第30話 超えてしまった

 俺は三年生への進級と同時に、男子寮の二人部屋から個室に移動した。

 昨年の功績が認められ、学園側が特別な部屋を用意してくれたのだ。


 寮の個室は忖度そんたくするしかないほどのVIP生徒か生徒会長にしか与えられない。

 昨年だと、ルミナリオとクロード先輩だ。


 俺のようなパターンは初めてで、特例として与えられた。


 そんな特別室のキングサイズのベッドではリューテシア・ファンドミーユが寝息を立てている。


 本当に俺と同じ人間なのか疑いたくなる、美しい寝顔だ。

 幼かったあの頃とは違い、大人の色香と少女のようなあどけなさを併せ持つ婚約者殿は俺には勿体ないくらいだ。


 窓際に移動し、グラスに注いだ水を飲み干す。


――さて、落ち着いてこれからの事を考えよう。


 俺、破滅しちゃうの?

 いや。俺は性欲に負けたわけじゃない。覚悟を持って事に及んだのだ。


 この場にはゲームのストーリーを知る転生女もいなければ、あの電子音も聞こえてこない。


 俺が破滅ルートに入っているのは間違いなく、エンディングまで一気に加速させた感が否めなかった。


「父の言いつけを破ってしまったな」


 そんなことを呟く。


 俺は九歳のときに、絶対に女性には手を出すな、と言われ、それは愚かな行為だと教わった。


「でもなぁ、仕方ないよなぁ。好きなんだからさ。絶対に離したくないんだよ」


 天国のお母様、俺が破滅しないように見守ってください。


「……ウィル様」


 名前を呼ばれて、ばっと振り向けば、シーツで体を隠したリューテシアがベッドの脇に立っていた。


 窓から差す月明かりに照らされたリューテシアは女神のようだ。

 月の光で輝くピンクプロンドの髪も、上気した頬も、全てが美しい。


「謝らないよ、リューテシア。俺は今日のことを後悔していない。貴族にあるまじき行為なのかもしれないけれど、自分の気持ちに従っただけだ」


「はい。わたしもいけない事と分かっていながら、ウィル様を受け入れました。わたしも自分の気持ちに従っただけです」


 格好つけているが、内心はビクビクだ。そんな不安が漏れ出てしまった。


「きみを不幸にするつもりはないけど、不幸だと感じるようなことが起こってしまえば、そのときは何とかするよ」


「はい。信じています」


 自分でも何を言っているのか良く分からない。

 照れ臭くなって逸らしたくなる目線をリューテシアに釘付けしたまま、意を決して声を出した。


「愛している。ずっと俺のそばに居て欲しい」


 数時間前と同じように目を見開いたかと思うと、リューテシアの大きな瞳からは一筋の涙がこぼれ落ちた。


「わたしも愛しています。最初は親同士が決めた婚姻だったとしても、ウィル様と添い遂げたいです」


 俺は我慢できずに彼女の震える体を抱きしめてしまった。

 壊してしまわないように、努めて優しく腕を背中に回すと彼女も応えてくれた。


「俺は馬鹿だ……」


 ずっと破滅するかもしれないと怯えていた。

 今回の件で俺を破滅させようとする強制力が働くなら、そんなものはぶっ壊してやる。


 こんなにも慕ってくれている人がいるのに、一人で破滅してたまるか!


 俺がいなくなったら、リューテシアは攻略対象の誰かと結ばれるのだろう。

 クロード、ディード、マーシャル、ルミナリオの誰かとだ。


 そんなこと想像しただけで吐き気がする。


「ウィル様、少し、力が強いです」


「あ、ごめん!」


 気持ちを抑えられず、つい力が入ってしまっていた。

 腕を緩め、密着していた体を離して、愛しの婚約者殿を見下ろす。


 何度でも思うが、月明かりに照らされた彼女は神秘的で、魅力的で、俺をダメにする。

 リューテシアこそが、俺を破滅に向かわせる一番の危険因子なのではないか。


「ウィル様の腕の中こそがこの世で一番安全な場所ですね」


 またしても甘い言葉をかけられ、俺の体が引き寄せられる。しばらくは動けそうになかった。


 どれだけの時間を抱き合っていたのか。まだ、パーティー会場には灯りが点り、優雅な曲が聞こえる。

 時間的には最後のダンス中だろう。


 この時間なら寮にいる生徒はゼロに近いから、男子寮から脱出するなら今しかない。


「親睦パーティー、不参加になってしまいましたね。リファ様に挨拶するべきだったのに」


「今から行く? 体が大丈夫なら、だけど」


 リューテシアはシーツに包んだ体を見下ろして、柔らかく微笑んだ。


「ご挨拶だけでも。構いませんか?」


「もちろん。エスコートさせてもらうよ」


 俺たちは着替えを終えて、パーティー会場へと向かったのだが……。


「大丈夫か?」


 婚約者殿の顔色が思わしくない。

 明らかに無理をしている。


 それでもリューテシアは気丈に振る舞い、俺の妹であるリファに入学祝いの言葉を投げかけた。


「あら? せっかくのダンスパーティーなのだから、一曲踊ってはいかがかしら」


 カーミヤからの一声に会場がざわめきだす。


 一昨年も昨年も俺とリューテシアが踊ると、みんなが温かく見守ってくれていた。

 しかし、今日はダメだ。


 今のリューテシアに無理はさせられない。


 というか、この悪役令嬢め!

 リューテシアがいつもと違うのは明らかだろう!


 意地悪しやがって!


 そう憤っても、感情的になってはいけない。

 俺は一度落ち着いてカーミヤに向き直った。


「リューテシアの体調が思わしくない。俺たちはこれで失礼する。リファ、最後まで楽しんでくれ。入学おめでとう」


「ありがとうございます、お兄様。リューテシア様、お体をご自愛くださいませ」


 リューテシアの腰に手を回し、扉へと誘う。

 俺は無意識のうちにこのような行動をしていたが、それを指摘してきたのはカーミヤだった。


「今年も仲睦ましいようで何よりですわ。もしや、何か特別なことがありまして?」


 口元を扇で隠して笑われると、目元が強調されて非常に性格の悪い顔つきに見えた。


「体調が優れない婚約者殿を気遣うのは当然のことだろう」


 颯爽とパーティーホールを去ろうとする俺の背中に向かって名前が呼ばれる。


 仕方なく立ち止まると、キツイ香水の匂いが香った。


「もしかして、ヤっちゃった?」


 声をひそめたカーミヤの方を見ず、苛立ちを隠しもせず告げる。


「黙ってろと言ったはずだ」


「うわ。こわっ」


「……失礼する。クロード先輩はもういないのだから、羽目を外しすぎないように」


「そっくりそのまま返すわ。幸せになりたいのなら、ね」


 女子寮までの帰り道、背後からはずっと視線を感じていた。


 それがあの教師なのか、カーミヤなのか分からないが、誰であろうとリューテシアにちょっかいを出すようなら容赦はしない。

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