第25話 ごめんください

 切羽詰まった締め切りを全部終え、帰京した笠井は束の間の休息を覚えていた。

 自分ひとりで生活するには十分だとして、家は軒を連ねた長屋住まいだ。

 花が好きな笠井は縁側から降りられる小さな庭に花の寄せ植えをした鉢を置いたり、直接地面に植えたりしている。


 山麓の宿に閉じ込められて執筆していたせいで、花々はことごとく枯れてしまい、無残な姿をさらしていた。


 シャツにズボンの洋装の笠井は新しく買ってきた花の苗を鉢植えの棚の前に置くと、靴は長靴に履き替え、シャツの袖をまくって作業に取りかかる。

 枯れてしまった花は鉢や地下植えの花壇から引っこ抜き、冬でも良く咲く色とりどりのパンジーに植え替える。

 そうして土に触れていると、体中にたまった緊張の電磁波みたいなものが中和され、心から和むことができる気がする。


 ひと通り植え替えが住んだ頃、ちょうど昼飯時になっていた。

 近くの蕎麦屋にでも食べに行くかと算段しながら庭にある井戸で手を洗う。

 

 すると、耳慣れた女の声で「ごめんください」と玄関の門前で声がした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る