第16話

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グルーヴィ・ミサイル








 映画『スティング』をご存じであろうか。

 1972年、アメリカ映画屈指の名優ポール・ニューマン。現在は監督としても評価の高いロバート・レッドフォードとの共演が今となっては伝説とされている。

 映画のあらすじはこうだ。伝説の詐欺師と謳われたポール・ニューマン扮するゴンドーフの元にロバート・レッドフォード演じるフッカーがある依頼を持って訪ねてくる。その依頼とは、親同然の存在だった詐欺師の師匠がある仕事で大物ギャングに関わったが為に殺害されてしまった為、復讐をしてやりたいというものだった。最後の仕事で下手を打ち、FBIからその身柄を追われる身となっていた伝説の詐欺師・ゴンドーフは既にその世界から退いており、フッカーに同情こそすれど協力の意思はまるでなかった。しかし、殺されたフッカーの師匠が自分の旧友であったことを知ったゴンドーフは、ヒモ同然の暮らしですっかり落ちぶれていた自分を奮い立たせ、再びその胸に躍動を灯す。

 しかし、復讐と言っても相手は大物ギャングである。当然ながら一筋縄では行かない。あらゆる罠をしかけ、網を張り、そしてその時が来るのを待ち、ついに憎き相手を陥れる準備が整った。なにも知らないギャングの要人は、その罠に嵌るのか。張った網にかかるのか。そうして物語は見る者をも裏切る結末へと、歯車を軋ませる。

 といった、逆転映画のパイオニア的な作品である。

 現在ではそれが一つのジャンルにもなっている逆転劇……。いや、この例えは適当ではない。どんでん返し、と言おうか。ラストで待ち構える衝撃的な結末、というものの種類は多岐に渡るが、『スティング』の場合は鑑賞者を気持ちよく裏切る。というところであろうか。ギャング映画のテイストも匂わせつつも、全体に漂わせるコメディテイストの空気、そしてポール・ニューマン演じるゴンドーフの掴みどころのないキャラ。フッカーの直情的なのに、どこか憎めない真っ直ぐな部分が物語に軽妙な説得力を上乗せしていく。物語の構成も面白く、7つのパートに分け、鑑賞者に計算させつつもそれを裏切るためのトラップを隠すのにも一役を買っている。観客を裏切るという作品は、世に数多あるが、それらを語る上でも『スティング』は外せない作品と言えよう。

 さて、諸兄方々がご覧になっているこの物語であるが、どうだろう。期待されておられるのではないだろうか。どこかで必ず自分達を裏切ってくれる、と。残念ながらこのマゼンタの面々は、貴方を裏切ることはしないだろう。何故なら彼らの仕事は裏切ることでも、騙すことでもない。奪うことだから、である。

 その過程を語ることしか許されない私にとっても歯痒く思うが、どうやら彼らはそれを一貫したいようだ。

 オーナールージュのオーダーは絶対。

 オーナールージュが受けるオーダーは絶対。

 オーナールージュは彼らにとっては絶対なのだ。

 そこまでに彼らがルージュに従う理由は、なんなのだろうか?実に気になることだとは思うが、それはまた次の機会にお話ししよう。 

 さあ、ここで騙される予定なのは苦虫を噛み潰したかのような渋い顔で、部下からモニタールームに呼び出されたプレイアロー支配人・甲斐谷信二である。さながら『スティング』でいうところのロネガン……最後に一泡ふかされるギャングに例えるのが妥当なのだろうか。最終的に一番痛い目に合うのが誰か。それは諸兄方にご推理頂きたいと思うが、少なくともこの酸味の効いた香りが漂ってきそうな男が、ポールニューマンではないことを願いたい。

 30はあろうかというモニターは甲斐谷の見上げる先一面に張り付いており、これほどの巨大な盤面での将棋はさぞ楽しいだろうと不謹慎な想像をしてしまう。そもそも30×30ではマスが足りないわけだが、そこは一興としてお目を瞑って頂きたい。

