第20話
――21:55 プレイアロー地下4階。
「ご苦労様。彼と代わってくれ」
甲斐谷は、金庫番の黒服にそう言うと、自分が連れてきたパスタと交代することを促した。
「彼は?」
「新入りだそうだ。波多から連れて行ってくれと言われたんだ」
「……新入り? そうですか。では」
黒服はおかしな表情を見せたが、甲斐谷に従いパスタと持ち場を代わった。無表情のままパスタは、黒服と代わる。そのすぐ隣には、もう一人警備役の黒服が立っていた。
「えらく細い身体だが、大丈夫か?」
黒服がパスタに話しかけた。明らかに小馬鹿にしたような表情が癇に障る。(私が)
「ああ、心配いらな……い!」
パスタはそう言いながら【心配いらない】の“な”から“い”の間で、黒服の喉に右手の親指を刺した。
「こっ……!」
突然の苦しみに黒服はたまらず、うずくまる。そこにパスタの左膝がこめかみにクリーンヒットした。
「悪いが静かに死んでくれ」
前につんのめったまま動かなくなった黒服に背を向けると、甲斐谷とマリーを追った。黒服が立っていたすぐ奥に大きな鉄の扉があり、その脇にはロックを制御する装置がついている。黒服を瞬殺(死んでない)したパスタが、その扉の方へ先に進んだ甲斐谷とマリーを追おうとした時、『バタム』という重い扉が閉まる音がした。甲斐谷とマリーはあろうことか金庫の中に逃げ込んだのだった。
「ま、そうなるわな」
パスタは、背後の天井を見上げた。そこにはカメラがこちらをじっと見ている。
「キニC、何分だっけ」
パスタが耳に手を当てて、いないはずのキニCに聞いた。
『1分でありんしょう。急いでおくんなんし』
「ああ」
パスタは、内ポケットから乾燥パスタと黒いボックスを取り出した。乾燥パスタを口に咥えて、パスコードロックのカードリーダ部分にボックスから伸ばした端子を差し込む。
「差したぞ。そっちデータ行ったか?」
『来た来た、来たでありんすよ』
「クラッシュレベルはいくつだ?」
赤い回転灯が一斉に回りだす。同時に異常事態を知らせるブザーがけたたましく鳴り響いた。遠くの方からどたどたという足音が聞こえてきた。絶体絶命である。パスタの正面には、ロックのかかった金属ドア。私に権限があれば、続きは来週のこの時間に! とでも引き伸ばしたいが、どうやらそういう訳にもいかないらしいのであった。
『ピー』
ガヂャ
『レベルは、【1】ってとこでありんすか。拍子抜けでありんした、鉛の南京錠のほうがよっぽど開け甲斐ありんす』
「全く、頼れるなお前」
開錠と共に少しずれたドアを引いて、パスタは金庫を開けた。絶対絶命のピンチだったというのに、冷や汗一つかいていないパスタの姿を恐怖に引きつった顔で眺める甲斐谷と、対照的に驚きに目を丸くしているがそれ以外に感情の動きが見られないマリーがいた。
「おじゃまするぜ」
パスタは、金庫の中に入ると中から扉を閉めた。
「やってくれるね、おっさん」
パスタは甲斐谷に笑いかけると、閉じた扉にもたれかかった。
「な、なんだ貴様は! なにが目的だ変態男め!」
「へ、変態……」
おや? パスタはすこし傷ついたようだ。
「よく聞け、目的はな……」
パスタは、ふるふると唇を震わす甲斐谷の背後を指差した。そこには金属棚一面に敷き詰められた札束。パスタの背後の扉から、微かに扉を叩く音と男の怒鳴り声が聞こえるがそれを無視したパスタは、更に言った。
「ここの金、全部」
パスタの口元で、【アルデンテがあるねんて!】がパリンと小気味のいい音を立てた。
――21:50 垰山勝彦事務所
「垰山勝彦を出せ!」
黒装束の男の声で、場内は一斉に静まり返った。まるで銀行強盗が押し入ったかのような緊張感が、フロア一体に走る。事態が呑み込めていない職員達は、ただ口を半開きにして呆けているように立ち尽くしている。
そこに押し入ったのは2人組の男であった。格好は、これまで散々垰山の演説を妨害しに現れた黒装束の過激派だった。
「我が同志たちが外を包囲している! 抵抗は無駄だ! 垰山を出せ!」
もう一人の黒装束の男がそう威嚇し、垰山の身柄を要求した。それを先ほどのスーツ男がドアの隙間から見ていた。
「ま、まずいぞ……このままだとこの所長室にあいつらが来る……。もしここにいないってことが分かったら……」
スーツ男は生きた心地がしない。眼鏡の上部を少し曇らせて、鼻息が荒い。興奮しているのか、鼻息が荒いのに鼻でしか息をしないのでやけに苦しそうだ。
「(開けてください!)」
ドアのすぐ向こうで、ささやくように誰かが言った。
「ああ、刑事さん!」
ドアの隙間から覗きながらスーツ男にささやいたのは、狭山であった。
「奴らがここに気づく前に! 早く!」
「はい! どうぞ」
慌ててスーツ男は、ドアを開けると狭山を招き入れた。狭山は部屋に入るとすぐに鍵を閉めた。ドアに耳をあて様子を窺い、スーツ男の肩に手を乗せると説得するように目を見詰める。
