第18話 殺人容疑 

「警察?」


 なまりの混じった老婆の声が玄関先で轟いた。


「なんで駐在さんが、こんな寂れた宿なんぞ」

「この山のふもとの滝壺で、湯治客とうじきゃくが喉を切られて死んでいた」

「死んでいただと?」


 警官と老婆のやりとりを聞きつけた編集者が廊下まで出る。階段で二階へ向かいかけた笠井の足も当然止まる。


「ここには流行作家と編集者しか泊まっていないと聞いているが、念のためのアリバイをお聞きしたい」

「何時頃ですか?」

「死亡推定時刻は午後三時頃だ」

「だったら皆、宿にいました。流行作家の先生様が長い散歩に出られたんでね。することが何もなくてうんざりしていた時刻でしたよ」

 

 編集者がちらりと笠井を一瞥した。

 なんだ。結局ばれていたのかと、笠井は肩身を狭くした。

 あの女中が何とかごまかしておくからと言ったのは大風呂敷だったのだと知り、眉間の皺が深くなる。


「その先生は、その時間、どこで何をなさっていらしたのですか?」

「僕はちょうどその頃に、たぶんその滝壺辺りにいたはずですよ。ここで女中をしている佐々木泉さんの弟さんが鹿と一緒に下山しようとしていたのを見かけて、珍しいから声をかけた頃合いです」

「佐々木旭の事情聴取は済んでいる。彼も今あなたが言った通りのことを供述しました」

「それじゃあアリバイは互いに証明されたことになりますね」

「それはそうだが、先生と佐々木旭が言葉を交わした滝壺で死体が発見されています。アリバイがあるからといって無実とは言いません」

「これは驚いた。僕の平凡な人生で殺人事件の犯人容疑がかけられるなんて」


 笠井は半ば本気で驚くと同時に神妙な顔つきの警察官を茶化してみせた。

 しかし、気になったのは、犯人が心臓ではなく喉を斬ったということだ。


 普通の人間ならば心臓を狙うだろう。

 だが、喉を斬れば気管を血が塞いで窒息死する。出血過多で死亡するよりも残酷な手立てだと言えるだろう。

 つまり、犯人は被害者に対して何らかの恨みなり憤りなりを抱いていた。


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