第22話

 眼鏡のレンズをウェスで拭くキニCを乗せて、エレベーターのドアが閉まった。

走るパスタ達はニャンニャンのナビゲートで、ずんずんと地下道を進んでいく。おそらく侵入者があった場合、その目をかく乱させるために灯りは必要最低限のポイントにしか点在しておらず、いくら設計図が頭に入っているニャンニャンと言えども、スマートに出口にたどり着くのは困難であった。駆け足で走りはするが、ブラシは200キロの札束を押しながらなので当然、そのスピードは鈍足である。ニャンニャンも肩に背負った100キロの札束の袋のおかげで、いつもよりも遅い。そして我らがボス、パスタに至ってはマリーの手を引いての逃走なのでこれまた遅い。しかしそれでも計画に支障はなかった。……はずだった。

「ちょ、ちょっとパスタ……あれ、なんの音?」

 ブラシが立ち止まり、耳を澄ましながら聞いた。

「あ? 音だぁ? ……!」

 遠くの方で、なにやらエンジン音が聞こえる。しかも、それは単体ではなく、複数の音だ。

「それはいくらなんでも反則じゃないかにゃん……」

「……お前ら、走れ」

 進むべき正面に向き直りパスタは、マリーを抱えて駆け出した。

「ちょ、なに!?」

「おー! お姫様だっこ!!」

「黙ってろ! こっちのが速いんだよ!」

 パスタは、走りながらブラシとニャンニャンに「いいから走れ!」と檄を飛ばした。マリーは抱えられながら、パスタの横顔を見詰めて聞く。

「なんで急に急いだの!?」

「バイクだよ! 迷路にしては妙に広い道幅の通路だと思ったんだ。まさか、バイクで追い詰めるための広さだったとはな。やられた」

 マリーを抱え、全速で走っているパスタは息切れもしていない。だが、額には少ない光を吸って光る汗が目立った。

「これはちょっとさすがに無理だにゃん」

 どんどんと近づいてくるエンジン音、緊張感のないニャンニャンの言葉。

「ちょっとパスタぁ~! どうすんのさ~!!」

 ベソをかきながら走るブラシ。

「くっ! ここまでか……!」

 パスタはポケットから何かを取り出し、ブラシにそれを投げた。

「……へっ?!」

 それを受け取ったブラシは、パスタの意図が理解できなかった。

「それ使え!! 足止めにはなる!!」


常山武虎は、TOHGEの電話の内容からカジノでなにかがあったことを察した。そして、すぐにカジノに連絡をしたところ、甲斐谷とマリーが見当たらないと聞き、直感的に飛んできた。するとどうだ。

 空の金庫と、その周りでのびた黒服どもと甲斐谷。

 ――やられた!

 率直な感想だった。

 常山組が関わっているこのカジノの金を狙う、狂った奴などいないと思っていた。

 だからこその甘いセキュリティ。人さえ配置していれば、なにもシステム化する必要ない。そう思っていた。

 やばい、やばい……あれは半分親父の金だ。しかも、常山サイドの権限はほぼ俺に任されている。そんな中で金が無くなるのは、マジで冗談じゃない。

 と、私が彼の心の内を代弁しておく。

「おい! バイク出せ! まだ逃げてないはずだ!」

 もしもの時の為と、垰山事務所地下までの道のりを楽にするために置いていた原付バイクが、よもや窃盗団を追うために使う日来るとは思っていなかった。

「絶対逃がさねぇ! お前ら行くぞ!」

 地下道の垰山事務所下までのルートならば完全に熟知している部下を先頭に、武虎はアクセルをいっぱいに回した。

「いた! あそこだ!」

 直進道の先に3つ……、パスタがマリーを抱いているので、実質4つの人影を先頭の部下が捉えた。距離にしておそらく、100メートルくらいだろうか。だがこちらはバイクであっちは徒歩。その程度の距離は、瞬く間に詰められる。