「ここが気づかれるのは時間の問題です。垰山氏の安全は確保しましたが、気になることを仰っていたので、私だけ単身で戻ってまいりました。パニックルームがこの室内にあるのですか?」
「へ、パニックルーム」
説明しよう。パニックルームとはジョディ・フォスター主演で映画の題材にもなった、緊急避難の為の簡易シェルターのようなものだ。強盗や暴漢などに遭った際、外に逃げる余裕がなかった時に、自らの安全を確保する為に作られたシェルター……謂わば【隠し部屋】のことを言う。欧米では、徐々に認知度が広がっており、新築の物件にパニックルームがついているケースも多い。犯罪件数が日本のそれとは違う欧米ならではの設備であると言える。
「パニックルームですよ! 違うんですか? “あいつなら大丈夫だ”と言っていましたが、どこかに隠れた部屋が……」
そういってキョロキョロと室内を見渡す狭山。額には冷や汗が光、今置かれている危機的状況を示している。
「隠し部屋……まさか」
スーツ男は、うわ言のように呟くと立ち上がると「あります!」と叫んだ。
『峠山の部屋はどこだ!』
ドアの向こうで過激派の怒号が聞こえる。
「早く!」
「は、はい!」
スーツ男は、フラフラとした足取りで奥の本棚に向かう。緊張感のない足取りだが、恐怖を無理矢理ねじ伏せているので足腰に力が入らないようだった。それにしても本棚とは、これまたセオリーを外さない。本棚の垰山著書の本を次々と引いていくスーツ男。ドンドン! と力いっぱいに扉を叩く音が鳴り響いた。
「ひぃぃぃぃいいいいいっ!!」
スーツ男は叫ぶ。手元は既に震えている。
「落ち着いて! 早く!」
狭山が後ろから肩を抱き、スーツ男を励ました。
「そこにさえ隠れれば、もう安全です!」
「は、はいぃ~!」
カチ、という音が本棚の裏で鳴り、三つ並んだ本棚の一番右端が5センチほど前にせり出した。スーツ男は、そのせり出した本棚を手前に引くと、重さを感じさせない軽さで本棚はスライドする。そこには、あまりにもこの部屋とは不釣り合いなエレベーターの金属ドアがあった。
『垰山ぁ~あ! 出てこいおらぁ!!!』
更に激しく叩かれるドア。少し間を置いて『どけ!』という別の男の声がし、なにかを削り取るような機械音が鳴り響く。
「あわわ……!」
「早く! 奴らが入ってきます!」
あわわ、とはこれまた古風な。生で聞いたのは私も初めてだった。息を飲み見守るしか出来ない職員達を威嚇する過激派の男。たった二人しかいないのにも関わらず、彼らを支配するのは容易い。何故ならこのような危機的状況の経験がないからである。ないのが普通であるが。ともあれ、彼らが見守る中で垰山の部屋のドアはサンダーという鉄や木材を切断する回転刃の工具で、鍵を切断していく。
「いいかぁ! 警察を呼んでも無駄だからな!」
背の低い方の過激派がヒステリックに叫び、場を更に萎縮させる。
「変な動きしたら、垰山と一緒に殺してやるからな!」
“自分は本気だ”と、身振り手振りでアピールする過激派を前に英雄に覚醒する者はいなかった。ガギン! という独特な金属を切断する音が緊張感を緩めた。
それが何故かというと、鍵が壊されたということは彼らの標的である垰山に、危機が集中することで自分達から目が逸れる。誰もが我が身がなによりも愛おしいのだ。乱暴に鍵が馬鹿になったドアを開け、二人は中へと入っていった。そして、乱暴にドアを閉める。場に居た職員達が、それを見届けその場から離れようと雪崩のように通路へと押しかけた。
「警察です! 落ち着いてください!」
逃げようとした彼らの前に、制服姿の警官が数人立ちはだかった。
「通報があり、駆けつけました! ここで一斉に逃げ犯人を刺激してはさらに危険が増します! ここからは私達の指示に従って行動してください!」
どよどよと巣を離れようとした蟻の大群達は、沸き立った。恐怖と緊張感が、目に映った警官達によって緩和したのか、現状の選択を各々で話しているようだ。
「とにかく、落ち着いてください。我々が一階に誘導します。外にも過激派集団の仲間がいることが予想されますので、建物の外に出るのは危険です。事態が収束するまで、皆さん一階で待機してください。それと、申し訳ないのですが携帯電話やメールなどで外部に情報を漏らさないこと。どこで過激派がチェックしているか分かりません!おそらく、ここの職員の個人情報は入手済みだと推測されるので下手な行動は命取りになりかねません。ご理解願います!」
そういうと警察官は一階へ職員を集め、待機させた。
「ここからは私達の仕事です。大丈夫です、必ず解決します! それまでここでお待ちください」
そう言うと警察官は、数人の警察官を護衛に置いて、再び垰山の部屋がある3階へと向かった。
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