第15話




カツン、という音を四方八方に跳ね返らせて黒い扉に向けて足音のリズム鳴らす影があった。ここはTOHGEの立っていたマゼンタのあるビルではない。だが、TOHGEとも関連のある場所でもある。 

 黒く、金の装飾がなされた扉。見るからに重々しく、訪れる者を品定めしているようだ。

 ストップモーションアニメが非常に画期的であった名作、『シンドバッドの冒険 七つの航海』に登場するサイクロプスを想像させる。 

 それほどにこの扉は暴力的であり、威圧的であり、とても来る者を歓迎しているようには思えない。無言で『入りたければ試練をクリアすることだな』とでも言いたげである。

「失礼。会員証はありますか」

 これは失敬。私がそれを連想させずとも扉の脇に立つ黒服が試練を与えてきた。

「いえ、実は……」

 言い辛そうにそこまで話すと次を紡ぐ言葉につまずく女性の声。困っている様子の目元には彼女を見た者が、その存在を記憶の中に判を押すかのような泣きボクロが歌っていた。

 ……だが、どうだろう。この人物がここに居るのはいささかマズイ状況ではないだろうか。何故なら彼女が“マゼンタにいなければ”、“後々マズイことになるのでは?”と諸兄方含め私自身も危惧するところだ。

黒服はそんな困った様子の美女を前にしても、微動だにせず。ただ、その様子を見守っているだけであった。

 ただ、その女性はそわそわとした様子で、ふんぞり返る大きな扉が待ち構える通路でしきりに今来た多目的トイレベータの方をちらちらと気にしている。

「あのすみません……TOHGEさんはまだいらしてないんですか?」

【TOHGE】という言葉にピクリと肩を鳴らして黒服の一人が反応した。

「TOHGE様は、まだいらしていません」

 それでも顔色を変えずに黒服の男は、ただ一言彼女に答えた。彼女は「そうですか……」と再びトイレベータを見るが、誰も来る様子はない。

「21時って約束したのに……」

 涙ぐみながら女性は、独り言を呟いた。時刻は21時を5分ほど過ぎたところだ。

 TOHGEのワードが出てきたことで、黒服達の彼女を見る目は不審者からTOHGEの女へと格上げされた。だが、完全会員制であるこのカジノでは会員証のない人間は、会員と一緒に来店しなければ入館できないのである。ピッ、という短い電子音と次に重い開錠音が聞こえた。

「あーお疲れ様でーす」

 中からディーラーらしき男が現れた。

「おう。休憩か」

「はい、休憩です。ここの食事は上手いですからねー。楽しみの一つですよ……ん」

 黒服と話すディーラーは、キョロキョロと落ち着かない女性に気が付いた。

「あの人は……」

「ああ、どうやらTOHGEぼっちゃんの知り合いみたいなんだが、会員じゃないから入れられないんだ。あのわがままぼっちゃんのことだから後で『なんで入れてやらないんだ』とか怒鳴られそうだが、彼女がぼっちゃんの知り合いだって証明できる奴でもいれば、面倒なことになる前に入れてやるんだがな……」

 黒服はTOHGEに何度か苦い目に合わされているのだろう。渋い顔でディーラーに耳打ちした。

「お前、見覚えあるか? ディーラーってやつは一度相手した客の顔は覚えてるんだろ」

「まぁ、職業柄9割は覚えてますよ。でもどうだろうね、ちょっとなんか理由付けて近くで顔見させてくれたら分かるんだけど。僕と勝負したことある客なら」

 ディーラーがそう言うと、黒服の男は小さく一度頷くと「すみません」と女性を呼び寄せた。

「はい?」

 近寄る女性に生唾を飲む黒服の男は、言葉の頭を上ずらせて尋ねる。

「会員ではないのでしょうか?」

「ええ……来るのは初めてじゃないんですが、前はTOHGEさんと来たもので……」

 女性は少し控えめに露出した胸元に手をやり、鎖骨の辺りを擦っている。その仕草に、『ごくん』ともう一度喉を鳴らした。

「失礼」

 ディーラーが女性に呼びかけて自分の方に向かせる。

「あ、貴方はブラックジャックの……」

「ええ、ようこそいらっしゃいました。TOHGE様は後から来られるのですか?」

 安心した様子で彼女は安堵の溜息と共に笑顔で頷く。

 ディーラーは黒服と目を合わせると、「私が保証します。間違いなくこの方はTOHGE様のご友人です」と伝えた。黒服の男がその言葉に少し大きく頷くと彼女に向かって、

「本来は会員証が必要ですが、TOHGE様のご友人であることが確認できましたので、特例としてご入場ください。どうぞ」

「いいんですか? ……それはどうも」

 女性は笑って黒服の手を握り礼を言った。

「じゃ、休憩いきまーす」

「ああ……いってらっしゃい……」

 呆けた様子の黒服の男は扉を閉めるのも忘れて彼女の後ろ姿を眺めていた。もう片方の扉で開閉を受け持っていたもう一人の黒服の男が、その様子を見て苛立たしく「おい!」と声を掛け、我に返らせた。

