第21話




 なにごとにもブレイクタイムというのは必要である。

 ここらで諸兄方にほっこりとしてもらうために、この物語に登場する女性の中でもトップクラスに美しくない女性が、そこにいたので見てもらおう。

「どちら様どすか? あちきはあんさんなんて存じまへんぇ?」

「存じないって、あんたそんな訳ないでしょ! プレイアローの設計図をなんであんたが持っていったの!?」

 はて、なんの話であろう。

 ここはBARマゼンタ。

 シアンのメンバーは全員留守にしているので、今日ここにいるのは偽物達だ。ニューハーフをしていると、偽物を立てやすい。メイクで大体がどうにかなるからだ。時折、大きなシアンのオーダーなどがあった場合、彼らはこの様に影武者を使ってアリバイを確保する。つまり今話しているのは、お菊の影武者だ。

 そして、その影武者と言い合っているのは、……体は大人、頭脳も大人、ないのは金と男、名探偵糸井だ。

「しらばっくれないで! あたしの恋人が欲しがっていたプレイアローの設計図を裏ルートでようやく入手できそうだったのに、業者に行ったら“花魁言葉の変なおかまに売った”って言うじゃない! この界隈でそんなおかまあんただけよ!」

「そないなこと言われても、あちき知りまへんぇ」

「まだシラを切るつもり……ていうか、あんたそんな話し方だったっけ」

 お菊は花魁言葉なのだが、この影武者はなぜか京都の舞妓言葉である。何気に詰めが甘い。糸井は、眼鏡の位置を直しながら更に食って掛かった。

「あのね、あの設計図はこれから愛に発展する重要なものだったのよ! そう、愛……愛よ! 解ってる?! 偶然を装って彼にあれを渡して、私はお嫁さんになるはずなのよ! 無いと困るの!」

 よく分からないが鬼気迫る迫力でニセお菊に迫る糸井。

「大体あたしを覚えてないってどういうこと!? あれだけ偉そうに追い払っておいて!」

「……はぁ、もうええどすぇ」

 バタム、とまた締め出されてしまった。

「ちょ、待って! 開けなさいよ! あの設計図はねぇ! 業者が面倒を避けてデータ化も、紙のコピーもしてないの! 現時点で外部の人間が手に入れられる唯一のルートだったのよーーーお!」

 なんだか悲しい気分になってくるのは何故であろうか。

 胸を締め付ける甘酸っぱい恋の思い出――。

 名探偵糸井はそんな青春の名残を私に思い出させてくれた。ありがとう糸井。とポエる私をよそに、糸井はその場にへたり込んでシクシクと泣いている。耳を近づけてみると「結婚が……結婚がぁ……」と繰り返し呟いている。これが噂に聞く、ヤンデレという奴であろうか。

「天河……ううん、壮介……壮介ぇ……」

 怖い。

「……!? あれは」

 糸井が、なにかに気づいた。涙を拭い、通路の柵に身を乗り出し下を見下ろす。その視線の先には、テレビでよく見る人影があった。

「あれって……TOHGE……?」

 糸井の頭の中で、天河の言葉が巡る。

『TOHGEの情報は?』

『プレイアローの設計図、持ってるか』

「なんでこんなところにTOHGE……」

 糸井は背後を振り返り、マゼンタの看板を見た。

「プレイアローの設計図をここのおかまが持っていて、そしてTOHGE……」

 糸井の持つカードは少ないものの、さすがは探偵である。薄々、これらのカードは偶然ではなく、なにかの役が成立する前兆ではないかと疑い始めた。

「あのおかま……もしかして、“本当に私を知らない”!? ってことは、こないだのおかまとさっきのおかまは、……別人……?」

 糸井は、電話をしている様子のTOHGEを尾行(つ)けてみることにした。だが、しばらく歩いたところでTOHGEはタクシーに乗り込み、そのまま見失ってしまう。糸井には同じくタクシーで追いかけるセオリーを行う金銭の余裕がなかったからだ。切ない。遠ざかってゆくタクシーのテールランプを見詰めていた。

