第7話 花の色を変えてみた

 婚約者殿とは互いの家を行き来するようになった後も手紙のやり取りが続いた。


 手紙の中では、ねこちゃんの元気がないとか、今日は少しご飯を食べたとか、昨日はずっと寝ていたとか、近況報告がされていた。


 人間でいうと70歳ほどだ。

 きっと老衰というやつだろう。しかし、それを伝えるほど野暮な男ではないし、そんな勇気もない。


 曖昧な言葉で返事を書きながら、こちらの近況も伝える日々が続いた。


 新しい剣術の先生もやってきて、より実践に近いことを学ぶようになった頃、魔術についても進展があった。


 ついに魔力を知覚できるようになったのだ。


 自分の中にもちゃんと魔力が宿っていることに喜んだのも束の間で、次は魔術を発動させるための呪文詠唱を身につけなければならない。


 日本語とも、この世界の言語とも違う独特な発音の呪文にも苦労させられた。


 数ある魔術の中でも俺の特性にあったものはないかと模索して、父が所有している魔術書を読み漁った。


 たどり着いたのは、【物の色を変化させる魔術】という使い道の分からないものだった。


 そして、呪文の詠唱にも慣れた頃、リューテシアの手紙に興味深いことが書かれていた。


 この世界には赤や黄色やピンクの薔薇が自生しているが、大陸のどこかには世にも不思議な青い薔薇が咲いているという。


 真の愛を誓い合った男女が植えた薔薇が青くなる。

 愛し合う男女には薔薇が青く見えるようになる。

 愛おしい人が死去した際にどこかで花開く。

 奇跡の魔法使いが青い薔薇を咲かせる。

 などなど、諸説あるようだ。


 俺が元いた世界でも青い薔薇は一般的ではなかった。薔薇といえば情熱の赤というイメージが強い。


 ふと俺の魔術なら庭園の薔薇の色を変えられるのではないかと考えた。


 実践してみても必要な魔力量と呪文は合っているはずなのに何の変化もなく、薔薇は赤いままだった。


「ぼ、坊ちゃま! リューテシア様がお越しですが、お約束されているのですか!?」


 自室にこもっていた俺の元に執事長の息子で子守役が走ってきた。


 そういえば、お邪魔したいと手紙に書いてあったことを思い出したが、それが今日なのかは覚えていなかった。


「今日だったかも。伝えてなかったか。ごめん。通してくれ」


「私どもは構いませんが、このお部屋にですか?」


「ダメか? 今すぐ手を離せそうにない。庭園に案内して差し上げて」


 そう指示したはずなのに、ノックの後に部屋の扉が開き、可愛らしい声がかけられた。


「失礼いたします。……まぁ。これは、お邪魔だったでしょうか」


 そこには淡いグリーンのドレスを着たリューテシアが立っていた。


「あれ? 庭園で待っていて欲しかったのに」


「少しでも早くお会いしたくて無理を言ってしまいました。申し訳ありません」


「いや、構わないよ。足の踏み場もないけど、椅子に座って待ってて」


 ちょこんと座ったリューテシアは興味深そうに辺りを見回していた。

 その間も俺は紙に筆をはしらせ、どうしても今まとめておきたい検証結果を残した。


「あの、ウィル様。この薔薇はいったい……? 初めて見ましたっ」


 束になった紙を閉じたタイミングで声をかけてくれるなんて、リューテシアはやっぱり気遣いのできる子だ。


 あ、でも、少しでも早く会いたいなんて、俺が破滅しそうになることを言うのはやめてね。心臓に悪いから。


 そんな今日も愛らしい婚約者殿が指さしているのは一輪挿しの薔薇だ。


 ただの薔薇であったならば、リューテシアがそこまで興味を示すことはなかっただろう。しかし、部屋の花瓶に挿してあるのは艶のない漆黒の薔薇だった。


 普段から目にすることのない色の薔薇にリューテシアは興奮を隠せない様子だ。


「色を変えたんだ。失敗作だけどね」


「色を、変えた?」


 椅子から立ち上がり、上下左右からまじまじと黒い薔薇を熱心に見つめるリューテシア。


 確かに珍しいものだけど、俺は青い薔薇にしたかったんだ。それなのに赤色に青色を混ぜたことで黒になってしまった。

 どことなく紫色にも見えなくはないが、やっぱり黒だ。青には程遠い。


「そんなに気になるならあげるよ」


「よろしいのですか!?」


「いいよ。失敗作でよければだけど」


「失敗作だなんて。ウィル様の髪の色と同じで、わたしの好きな色合いです。本当にいただいてしまってよろしいのですか?」


 鏡の前で髪の毛先をいじってみる。

 言われてみれば、髪の色に似ているような気もするが手放しで喜べない。


「あとで包ませるよ。さぁ、庭園に行こう。ここは息が詰まるよね」


 久々に会う婚約者殿は手紙では書ききれなかったことを話してくれた。

 特にお猫様の話が多く、最近は以前にも増して元気がなくなってしまったと。


 いよいよ死期が近いのかもしれない。

