第23話

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チョコレート・パンケーキ








 映画『バウンド』をご存じであろうか。

 かの有名な『マトリックス』を撮ったウォシャウスキー兄弟が手掛けた、フィルムノワールである。『マトリックス』を撮ったと言えば、CGやVFXをふんだんに使用した映画だろうと連想する諸兄もおられると思うが、この映画はそういったCGなどは一切使用していない。むしろ、『マトリックス』を撮る何年も前のほぼ無名時代の映画だったので、低予算で作られた映画であった。しかし、低予算ながら見せ方や構成に並々ならぬこだわりとアイディアが散りばめられており、キューブリックにも通ずる大胆な色使いは、観た者の心に焼き付けるに違いない。ストーリーは、出所して間もない女と、マフィアの愛人がふとしたことから関係を持ち、愛人から200万ドルを奪う計画を立てる。と、いった至ってシンプルなものだ。

 しかし、この類の映画のミソというのは、キッカケと結果ではなく、そこまでに至るプロセス。そして、このロジックをしかけるキャラのカリスマ性にかかっているといえる。 この映画は、知名度が低いながらもそれらを実に軽妙にパスしているだろう。真っ白なペンキの上で真っ赤な血を散らして絶命するシーン、泣きながら愛人に緊急事態を告げる電話を切った後の一呼吸置いた緊迫のシーン。騙される男と、騙す女のトラップゲームが秀逸な映画である。ウォシャウスキー兄弟はこの3年後に『マトリックス』を撮り下し、その後の作品はSF作品ばかりなので、この『バウンド』はそういった意味でも、稀有な作品であるといえよう。 

 さて、フィルムノワールと悪人からの金強奪。

 肝心な彼らの物語を追ってみようではないか。垰山事務所に荒崎と狭山が到着した頃、時刻は22:30を過ぎた時だった。常山武虎率いる数人の構成員が、事務所を襲撃したという報告があり、荒崎達は来た。だが、現場についた荒崎達はその光景に首を傾げた。職員達はあわただしくオフィスを右往左往しているが、特に襲撃を受けている様子は見受けられたない。

「おい、狭山。連絡、聞いたよな」

 自分の聞き間違いかと勘繰った荒崎は、狭山に尋ねる。

「はい。確かに無線が入りました……よね」

 無線は確かに入った。だが、ここに来たのは自分達だけである。荒崎と狭山は顔を見合わせたが、とりあえず職員に話を聞こうと中へ入ってみた。

「あれ!? 刑事さん、まだなにか?」

 職員の一人が、荒崎達に気づき話しかけた。

「? なんで我々が刑事だと?」

 怪訝な顔で荒崎がその職員に尋ねた。

「え、なんでもなにもそっちの刑事さんがさっき犯人を連れていったじゃないですか」

 職員は、狭山を指差して言った。

「え、俺、ですか!?」

 不意に指名された狭山は、身に覚えのないことに狼狽えた。

「さっき……? 犯人……? 狭山が……?」

 荒崎は顎を触りながら首を傾げる。職員はそんな荒崎に一礼すると、持ち場へ戻って行った。荒崎は、狭山の手を引くと、鼻先がくっつきそうなほどに顔を近づけた。タバコとコーヒーの匂いが強烈な口臭を知る狭山は、咄嗟に息を止めた。

「お前が犯人だったのか!?」

 そんなことはおかまいなしに、荒崎は狭山を問い詰める。

「犯人って……なんのですか!? それに荒崎さんと僕はずっと一緒にいたでしょ!!」

「はあ!? ……そうだな」

 反射的に聞き返したが、落ち着いて考えてみると、確かにそうだと荒崎は乱暴に掴んだ狭山の胸倉から手を離した。

「じゃあ、なんの犯人だ?」

 荒崎が頭を掻き、狭山は吸ってしまった口臭の洗礼を受けている。

「あ、そういえば」

 先ほどの職員が、少し離れたデスクから声を大きくして言った。

「副所長が出てこないんですけど、様子を見てもらってもいいですか?

 あんなことがあった後なんで、ちょっと僕達も入りづらくて」

「あんなこと?」

 狭山が、職員の言葉を反芻する。荒崎が職員に「どこにいるんだ?」と聞いた。

「3階の奥ですよ。扉の鍵が壊れてるんで、入れると思います」

 荒崎は狭山に「行くぞ」と肩を叩き、3階の所長室へと向かった。3階のオフィスに着くと、そこにいた職員が皆狭山に注目した。なにも言葉は発しないが、その誰もが「なにしに来たんだ」という表情で彼らを見詰めていた。

 そんな視線の針に刺されながら、荒崎達は所長室のドアを開けて中に入った。そこは特になんの変哲もない、よくあるタイプの応接間のようなオフィスだった。奥の本棚にびっしりと敷き詰められた本だけが、二人を見詰めている。

「なんだ……? なにがあったんだ?」

 ここまで来ても、妙な違和感が拭いきれない荒崎と、職員達の自分を見る目が気持ち悪くて仕方のない狭山。室内を見渡すが、ドアが壊されている以外は別段荒らされた形跡もない。

『バタン』

 唐突になにか軽い扉が開く音に驚かされる二人。次に『ドサッ』という重いものが転がる音。その音の方向に体ごと向き直ると、そこにはスーツ男がいた。さるぐつわをされ、手足をビニール紐で縛られている。

「なんだ! 誰だ!」

 スーツ男に駆け寄る荒崎は、狭山に「猿ぐつわを取ってやれ」と命令した。狭山が、固い結び目をようやく外すと、男は「プハッ」と息を吐くと狭山を睨んだ。

「な、なんだ……!?」

 スーツ男に睨まれた狭山は、思わず男に呼びかけた。すると男は、涙目で狭山を睨むと叫んだ。

「あんた……! よくも騙してくれたな! 金はどうしたんだ、ただじゃ済まないぞ!!」

「騙した? 金?」

 狭山はスーツ男の迫力に少し尻込みしながら、聞き返した。

「わざとらしいんだよ! カジノの金を盗んだんだろ! 俺を騙して地下道から侵入して!!」

「……地下道?」

 スーツ男は興奮して、絶叫に近いボリュームで叫ぶ。

「ふざけんなよ! こんなことが常山組の連中にバレたらなにもかも終わりだ!

 返せ! 金を返せ!」

「……」

 荒崎と狭山は、再び顔を見合わせた。そして、荒崎はポケットから携帯電話を出すとどこかへコールした。

「荒崎だ。至急応援を頼む、ちょっととんでもないことになりそうだ」

 荒崎が目の前でそう電話すると、それを聞いたスーツ男は目を丸くして言葉を失った。

「事情は署で伺います。ご同行願えますか?」

 狭山がしゃがみ込み、スーツ男に目線を合わせて聞いた。

「え? ええ?」

 スーツ男は完全に混乱しているようだった。実のところ、私も混乱している。

 しばらくして、警察管達が数人集まり、事務所の回りはパトカーが数台赤い光を灯していた。


「くっそ……! 垰山め……」

 その様子を少し離れた路肩で、車の窓から見ていた武虎が悔しそうに歯を食いしばった。



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