「なんか、怪しいのよね……」






 ――プレイアロー金庫内

 カリカリカリ、パリパリパリ

「……」

 カリカリカリ、パリパリパリ

「…………」

 カリカリカ

「なんなんだ! いつまでここにいるつもりだ! いくら待ったところで貴様はもう終わりだ! 聞こえるだろう!? 外の連中の声が!」

 パスタの乾燥パスタを噛む音が癇に障ったのか、甲斐谷がまたヒステリックに叫ぶ。確かに、さきほどからずっと分厚い扉の向こうで、怒号のようなものが微かに聞こえる。

「ああ、聞こえるな」

「今なら俺が大目に見てもらえるように話してやる。出るんだ!」

 (つまり出たいってことなんだな)と、パスタは目で話すが、通じていないのか甲斐谷は更にヒステリックにパスタを説得する。残念だが、通じ合えたのは私とだけである。

「なにかを待ってるんでしょ?」

 これまで沈黙を守ってきたマリーが口を開いた。この状況で動じていないとは、さすがに5億の女。そんじょそこらの女とは肝の据わり方が違う。

 パスタはマリーの問いに口では答えなかったが、代わりに乾燥パスタを噛む口元を緩ませ、(そうだよ)と意思表示した。

「なぁ? どうだ!? 悪くないだろ? ここらで手を打ったらどうだ」

 甲斐谷は相変わらずパスタのご機嫌を取ろうと説得している。

「ん?」

「なんだ!? 気が変わったか!! そうだろう、そりゃ……」

「黙れ」

 パスタの喝に甲斐谷がベラベラと垂れ流した言葉を飲んだ。

「……来た」

 パスタが内側から扉を押す。

 ガッチャン、という聞いたことのない重い音を立てているにも関わらず、ドアは思いのほか軽く開いた。

「ふふ、ははは! ようやく観念したか! 残念だったな! 貴様に譲歩してやるものなどなにもない! 悪党にやるものなどなにも……」

「にゃーん」

「そう! にゃーんにも無……“にゃーん”!?」

 見事なノリ突込みである。本気でやっているだけに、関西人も顔負けのクオリティであった。

「にゃーん、ってなんだ! にゃーんって!」

 重い扉の開いた先に待ち構えていたのは、黒服達ではなく黒装束の体の大きな男だった。

「ニャンニャンうるさいにゃ!」

 黒装束の男は甲斐谷の喉元を片手で持ち上げると通路側に投げ飛ばした。甲斐谷の体は、宙を飛びながら横たわる黒服達を横切っていく。そして、高い位置から床に叩きつけられた甲斐谷は「ぎゃふん」と漫画のような叫び声を上げて失神した。

 時刻は22:05

 パスタが「合流した。金を運ぶ」とキニCに報告する。

 黒装束のニャンニャンの後ろから、物干しざおを改造したような棒状の長い道具を持って、同じく黒装束のブラシが顔を出した。

「なんでこう日本の裏稼業って、不用心なんだろうね」

「極道の名前と、政治家の名前がセキュリティだと思ってるにゃん」

「油断するなよ。さっさと組み立てて、ここから出るぞ」

 ブラシとニャンニャンは「了解」と返事をすると、ニャンニャンは金を袋へと詰め、ブラシは持ってきた道具をキャリーバッグのように組み立てていく。

「500キロくらいまでなら耐えれると思う。ただ、スピードは出ないよ」

 組立てを終えたキャタピラ付きの骨組みに詰めた金の袋を乗せる。

「100キロ……10億分はニャンニャンが持つニャン」

「よし、行くか」

「あの……」

 すっかり放置されたマリーが3人のやりとりを見かねて話しかけた。

「……? なにやってんだ」

「なにやってんだ……って、私は帰ってもいいですか?」

 マリーは困った様子でパスタに尋ねる。

「ああそうだな」

 パスタはマリーの手を握ると、走り出した。

「……!? なにを……っ!?」

 困惑するマリーはその続きの言葉が出ない。

「俺は最低でも“5億”持って帰らなきゃいけないからな」

 パスタに続いてブラシとニャンニャンが後を追った。

「プレイアローの地下は一本道じゃありんせん。迷路のように侵入者を惑わす為に、幾つもの道が枝分かれしんす。カジノ側から金庫に行くのは容易でありんすが、垰山事務所からのルートで行くには設計図が必須でありんした。しかし、入手はしたもののぶっつけ本番でルートを確保するのは至難の業でありんす、だからこそのニャンニャンでありんしょう」

 設計図を入手した際にキニCがパスタ達に話した内容だ。金庫で合流したパスタ達は、人の密集するカジノ側から脱出するのは不可能と言える。だから、垰山事務所側からの脱出を図ろうというのだが、人の多さはカジノほどでないにせよ、垰山の事務所にも多数の人間がいる。これをどうクリアするつもりだろうか。

「あの角は右、その先すぐの角を左にゃん」

 最後尾で走るニャンニャンは、パスタを背後からナビゲートする。ガラガラと金を積む滑車の音がやかましく響き、冷たい殺風景に殺風景なBGMを流す。

「やめて! 私をプレイアローに帰らせて!」

 手を引かれながらマリーはパスタに懇願する。だが、マリーの声を無視しながらパスタは走る。

「なんで!? なんで私なの? 他にもキャストは居たはず、上の世界にも沢山綺麗なホステスがいるでしょ!! なんで私なの!!」

「オーダーに入ってんだよ。俺に聞くな」

 特になんの感情も込めず、パスタは問いにそれだけ答えた。

『パスタ、まずいでありんす』

 不意にキニCから通信が入った。


「なんだ、どうした?」

 イレギュラーが起こったというニュアンスを含んだその言葉に、すぐに聞き返す。

『カジノ側4階のセキュリティが解除さりんした』

「……? それがどうした」

『わかんりんせんか? つまり追手がくるってことでありんす』

「そんなもん放っておきゃいいだろ」

『そうもいかないでありんす。妙な信号電波出てると思った矢先の解除、これはおそらく常山武虎でありんしょう。こいつ、キレてるけど意外と頭もキレる厄介者みたいんすな。多分、わっちの存在にも薄々気づいてりんす。これ以上の通信は危険でありんしょう』

「そうか。分かった、じゃあ通信を切断しろ。後はなんとかする」

『大丈夫でありんすか? 向こうはルートを熟知している、すぐに追いつかれんしょう。武闘派はニャンニャンだけでどうにかなりんすか』

「ふん、なんでもできるからボスなんだよ!」

『ご名答』

 そう言うとキニCは通信を切断した。

 カフェを精算すると、キニCは各所に設置されたゴミ箱にノートパソコンを捨て、エレベータに乗った。それと入れ違うように、柄物のスーツを着た男たちが降りていった。

「……間一髪、ってとこでありんした」

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