「曲がった! あの角を右に曲がれぇ!」

 100メートルほど先の人影は、角を曲がる。それを見て武虎が叫んだ。

「絶対許さねえからな! 一生忘れられねえくらいの痛みで殺してやる! 体バラバラにして、パーツを全部中国に売ってやる!!」

 次々とパスタ達が曲がった角を曲がる。

「熱ッ!」

 角を曲がった武虎達は、目の前の光景を疑った。なにかが火柱を上げて轟々と燃え盛っている。

「なんだ、なにが燃えてるんだ……」

 先頭の部下が、バイクを止めてそれに近づく。だが武虎は、なにかを察してその火柱目がけて駆け寄った。

「消せ、……消せ!!」

 着ていた品のないデザインのジャケットを脱ぐと、そのジャケットでその火を消そうとバサバサと、火に蓋をする。

「なにやってんだ! 消せよ!」

「いや、でも頭……あいつらは……」

「放っとけ! どうでもいいから消せよ!!」

 言われて部下たちは、パスタ達を追うのを止め、その火事を消しにかかった。その火は、必死の消火活動にも関わらず殆ど燃えてしまった。かろうじて燃えずに残ったそれを握って武虎は震える。

「ぅぅううう……がああああああっっっ!!!」

 その手に握られていたのは、端が燃えて灰になった一万円札の束だった。30億あった内の実に3分の2に当たる20億相当の札束が、灰になったのだ。

「ああああああっっっ!!」

 あまりの怒りに武虎は膝から崩れ、手に持った札束を宙にばら撒いた。その光景は、ある種の美しさもあり、さながら映画『プラトーン』の1シーンのようでもあった。武虎を襲った怒りと絶望感が、実によく表れている。

「追え……、追ええええ!!」

 気分でも悪くなったのかと思ったが、どうやら「おえぇ」ではなく「追え」であったようだ。その狂ったような絶叫指示に、部下たちは痙攣のように全身で反応すると「へい」と大声で返事し、バイクに跨った。

「舐めた真似しやがって……舐めた真似ぇぇええええええええ!!!」

 絶叫の余り仰け反った上半身が、そのまま後ろに倒れてのたうち回りながら叫び散らした。余りの怒りに、この男は狂ってしまったのではないかと思うほどであった。

「来た来た! あんたら遅いっちゅうねん!」

 エレベーターを昇り、垰山事務所に辿り着いた4人を迎えた狭山に扮したシャラップが急かした様子で文句をつけた。

「悪いなシャラップ」

 マリーを下すと、パスタはブラシからすでになにも乗っていない滑車をひったくった。

「……!? なんやなんや!?なんでなんも乗ってないねん、金は!?」

 なにも乗っていないその滑車を見て、シャラップは動転する。当然といえば、当然か。

 漫画喫茶に来たのに漫画がないようなものである。(拍手は結構)

