第6話 お家に行ってみた

 やけに揺れる馬車に乗り、流れる景色を見つめていた。

 前に座るのは、俺のお目付役を命じられた執事長の息子さんだ。


「遅くても夕刻前にはファンドミーユ邸を出ましょう」


「何度も言われなくてもそんな駄々はこねないって」


「どうでしょう。久々にリューテシア様とお会いになるわけですから」


 ガキじゃあるまいし。

 あ、今はガキか。


 やだやだ、もっと遊ぶー! なんて俺が言うとでも思っているのか。普段のイメージとかけ離れていると思わないのか?


 頬杖をつきながら外を眺め、やっとのことでファンドミーユ子爵の屋敷に到着した。


 外観を見るに我が家よりも小さい規模だ。

 だが、草木の手入れはうちよりも丁寧な印象を受けた。


「やぁ、ウィルフリッド君。ゆっくりしていってくれたまえ」


 出迎えてくれたファンドミーユ子爵と天使リューテシア。

 その背後には子爵夫人までいた。


 夫人は俺を値踏みするような目つきで見て、ふっと笑った。


「本当に雰囲気がお変わりになられましたね。主人とリューテシアから話を聞いた時は信じられませんでしたが」


「ありがとうございます」


 気まずい。

 婚約して以来、一度も訪れたことのないファンドミーユ子爵邸の玄関先で俺の足はすくんでしまった。


 リューテシアの提案で彼女のお宅訪問が実現した訳だが、これは俗に言うご両親へのご挨拶というものではなかろうか。


 いや、落ち着け。

 今なら子供らしく屋敷の中を走り回っても叱られないはずだ。


「ウィル様、わたしのお部屋にご案内します」


「え、あ、あぁ。はい」


 面を食らってしまった俺はリューテシアに手を引かれて屋敷の中へ一歩を踏み出した。


 案内されたリューテシアの部屋はなんというか、フローラルな香りだった。

 白とピンクを基調とした部屋は女の子らしいからこそ落ち着かない。


 妹であるリファ以外の女の子の部屋に入るなんて人生初のイベントで、どこに目をやればいいのか分からなかった。


 ふと、彷徨わせていた視線が丸テーブルに置かれた花瓶を見つけて止まった。


「リシアンサス」


 何気なく花の名前を呟いてしまった。

 するとリューテシアは、ばっとこちらを振り向き、目を見開いた。


「な、なぜ……。花には興味がないと仰っていたのに」


「最近、妹に習っているんだ。リシアンサスはリュシーの好きな夏の花だよね」


「覚えていてくださったのですね!」


 そんな頬を染めながら感激されても困る。


 この前、直接好きなものを聞いたし、手紙にもしたためられていた。

 それに例え記憶力が悪かったとしても、自分の婚約者殿の好みを忘れるような馬鹿ではない。


「花を愛でるなど男のすることではない! って父には呆れられるけどね」


「そんなことはありません。わたしは素敵だと思います」


 お世辞でも肯定されると嬉しくなる。

 こんなに優しい婚約者を邪険に扱うなんて……ウィルフリッド君、罪な男よ。


 どこか、ぽわぽわしているリューテシアが鈴を鳴らすと、扉が開き、メイドさんが二人分のティーセットを持って来てくれた。

 

 俺と目を合わせることなく、給仕を終えて涼しげに一礼して部屋を出て行く後ろ姿は格好いいの一言に尽きる。


 うちのメイドさん、ミスはしないけど絶対にお客さんと目を合わせて笑うんだよな。

 もう慣れたけど、俺も最初はドキッとした。

 そういう教育方針なのかな。


「こちらのお紅茶の香りはいかがでしょう。ウィル様の好みに合うと思うのですが」


 持ち上げたティーカップを鼻腔に近づけて驚いた。


 転生して以来、嗅いだことのない匂い。

 それは香ばしくて爽やかな香りだった。


 存在感のある華やかな香りではないけれど、どこか懐かしく一息つける紅茶だった。


「これは、好きだ」


「お気に召したようで何よりです」


 胸の前で手を結んでいたリューテシアも一口、紅茶を飲んだ。


「グリーンティーの一種です。ウィル様は甘みや刺激の強い香りがお好みではないので、こちらかと思って」


 笑顔が華やいだのも束の間。視線を下げ、恥ずかしそうに語る彼女の姿に見惚れてしまった。


 まずい……。


 いや、この場合のまずいは紅茶が不味いと言ってるわけではない。

 破滅してしまいそう、ということだ。


 めっちゃいい子。

 俺の婚約者殿が可愛すぎる。


 花と紅茶が好きで、お部屋がピンクで、枕元にぬいぐるみを置いているなんて超女子だし。紅茶のことをお紅茶って言うし。


 絶対に傷つけられない。

 最初は婚約解消を考えたけれど、こんな純粋な子の心を傷つけるなんて俺にはできない。

 肉体的になんてもっての外だ。


「ありがとう。大切にするから」


「ふぇ!? そ、それはこちらのお紅茶の話ですよね? お土産用にお包みしますね」


「いや、リュシーをだよ。何があってもきみを傷つけるような真似はしない」


「あ……はい。あの、わたしも……」


 消え入りそうな声でごにょごにょと何かを言っている婚約者殿を横目に紅茶を飲み干す。香りだけではなく味も美味い。

 これはリピートしよう。


「それで、ねこちゃんは?」


 意識がどこかへ飛んでいきそうな雰囲気だったリューテシアは、お気に入りのぬいぐるみでも見つけた時のように破顔した。


「ん?」


「だって、ウィル様。ねこちゃん、だなんて」


 しまった!

