第24話 帰京

 何とかギリギリで連載小説分を書き上げ、笠井は東京へと戻る日にちを検討する。

 笠井の部屋まで来て正座をし、前垂れを繰りながら涙にくれる泉には、必ず手紙を書くからと幼子をあやすようにして黙らせる。


 一度や二度、枕を交わしたぐらいで恋人などとは呼ばない笠井は、その場しのぎのあやし文句で何とかこの場を逃れたいとだけ考えた。

 ましてや娼婦まがいのことまでしていた女であれば、なおさらだ。


「東京に戻ったら、先生は私のことなんて忘れてしまうわ」

「そんなことはないさ。ここに僕の住所が書いてある。何かあったら訪ねて来なさい」


 紙を渡した笠井はごねる泉に最大級の誠意をみせた。

 どこから聞いたのか知らないが、笠井が住んでいる長屋には、自宅をいきなり訪ねて来るファンの読者が大勢いる。泉もそのうちの一人だと思わざるを得なかった。


 荷物はトランク式の鞄がひとつ。

 着替えなどは先に郵便で送っていた。

 

「それじゃあ、体にだけは気をつけて」


 まもなくバスがやって来る。バスで近くの駅舎まで行き、何度か乗り継いで東京の家までまっすぐ帰る。他の女のところに寄って帰る気にはならない。

 泉は発つ直前までぐずぐずと洟を鳴らしていた。

 こういった粘着質の女は苦手なはずなのに、関係を持ってしまったことには後悔しかない。どうして女たちは自分だけのものしたがるのだろう。

 どうしてみんなの笠井和正かさいかずまさでいさせてもらえないのかが不思議で仕方がないのだが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る