「ブラックジャックで馬鹿勝ちだなんて聞いたことないぞ」

 不機嫌そうに皺を寄せて甲斐谷が、誰に言うでもなく吐いた。

「……はい。ですが、現実に連勝しています。モニターや勝負したディーラーからの情報ではイカサマかどうかは分からないらしいのですが……」

 困った様子でスーツ姿の部下が甲斐谷に報告する。

「馬鹿な。おとなしく遊んでいれば目立たずに済むものを」

 ブラックジャックのテーブルを映すモニターを睨み、甲斐谷は呻くように漏らす。

 この男、相当に問題ごとが嫌いなようである。 

 “派手にやらなければ、少々のことは目をつむる。“

 甲斐谷のモットーとはそんな保守的なものだった。それだけに、こんなにも派手にギャラリーを沸かせるほどに遊ぶこの女が気に入らなかった。

「この女の正面を出せ」

 甲斐谷がそう指示すると、モニターは織姫の顔を映し出した。監視カメラの画像と思えないほど、今の技術は進んでいる。よくドラマや映画などで目にするモノクロのモニターは、すでにアナログに衰退したと形容しても大げさではない。要するに綺麗な映像だということだ。

 その綺麗な映像をからかうように、煌めき立った織姫の姿。

 勝負の勝ちを素直に喜び、はしゃぐ様子を映し、背後のギャラリーもそんな彼女の仕草に一喜一憂しているようだった。

「支配人」

「……支配人!」


「ん、ああ?」

 甲斐谷は、2度呼ばれたのにも関わらず呆けた表情をしていた。先ほどまでの渋い顔が嘘のように、口を半開きにさせていた。

「どうされますか? ゲストルームに呼び出しますか?」

 イラつきを隠すように不自然な笑みを作って、部下の男は甲斐谷に指示を仰いだ。

「そ、そうだな。少しお灸を据えてやるか……、その勝負がついたらディーラーに伝えろ。私は先にゲストルームで待っている」

「了解しました」

 ひとつ大きな咳払いをし、襟をわざとらしく何度か正して甲斐谷はモニタールームを出ると、ゲストルームへ向かった。バクダッド・カフェで老いた絵描きが、その眼前に見詰める裸の恋人のシーンを思わせる熱い熱視線。それを向けられているのは織姫であり、熱視線の主は甲斐谷である。

 純粋な憧れと言ってもいい無邪気な、左目。邪な下心を躍らせる右目。その二つの感情が羨望にも似た光線となって甲斐谷の目から発せられていた。

 【ゲストルーム】と書かれた扉の向こうの部屋は、3人掛けの黒い革張りのソファが二つ、ガラスのテーブルを挟んで向かい合わせに置かれているだけの、シンプルな部屋だった。

