第32話 全力を出した

 あれから特に何事もなく日々が過ぎ去ったわけだが、入学した時に言われた通り、三年生になってからの薬術クラスは大忙しだった。


 他のクラスと違い、最終学年で研究発表という形で己の実力や能力を示すことになるから遊んでいる暇がないのである。


 ただ、俺には婚約者殿との約束があるから、他の薬術クラスの女子たちが引き籠もっている中、剣術大会に参加している。


 観客席に座っている同級生の女生徒は優秀な人ということになる。俺やリューテシアと同じくすでに発表の準備がほとんど終わっているのだろう。

 つまり、ここに居ない人は最後の追い込みの真っ只中というわけだ。


 三年生代表を争う決勝戦は俺がディードに勝利してその座を手に入れた。


 二年生代表はもちろん、弟のトーマだ。

 今年は妹のリファも応援に駆けつけてくれているから、お互いに格好悪い姿は見せられない。


「今年のブルブラック家は気合いの入り方が違うと噂されていましたよ」


 そんな風に言われてしまうほどに俺たちは真剣だった。


 例年通り、一年生にはシード権が与えられるため、本戦の初戦は俺とトーマの兄弟対決となった。


「やっと念願が叶いました。こうして兄さんと一騎打ちする日を心待ちにしていました」


「俺は来て欲しくなかったよ。でも、リュシーとの約束があるから本気でいくぞ」


「胸をお借りします!」


 俺とトーマは同じ師匠に師事しているから流派は同じだ。しかし、技術や才能にはやはり差がある。

 俺よりもトーマの方が剣の腕前は上だ。幼少期から俺が魔術や薬学を独学している間、トーマは剣術のことだけを考えていた。


 その期間は容易く埋めることはできない。


 唯一、埋められるとしたら――。


「ウィル様、頑張ってください!」


 婚約者殿からの応援しかない。


 耳をつんざく音が鳴り響き、地面に剣が突き刺さる。

 俺はトーマの手が突き刺さった剣に届くよりも早く、首筋に剣を突き付けた。


 不敵に笑えれば格好いいのだろうが、そんな余裕はなかった。


 少しでも気を緩めれば剣を離してしまいそうなくらい、俺の握力は限界の一歩手前なのだ。むしろ、限界を超えているかもしれない。


「やっぱり兄さんには敵わないや」


 満足気なその言葉を聞いた直後、俺の手から剣がするりと落ちて砂埃が舞った。


◇◆◇◆◇◆


 迎えた決勝戦当日。

 三年生代表の俺と一年生代表の男子生徒が戦うはずだったのに、相手の姿が見当たらない。

 審判を務める剣術クラスの教師も右往左往する始末だ。


 今年の剣術大会は不戦勝かもな、と誰もが思い始めた頃、意外な人物が声を上げた。


「由緒ある王立学園の剣術大会で不戦勝? そんなことはありえない。それに、ブルブラック伯爵の御子息は第108回の剣術大会優勝者を空白にした愚か者の一人。これ以上は見過ごせませんな」


「待ちなさい、マリキス先生。対戦相手が不在となれば、大会の続行は不可能。ウィルフリッドを今大会の優勝者としても――」


「いけませんよ、学園長。先日の準決勝戦は兄弟対決です」


 何が言いたいってんだ、ああん!?


 俺たちが適当に打ち合って勝者を決めた、とでも言いたげな視線に嫌悪感を抱かずにはいられなかった。


「ウィルフリッド・ブルブラックが優勝者に相応しいのか、オレが見定めましょう。この、マリキス・ハイドが!」


 マリキス・ハイド。

 この学園の卒業生で、剣術クラス出身。過去の剣術大会で優勝するほどの実力を持ち、一時は騎士になったとか。

 その後、王立学園で剣術クラスの講師を務めるようになるも、不祥事を起こして薬術クラスへ左遷となった教員だ。


 そして、リューテシアに付きまとうクソ野郎でもある。


「どうだ、ブルブラック。薬術クラス同士、仲良くしようではないか。結果によっては研究発表の成績を考慮してやってもいい」


 それは俺に本気で来いと言っているのだろうか。それとも恥をかかせるな、と遠回しに言っているのか。


「学園長先生がそれでいいなら」


 その時、マリキスが不敵に笑った。


 闘技場の中央で向き合い、決闘前のお辞儀を終えた直後、マリキスはとんでもないことを口走った。


「オレが勝ったらリューテシア・ファンドミーユを譲ってくれよ」


「…………」


 この瞬間、この男の肩書きが何であろうとぶっ飛ばすと決めた。


 互いの剣がぶつかり合う。

 元騎士とあって実力は本物だ。しかし、うちの剣術の先生よりも一撃は軽いし、トーマよりも動きは遅い。


 幼い頃、一度だけ父を打ち負かした切り返し。

 才能や技術でトーマに敵わないとしても、俺は父に褒められた切り返しにだけは自信を持っている。


 今の俺が剣術を続ける理由はただ煩悩を消すためだけではない。父に認められた技をたった一つだけでも持っているからだ。

 そして、父の教え通り、大切な人を守るためだ。


「俺の大好きな人を物のように扱う奴に負けるわけがないだろ」


 俺の剣がマリキスの剣を砕いた衝撃で奴は尻餅をついた。


 トーマの時と違って、喉元に剣を突き付けるような真似はしない。

 なぜなら、その必要がないからだ。


 別の剣を持って来ようが、素手で殴りかかって来ようが、俺はお前を倒せる。

 何度立ち上がっても、絶対に尻餅をつかせることができるぞ。


 そうやって無言の圧力をかければ、マリキスは戦意を損失したのか脱力した。


 その無様な姿を笑う人はいなかった。

 この学園は将来有望な生徒を育てる教育機関だ。だからこそ、そんな愚鈍な人間はいないと信じている。

 ましてや、教員であれば尚更だ。


「……またオレから奪うのか」


「なんの話です? 誰か別の人と勘違いしていませんか?」


「勘違いなわけがない。オレから彼女を奪った男の息子なんだからな!」


 発言から察するに、彼女とは亡くなった俺の母親を指している。俺の父と因縁があるらしい。


 うちの両親は非常に珍しく恋愛結婚をしている。

 いわゆる痴情のもつれというやつか。


「もしかして、うちの父が先生の婚約者を奪ったとかですか?」


「婚約者になりたかった。オレが最初に彼女を好きになったのだ。彼女もきっとオレのことが好きだったに違いない。それなのに、お前の父親は婚約の過程をすっ飛ばして結婚したのだ!」


 ……えーと。それはつまり、こじらせた。ということで間違いないでしょうか。

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