第28話 来訪者

 それからはいつものように書卓に向かって執筆をしては、気晴らしに作家仲間と酒を飲みに行き、来訪する女たちに迫られるようにして寝たりしながら、平穏な日々を送っていた。


 平穏すぎると、かえって不安になるのが笠井の癖だ。

 

 まるで引き潮のように潮が引き、大津波となって襲来する前の静けさにも

似て落ち着かなくなる。


 そんな折、部屋でいつものように恋愛小説を書いていると、玄関の引き戸の方から、

「すみません。笠井先生はおみえですか?」

 という少年らしき声がした。


 笠井の小説は女性のファンは多いけれど、男性向けとは言い難い。

 美男美女の悲恋話は甘ったるくて頭が悪いと忌避される。

 笠井は珍しいなと腰を上げた。


「はい。今、開けますから」


 ちょうど休憩がしたかった頃合いだ。

 昼飯にでも連れていってやろうかと、引き戸を開けた。その直後、笠井は気圧されるようにしてのけ反った。


「こんにちは。お久しぶりです」


 立っていたのは佐々木泉の弟の旭だ。

 清潔な白のシャツに黒のスラックスといった平凡な装いが、彼の清楚な美しさを引き立てているようにも感じられ、笠井は言葉が出なかった。


「突然お邪魔して申し訳ござしません」

「いや、いいんだ。ちょうど休憩しようと思っていたところだったんだ」

「では、上がらせて頂いてもよろしいですか?」

「それなら何か食べに行こう。この近くに旨いうなぎ屋があるんだが。うなぎが駄目なら洋食でも」

「いいえ。外でする話ではありません」


 きっぱりと言い放たれて、笠井は再び押し黙る。


「そうか。それなら上がりたまえ」

「失礼します」


 黒の革靴を脱いで廊下に上がった旭は剣呑な空気をまとっていた。とてもじゃないが朗報ではないはずだ。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る