「うるせえな、ちゃんと“5億”分は持って帰ってきたよ!」

「せやけど、こんなもん金なんてならんって!」

 パスタは滑車をエレベータードアにある異物検知のスイッチに引っ掛ける。そして、本棚を元に戻した。これでひとまずエレベーターが下に降りることはない。

「ぃよし! じゃあ、着替えろ! シャラップ」

「あ~~マジかー!? 借金減らんやんけぇ~」

「シャラップ!!」

「あ、ああ、あいよ」

 シャラップは、パスタに警官の制服を2着放り投げた。

「急いで着替えるんだ。こっちに誰か来る前にな」

 その一着をマリーに渡してパスタは命じた。だが、マリーはその制服を受け取るもその場で立ち尽くしたまま動かない。

「おい、なにやってんすか! 早くするっす!」

 ブラシがじれったいといった様子でマリーを急かす。だが、マリーは制服を床に落とし、両手の掌を胸の前で組んだ。まるでマリア像に祈る教徒のような姿だった。

「……行けません。私、あそこに戻らないと……」

 パスタはマリーが落とした制服を拾い上げると、その胸にドン、と押し当てた。

「いいか! よく聞け、お前はな……【買い戻された】んだよ! だから、お前はもう垰山勝彦の【持ち物】じゃない!」

 マリーは、その言葉に思わずパスタの目を見る。パスタは真っ直ぐとその目を睨むと、続けた。

「お前を買ったのは、船越 ことぶきと船越 たから! ここで俺達と帰れば、お前は“5億の女・マリー”から“船越 ゆり”に戻れるんだ!」

 マリーは、パスタの言葉に耳を疑った。だが同時に全身に走る電撃に、自分に人間の血が戻ってくる感覚を覚える。

「ことぶき……たから……」

 マリーの目から、涙がこぼれ落ちた。

「また、会えるの……?」

 震える下唇。

「お前次第だ」

「早くせえよ! プレイアローからここまでそない離れてないんやど!」

「ニャンニャンさすがに10人以上とは無理にゃん」

 焦った様子でシャラップとニャンニャンが急かす。

「どうすんだ! 戻るのか、俺達と来るのか!!」

 マリーは、胸に押し当てられた制服を力強く握った。

「……なんだ、ちゃんと自分で決められるんじゃないか。あんた」

 マリー……、いや船越 ゆりは来ていた絢爛なドレスやアクセサリーをその場で脱ぎ去ると、制服に着替え始めた。

「っひゅー、いい脱ぎっぷりっすね」

 ブラシが、襲撃に来たときと同じようにマスクと帽子をかぶる。ニャンニャンも同じように倣った。シャラップは、ゆりが脱ぎ捨てたアクセサリーやドレスを布にくるむと、ゆりに手渡した。

「ええ金になるから、持って帰っとき。世の中、割り切ったらええってもんちゃうからね」

「……ありがとう」

 気づくとパスタも警官の格好に着替え終わっていた。

「いいぞシャラップ」

「よっしゃ」

 シャラップはドアを開けると、室内のポイントポイントに立っている警官に合図をした。すると、先ほど職員達を誘導した警官が「確保ぉー!」と叫ぶ。1階に待機させられた職員達の見守る中、手元を布で隠され連行される黒装束の二人組とその前を歩く狭山、二人組の後ろを歩く警官が二人外へと連れていかれていった。

「大変、お騒がせしました。みなさんの協力のおかげで無事に、誰一人も犠牲を出さずに解決することが出来ました。念の為、サイレンが遠ざかるまでは外に出ないようにしてください」

 警官が職員達にそう呼びかけると、ぞろぞろと警官達は外へと消えてゆく。すこし遅れて、パトカーのサイレンの音と共に車が去っていく。

「垰山勝彦氏の個人事務所より通報あり、暴力団関係者の襲撃に遭っているとのこと。至急、現場に応援頼む」

 車内に乗り込んだシャラップは、無線でどこかにそう報告する。

「よっしゃ、これで終いっと……」

 カチャリと無線のマイクを収めると、電源を切った。

「みなさんお疲れ様でーす! ではお約束のお給料でーす」

 おおー! という歓声が狭い車内に響く。その車内にいる十数人からは拍手が沸きあがる。

「お一人10万円! もってけドロボー!」

 まるで市場の競りのような車内の男たち。皆、警官の格好をしている。

「おいおいおい! なんでこのタイミングで支払すんねん!」

「だって、こんなに沢山の男にもみくちゃにされるのって、ここしかないじゃん!

 あ、ちょっと押さない、押さないでぇ~ん」

「ちょ、ブラシ! せこいせこいせこい! うちも混ぜてや! なぁ!」

「暴れないで欲しいにゃん。車パンクするにゃん」

「にゃんにゃんうるさい!」

「にゃ」

 そんな移動する神輿車の中で、俯いたまま黙っているゆりにパスタが話しかけた。

「後悔してんのか」

「わからない」

「そうか」


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