 今の俺は見た目が小学生でも、どんな生き物もいずれ死ぬということを理解している。だけど、リューテシアはそうもいかないだろう。


「次は僕がリュシーの家に行くよ。でも、もう少し待って欲しい。どうしてもやりたいことがあってね」


「はい。楽しみにしています。ウィル様を急がせるような真似はしません」


「ありがとう。じゃあ、これを」


 俺はメイドの一人に包ませた黒薔薇をリューテシアに手渡した。

 彼女は大切にそれを抱き寄せ、花弁を覗いては笑顔を綻ばせた。


 黒い薔薇って縁起が良いとは思えないけど、そんなもので喜んでくれるなんて、リューテシアは物好きなのかな。それとも期間限定や数量限定という文言に弱い子なのかな。


◇◆◇◆◇◆


 リューテシアの自宅訪問から数週間後、俺は遂に【物の色を変化させる魔術】のコツを掴んだ。


 父親よりも先に母親に報告したくなるのはどこの世界の子でも同じなのである。

 一目散に母の部屋を訪れた俺は庭園から拝借した一輪の薔薇を取り出し、魔術を発動させた。


 真っ赤な薔薇は花弁の先端から色を変え、赤紫色になったところで変化が止まってしまった。

 これまで薔薇を真っ青にしたことはないが、良い線まではいくようになってきた。


 我慢できずに中途半端な魔術を見せに来たことを後悔していると頭上からは母の吐息が聞こえた。


 呆れによるものかと思ったがそれはため息ではなく、嗚咽だった。


「……まさか、魔術が使えるなんてっ。私もあの人も使えないのに。それも花の色を変える魔術なんて――」


 驚くことに母は涙を流していた。

 

 母の涙を見て、この世界では魔術を発動できるだけで優秀とされていることを思い出した。


「どこでこの魔術を知ったの? 他の誰かに話した? 色を変えた薔薇はもっとあるの? それとも処分したの?」


 俺の肩を掴む勢いで質問責めする母に気圧されながらも答えていく。


「お父様の書庫の奥にあった魔術書に書かれていました。このことは誰にも」


 そこまで答えて、リューテシアに黒い薔薇を渡したことを伝えるべきか悩みに悩んで言うのをやめた。


 嘘をつくのは心が痛んだが、涙と一緒に冷や汗を流す姿を見せられれば、正直には答えられなかった。


「魔術で色を変えた薔薇は部屋に保管してあります。処分した方がよいですか?」


「えぇ。今すぐにでも燃やしなさい」


 即答されてしまい、俺は戸惑った。

 こんな用途の分からない魔術で作った薔薇に何の意味があるというんだ。


「どうして、ですか?」


 動揺しながら問えば、母は俺をそっと抱き寄せながら耳元で囁いた。


「これは【花を変色させる魔術】で、高難易度かつ禁断とされているものよ。青い薔薇の話は聞いたことがあるでしょ? この魔術は奇跡の青い薔薇を捏造ねつぞうすることが可能とされ、禁忌とされているの」


 な、なんだって!?

 なんで、そんなヤバい魔術が書かれた書物を父親が持ってるんだよ!


 って、俺、禁断の魔術使っちゃったよ!

 呪文なんて鼻歌の感覚で詠唱できるんだけど!


 いや、いや、そんなことはどうでもいい。

 禁断の魔術で作り出した黒い薔薇をリューテシアに渡しちゃったよ!!


「お、お母様。あの、実は……」


「……リューテシアに渡したのね。それは青? これと同じ紫?」


「いや、黒。真っ黒な薔薇を贈ってしまいました」


 母はよりにもよって、と諦めたように薄く笑い、俺の手をポンと叩いた。


「この魔術で色を変えた薔薇が悪さをすることはないでしょう。でもね、黒薔薇を贈ったのなら覚悟を決めないといけないわね」


 何を言われているのか意味が理解できなかった。

 俺は相当、不思議そうな顔をしていたのだろう。母は諭すように優しく教えてくれた。


「黒薔薇は不滅と破滅の象徴とされているのよ。大陸の最南端の孤島にしか咲かない花。これを知るのは余程、花のことに詳しい人だけね」


「お母様も?」


「私は学園では恋愛そっちのけで花の研究に没頭していたもの。あの人が見つけて、外の世界を教えてくれなければ、今頃は雄花と結婚していたかもしれないわね」


 そんな馴れ初めがあったとは。

 つまり、うちの両親は政略結婚ではなく、恋愛結婚ということになる。この世界では珍しいタイプだ。


 いや、今はそれどころではない。

 俺はとんでもない魔術に手を出してしまったようだ。


 この魔術を隠すとなれば、どんなに頑張っても他の魔術を発動できない俺は、魔術を発動できない人として生きることを余儀なくされる。


 この世界では大多数が魔術を使えないから、それで問題はないのだろうが、なんだろう……ちょっと悔しい。


 そんな俺の気持ちを察した母は、「二人だけの秘密よ」と囁いて額にキスをした。


 その日の夕方、これまでに魔術で色を変えた薔薇たちは母の言いつけ通り、焼却炉に入れて隠滅した。

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