはあまりいい思い出がないと言いますかなんといいますか。そういう感じなんです」


 言葉を選ぼうとして見事に失敗する。これまでに誰にも話したことのない思い出だ。それが裏目に出てしまった。ただただ、首を横に振って断り文句を口に出すことしかできない。


 そんなふにゃふにゃとした返事を聞いた富士は、眉を下げてティーカップを手に取った。


「参ったな。そう言われちゃ無理に頼み込むのも気が引ける」


「すみません」


 富士には申し訳ないが、三笠とて進んで自滅するほど馬鹿ではない。ここは素直に保身に走らせてほしい、と考える裏で少しばかりの申し訳なさが滲みだす。


「とはいえ……三笠くらいしかほい、と頼めるやつがいねぇんだよ。さっきも言ったけど」


 その言葉に三笠はそわそわする。悪い癖だ。お人よしであることをよく思ったことはない。


「一応事務所の代表だし、メンツが潰れないようにする必要があるし……それに、大きな裏話もある。手柄になる可能性だってあるからな……」


 大体こうやって言われてしまうと──


「どうしてもいないってなったら、行ってもいいですけど……」


 こうして柔らかくオッケーを出してしまうからだ。


 富士が疲労しているのは三笠の目にも見て取れた。最近は昨年末にあった騒動のせいで、しばらく閑古鳥を見ていない。そんな状態の事務所で所長代理をしつつ現場の指揮を執る富士に疲労がないわけがないのだ。それなのに普段と変わらない様子で振舞っている。心配性な三笠は、それを知っているためにどうしても強く断ることができなかった。その意図を汲み取ったのか、富士は少しだけ申し訳なさそうな顔をした後に指を鳴らす。


「オッケー。んじゃ、期日まではその準備に専念してくれ。あとな、お前はまだ仮登録だから、初瀬についてってもらう」


「え」


 思わぬ言葉に三笠は硬直する。


 現行の法律では、仮登録を受けている魔術師は監視官──警察が選出した人員の許可が無いと市街地で魔術を行使できない。確かにそのルールに則れば当然だ。しかし三笠は魔術師だけの集会なのだから、そういうのもとりあえず無かったことになるのだと勝手に思っていた。


「え、じゃねぇよ。前回やらかしたんか知らんけど、そういう決まりなんだから。警察側も調べたいって言ってるし、連れて行かない理由がない。第一このままお前が失踪でもしてみろ」


 そのまま指名手配からの射殺でもおかしくはないぞ、と過去に言われたことを思い出す。


 それくらいに魔術師というのは危険視されているのが現状だ。特に三笠は使う魔術の種類が種類だ。監視の目は特に厳しいものになっているらしい。


「それは、そうですけど……」


 それ以上返す言葉はない。富士も三笠と初瀬の間の空気が悪いのはどこか察していたらしい。それでも今回は考慮できない、と言うのだろう。


「そういうワケで頼んだ」


 少し前であれば仕事を任せてもらえた、と舞い上がっていただろう。しかしどうしても今回は心の底から喜ぶことができなかった。

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