第31話 婚約破棄されかけてた
ある日、八つ当たりするように教室の扉を開けたカーミヤ・クリムゾンの姿に、クラスメイトの視線が集中した。
その不機嫌面に誰もが黙り、固唾を呑む。
「なに?」
ギロリと睨まれ、不機嫌極まりない声で言われれば、さっと視線を逸らすしかない。それは当然の反応だった。
「ちょっと来て」
雑に鞄を机に置いたカーミヤは一直線に俺へと向かって来て、くいっとあごで廊下の方を指した。
公爵令嬢らしからぬ行為だ。田舎のヤンキーと言われても違和感はない。
いつもの空き教室につれてこられた俺は机にもたれかかり腕を組んだ。
「朝からなんだよ。教室の空気が悪くなるだろ」
「……はき………れたのよ」
「は? なんだって?」
「だから、婚約を破棄したいって言われたのよ! クロードに!」
衝撃的な告白に机から手が滑って転びそうになる。
政略結婚とはいえ、あんなに両思いでお似合いだった二人が破局!?
しかも、クロード先輩から!?
カーミヤは親指の爪を噛みながら視線を彷徨わせた。
せわしなく右往左往する瞳が彼女の心理を表わしている。
「あたしが婚約破棄? もしかして、卒業式で宣言されるとか……。全校生徒の前で辱められるの!?」
どんどん顔が青ざめていくカーミヤに同情の余地はない。全て自分が招いたことだ。
クロード先輩に色仕掛けしたり、青い薔薇を探しに出た先輩を馬鹿にするような言動を取ったり、他の貴族令息、令嬢を威圧したり。
挙げ句の果てには俺と婚約者殿に下世話な鎌をかけてくるなど、やりたい放題だ。
以前のカーミヤ・クリムゾンにはあるまじき行いに、クロード先輩が呆れ果てたとしても不思議ではない。
それなのに、目の前のカーミヤは自分の失態に気づきもしないようだった。
「ありえない。あたしは大公爵家を継いだクロードの妻になる予定なのに。もう安泰のはずなのに。今更、破滅なんて認めない」
「全部、お前が行動した結果だろ。受け入れろよ。それか、リューテシアやクロード先輩、他の人たちに謝って許しを乞うか」
「黙って!! あんたに何が分かるの!? ゲーム通りなら、毒薬のスペシャリストとして幽閉されるかもしれないのよ!? あんたに何が――っ」
絶望の色が濃かった彼女の瞳が不気味に輝いた気がした。
「そうよ。ゲームに登場しないあんたが悪いのよ。あんたが破滅していないから、こんなタイミングで、あたしが婚約破棄されそうになってる! 全部、お前のせいだ!」
あまりの言いがかりに呆れてしまう。
人のせいにするなんてとんでもない女だ。
「あんた、破滅しなさいよ」
「は?」
「親睦パーティーのとき、リューテシアと関係を持ったんでしょ? あんただけが幸せになるなんて絶対に許さないから」
「落ち着け、カーミヤ。俺たちはお互いに干渉しないと約束したはずだ」
「そんなの知らない! あんたが消えれば、何かが変わるはずなのよ。そうに違いないわ。お前がゲーム本編の直前で断罪されていないから、あたしがこんな後になって不幸になるのよ!」
冷静さを欠いたカーミヤは血走った目で、薄ら笑いを浮かべながらにじり寄ってくる。
「あたしが毒殺してあげようか? それとも自ら破滅に向かう? なんなら、ヒロインを先にっ!!」
「リューテシアには手を出すな。そんなことをしてみろ。お前の正体をクロード先輩や学園長に伝えるぞ」
「はっ! 何を今更。もう、隠しキャラが接触しているのでしょう? 大好きな婚約者殿が目の前で落とされるのは時間の問題かもしれないわね!」
「隠しキャラ!? そんなものが存在するのか!?」
「あたしの手を取らなかった罰よ! 個人的には最低なハッピーエンドだけど、あんたにとっては絶望でしょうね。……ふふふ、あーはっははははは」
汚い声で高笑いするカーミヤは見るに堪えない。
かつてパーティーホールで他者を圧倒していたカーミヤ・クリムゾンの姿はない。
クリムゾンレッドの異名とは名ばかりの偽物は、性根のひん曲がった顔で俺を馬鹿にし続けた。
「青薔薇の正体なんてもうどうでもいいわ。そんなものがなくても、あたしは幸せになれる。バッドエンドのことばっかり考えていた自分が馬鹿みたい。ここから先はあたしの物語よ!」
「待て、カーミヤ!」
下品な高笑いをするカーミヤは空き教室を飛び出し、その日から学園に登校しなくなった。
誰も行方を知らず、接触する手立てがなくなってしまった。
学園に居ないのなら彼女が得意とする毒薬でリューテシアが危険に晒されることはないはずだ。
問題は登下校。
これまで以上にカーミヤやマリキスを警戒しながら、リューテシアの送迎を続けることにした。
ディードやマーシャルからは相変わらずお前たちは仲良しだ、と冷やかされ、ルミナリオからは羨望の眼差しを向けられた。
唯一の相談相手だったクロード先輩が卒業したタイミングでストーリーが動き出すなんて不運としか言い様がない。
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