第29話 おめでた

「もう三月になるのに、部屋の中の方がかえって寒い日もあるんだよ。そちらはまだ真冬の装いだろうけど」


 くりやのついた土間から上がると、三畳の渡り部屋があり、その奥に六畳の居間がある。

 窓際には書卓があり、居間の中央にはちゃぶ台がある。

 笠井は石油ストーブに火をいれて、やかんを置いた。


「失礼します」

「ああ、奥の座布団に座ってくれ」

 

 言われた通りに正座した旭の手元へ湯気のあがる湯呑を差し出す。笠井も自分の前に湯呑を置いて腰を据え、あぐらをかいて切り出した。


「今日はどうしたんだい?」

「姉が妊娠しました。三か月だそうです」


 旭が言いたいことはそれだけで充分に伝わった。責任はお前にあると言いたいのだ。

 

「それはおめでたいね」

「おめでたくも何ともありませんよ。父親は三か月前に帰京したきり、手紙の一枚も寄越さない冷血漢なんですから」


 正座した腿の上で硬く拳を握っている。

 旭にとって、たった一人の身内の姉だ。はらわたが煮え繰りかえる思いだろう。だが、笠井はこういう修羅場に慣れていた。


「僕が父親だなんてどうしてなのかい? 逗留とうりゅうの間は大勢の編集者が出入りしていたはずだろう? 僕の原稿待ちの間、そういう関係になってもおかしくはないと思うがね」


 訪れたファンの女性の中では笠井の好みにぴったり合った柳腰の美女もいる。思わず手をつけてしまったものの、妊娠したと迫りくる女性は数知れず。

 しかし、うっかり孕ませてしまったものの、それが本当に自分の子供かどうかは証明できない。そうやって大抵は追い返す。

 こういう女は子供を孕めば、華やかな流行作家の妻になれると夢見て来るのだ。


「姉の言葉は信じられないと?」

「信じられないね」


 笠井は取りつく島もないほど冷淡に言い切った。どこの誰ともしれない男の子供を育てるなんて真っ平だ。しかも泉は村で唯一の若く美しい女として、娼婦をしていた節もある。

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