「君のような綺麗な女性がなぜあんなことを?」

 その空間に取り込まれてしまいそうになるのを振り切るように、甲斐谷はなるべく抑えた語調で織姫に尋ねた。

「あんな……こと……ですか?」

 だが織姫自身はなぜこの部屋に自分が呼ばれているのか、理解できないといった表情で甲斐谷の言葉を反芻する。

「……君は何者かね?」

 織姫の反芻した言葉を聞こえない振りをし、甲斐谷は織姫に質問をする。

「何者……と言われましても……。

 私は、織姫と言います。寝原川のクラブでホステスとして、普段は働いています。今日はTOHGEさんのお誘いで遊びに来たのですが……」

 織姫の口からTOHGEの名前が出ると、甲斐谷は『またか』といったように頭を抱えた。 

「そうですか、織姫さん。じゃあ貴方はTOHGEの友人なんだね」

「はい。一緒に来たのですが、私がブラックジャックに夢中になっているとどこかにいってしまったみたいで……」

 織姫は持っていたハンドバッグのヒモを強く握ると、下唇を噛み締めた。

「TOHGEも来ているのか? モニター室では気づかなかったな」

「あの、もう戻っても……?」

 織姫は気まずそうに、少し小さな声で甲斐谷に尋ねるが、甲斐谷は織姫の目を見ると言った。

「そういう訳にはいかない。君をカジノ場に戻す訳にはいかないんだ」

 真面目な顔でまっすぐに織姫を見つめる。

「それはどういう……」

 狼狽した様子で織姫は唇を震わす。

「本当はね、私がじきじきに話すことではないのだがね。TOHGEの知人ならば話は別だよ。話を聞いたのが私で良かった。

 結論から言おう。君はイカサマをした。

 物証はないがね、その疑いがある」

「そ、そんな! 私はイカサマなんて……! 証拠あるんですか!!」

 思わず、といった様子で織姫が叫ぶ。

「物証の有無は問題ではないんだよ。元々違法なカジノだ、我々が疑えばそれが立派な証拠となる。君のブラックジャックでの勝ち方は異常だ。仮にあれがたまたまツイていただけだったとしても、ほどほどにしておかなければ目をつけられる。TOHGEの知り合いということならば、今回は大目に見よう。帰りたまえ」

「……っ!?」

 返す言葉もないのか、室内には沈黙が漂った。

 「出口まで案内させよう。TOHGEには内密にしておく、もう2度と近づかないことだな」

 甲斐谷は、そう言うとポケットから煙草を出した。

「……!?」

 すかさず、その口元にライターの火を差し出す織姫。

「……ありがとう」

 甲斐谷は煙草に火をつけると、深く煙を肺に吸い込んだ。

「私で良かったな。本来なら黒服が相手をする。もしそうなれば、君の処遇は全く違うものになっていただろう。どこで覚えてきたのかは知らないが、火傷をする前に引退した方がい……」

 甲斐谷が喋っている途中で言葉が途切れた。音だけを聞けば無理矢理口を押えられたような印象であった。

「んぐ、……ん、ん……」

  甲斐谷の口元を押さえていたのは織姫の掌だった。そして、その掌を離す。

「なにをっ……ん!」

 一瞬口元を解放された甲斐谷はまた言葉を言いかけたところで中断された。今度は掌ではなく、織姫の唇を押し当てられた。間違いなく織姫はゲイである確信が私の中でついた!

「ん、ん~!」

 苦しそうな甲斐谷の声。子供が飴玉を舐めているかのように頬からは時々、中から押し出される凹凸が現れる。唇どうしを密着させている為、口内が混じり合う音はほとんど聞こえないが、甲斐谷の口内がどんな風に暴れられているか、この呆けた目が語っている。前のめりにガラスのテーブルに身を乗り出して、濃厚なキスをする織姫はしっかりと甲斐谷の両肩を押さえた。火をつけたばかりの右手のタバコは、緊張しているのか小刻みに震え、その灰を床に落とす。焦点の合わない視線のままでされるがままの甲斐谷の唇を離すと、織姫は潤んだ瞳で甲斐谷を見詰める。

「……お願い……許してください……なんでも言うこと聞きます……、どうしてもお金が必要だったんです……」

 懇願する内容なのにも関わらず、真っ直ぐに強く見つめる瞳。この矛盾したギャップが、更に甲斐谷を陶酔させ、全ての優先順位を逆転させてゆく。

 そう、彼の中で“支配欲”が全ての細胞を“支配”してゆく。

「この下に、個室があるんだが……。 本当にいいんだね?」

「ええ、見逃してもらえるなら……、全身全霊で奉仕させてもらいます……」

 織姫は笑った。

 強く押し付けた為、唇の紅が少しぼやけている。だが、その様子が甲斐谷の男を更に刺激し、後戻りが出来ないことを知らせた。その視線に気づいているのか、織姫は上唇を舌を出して舐めると、その湿り気を下唇にも分ける。ゆっくりと瞬きを一度すると、甲斐谷を挑発するように笑う。

「ここでしても……いいんですよ」

 甲斐谷の頬をゆっくりと擦り、織姫はドレスの胸元を強調する。

 ……この私ですら、もう男でも構わないと思ってしまうほどの淫靡さであった。


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