 俺は無意識のうちにやらかしていた。

 昔から犬はわんちゃん、猫はねこちゃん呼びだったことが災いした!


「こほん。忘れてくれ。飼い猫は?」


「いいですね。ねこちゃん。わたしも今日からそのようにします。今日はウィル様の愛らしい一面が見れて、幸運な日です」


「それは僕のセリフだよ。リュシーの可愛い顔がたくさん見れた」


 天使の百面相なんて需要しかない。


 なぜか顔を伏せたリューテシアは部屋を飛び出し、しばらくして抱きかかえた猫と共に戻ってきた。


 気品のある目つきと白い毛並み。そしてふくよかな体。

 こちらのお猫様は良い物を食べさせてもらっているらしい。


 リューテシアはねこちゃんを下ろして、ふぅと息をついた。

 そりゃ、重いだろう。


「綺麗な子だね。ずっと一緒なの?」


「はい。わたしが生まれる前から我が家にいるのです。わたしのお姉様です」


 となると結構なご高齢だ。


 しかし、年を感じさせない雰囲気で俺の周りをくるくる回り、じっと見上げてきた。さながら「お前が可愛い妹の婚約者かい。よぉく顔をお見せよ」といったところか。


 しゃがんで手を差し出せば、お猫様は逃げずに背中を撫でさせてくれた。


「まぁ! 人見知りする子なのに背中を許すなんて」


 あ、また俺の知らない顔をした。

 口元を隠して、驚く姿もやっぱり可愛い。


「リュシーが用意してくれた紅茶の香りのおかげかな? 触らせてくれて、ありがとう」


 お礼を伝えれば、お猫様は部屋の扉まで移動し、「早く開けろ」とでも言いたげにリューテシアを見上げた。

 猫らしく気分屋らしい。


 それから一緒にお菓子を食べて、リューテシアのお気に入りの小説や、気になっている演劇の話を聞いた。

 やはり女の子だ。どれもが恋愛もので、時折、刺激の強めな描写のある小説を読んでいることが発覚した。


 俺はといえば、語れるのは剣術で父から一本取ったとか、馬が全速力で走るものだから迷子になったとか、水切りで最高記録を叩き出したとか、しょうもない話しかできないでいた。


 とても同じ年齢とは思えない。

 リューテシアと一緒にいると俺のアホさが浮き彫りになってしまう。


 それなのに彼女は俺の目を見て、頷きながら話を聞いてくれる。


 仕事の合間で俺たちに剣を教えてくれている父とも、病気の母ともこんなに長時間話すことはない。


 最近では弟のトーマや妹のリファと語り合うことは多くなったが、俺は聞き手に回ることが多いから、こんなにも自分のことを話したは初めてだった。


「ウィル様も男の子ですね。素敵です」


 そんなことを言われたら茹で上がってしまう。

 耳まで熱を帯びたのが分かり、気恥ずかしさを隠すために「そろそろ帰る」と言ってしまった。


 お目付役が馬車の準備を始めてから後悔の念がどんどん強くなる。


 もっと話したかったなー。


「もっとお話ししたかったです」


 俺の思考を読んだとしか思えないタイミングで、虚空を眺めながらそう呟いたかと思えば、次の瞬間には笑顔を綻ばせていた。


「でも、お楽しみを次の機会に取っておけるなんて幸せですね。またお越しくださいね」


 ぐはっ!

 なんて破壊力だ。


 名残惜しさを伝えながらも次の約束を取り付けるなんて、とんでもない高等テクニックをお持ちだ。


 なんなのこの子!?

 俺を破滅させるために存在しているの!?

 味方と思わせておいて、実は敵なの!?


 今すぐ破滅しましょうか!?


 俺なんて、俯きながら足を彷徨わせるしかできないのに。


 馬車に乗り込んですぐに身を乗り出してリューテシアに手を振った。彼女もそれに応えてくれて、姿が見えなくなるまで見送ってくれた。


 落ちるからやめなさい、と叱られて椅子に座り直す。


「坊ちゃん。今朝、僕の言った通りになりましたね」


 なんのことだ、と目配せすれば、お目付役の若い執事はくすくすと笑った。


「やだやだ、もっと遊びたかったよー、と顔に書いてありますよ」


「ふん。知らね」


 俺は肯定も否定もせずに馬車に揺られ続けた。

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