 そうして、【織姫】は単独でカジノへの入場に成功したのだ。







 ゴシゴシ、ガシガシ、シャコシャコ。歯ブラシで磨く音が車内に響く。

 この音でお分かりだろう。この音の主はブラシである。

「ねこかわいいにゃん」

 携帯ゲーム機で猫を育てながらニャンニャンが独り言を呟いた。

「ほんっと、羨ましいっすよ! ニャンニャンは。難しいことなんにも考えなくていいんすから」

 苛立たしそうにブラシは少し乱暴に歯ブラシを擦る。 

 車内に響くエンジン音でかろうじてここが車の車内だということは分かるが、真っ暗でなにも見えない。携帯ゲーム機から漏れる光がニャンニャンのいかつい顔を照らしているだけだ。

「ニャンニャン、全部入ってんすか?」

「完璧ニャン」

 そこで会話が途切れ、沈黙が続く。

「みんなもいいっすかー? ドジ踏んでもこっちはケツ持てないっすよー」

 ブラシがそう誰かに呼びかけると、少し遅れて「うーす」という返事が返ってきた。

 返事は、単体ではなく複数であった。声の重なりでそこに何人ほどの人間がいるのかは分からないが、少なくとも3人以上はいそうだ。 

 マゼンタの面々……失敬、シアンの面々だろうか? 顔が見えないだけにこの状況をついつい思案(シアン)してしまう。今のところは笑うところである。

一方、プレイアロー6階のカフェバーにはキニCがいた。

 窓際の夜景を見渡せる席にノートパソコンを開くと、抹茶のリキュールとミルクのカクテルを手元に置き、頬杖を突きながら画面に注視している。他にもそういった様子の客もいるため、キニCのその行為は別段目立つことはなかったのだ。ただ、問題はここでのキニCの格好である。 

 少し長めの前髪を横に分けた黒髪に、メタリックシルバーにネイビーカラーの差し色の入った特徴的なフレームの眼鏡、そして身に包んでいる服装はというと、黒にダークブルーのストライプの入ったスーツ上下、存在感を主張しているのに決して前に出ることなく胸に溶け込む淡い桜色のネクタイ。

 どこからどう見てもそこいら辺のIT企業に勤める会社員のようである。

 しかも、いつも白粉(おしろい)で化粧をしているのがすっかり目に慣れている為気づかなかったが、こうしているとキニCは結構ハンサムではないか。

「……わっちに殿方の召し物着させてんだから、しっかりやっておくんなまし……ボス」

 ボソリと呟くその声は間違いなくキニC。

「もう結構なお金がかかってんす。失敗はあり得ないでありんすよ」

 そういいながらも口元は緩んでいる。これから幕が開かるショータイムに心が躍るのを隠せないでいるようだ。

 キニCは腕時計を見た。――21:05

(そろそろでありんしょう)

 キニCがそう心の中で呟いたすぐ後だった。目の前で開いたパソコンの画面の左下のツールバーに小さく『LOST』と出た。それを確認したキニCは少し口角を片方に上げるとキーボードを打ち込んだ。

 “GAME”






「いらっしゃいませ。TOHGE様ですね? 伺っております。どうぞ中へ」

 白いYシャツに黒のベストとスラックスに身を包んだ、典型的なウェイターの格好をした男がドアを開き出迎えた。中へ通されたTOHGEはウェイターに奥の席へと案内された。目の前には小さなステージがあり、いくつかあるボックスには客が埋まっていた。

「ようこそピンクサファイアへ。小さなクラブですがどうぞ楽しんでいってください」

 ウェイターがソファに腰かけたTOHGEにひざまずき、歓迎の言葉をかけた。

「ああ、ありがとう。ところでママの織姫って……」

 TOHGEがそこまで言うとウェイターは掌を胸の辺りに出し、TOHGEの言葉を制止した。

「織姫ママは、只今ショーの準備をしています。ショーは22:00開演となっておりますので、どうかそれまではお酒でも召し上がってお待ちください」

「ショー?」

「ええ。当店のお客様に最も喜んで頂いているショーでございます。いささか過激ではありますが、刺激的な気分を味わって頂けるでしょう」

「それに織姫が出てるのかい?」

「左様でございます」

 ウェイターはそういうと奥へと去って行った。それと入れ違いにホステスが水割りのセットを持ってきた。

「わぁ~! 本当にTOHGEさんだ!

 今夜はゆっくりしていってくださいね。ショーが終わったらちゃんとママがつきますので、申し訳ないんですけど、それまでは私で辛抱してくださいね」

 ブラウンカラーのショートカットが似合うホステスは、そういうと少し間を空けた隣に座った。

「とんでもない、こんな綺麗な人がついてくれるんなら今度はママ目当てじゃなくて来るよ」

 とTOHGEは心にもないアイドルトークで返した。TOHGEが辺りを見渡してみると、店内にいる客にはそれぞれホステスが付いている。どのホステスもみんな20代前半から後半くらいの年齢のようだった。

 奇抜な髪の色や格好をしているホステスは一人もいなく、クラブでいうのならば正統派とも言える店だという印象だ。TOHGEも同じような好印象を持ったらしく、同時に織姫に対しての信頼にも繋がる安堵感にも似た感情を抱いた。TOHGEの隣についたショートカットのホステスが水割りを作って手前に差し出す。テーブルにはホステス側にライターも置かれているが、たばこを吸わないTOHGEは特にそれに気を留めることもなかった。私がTOHGEの気に留めなかったライターの話をしたのは、そのライターには『クラブ カテジナ』とプリントされてあったからである。

「織姫の出るショーって……」

 TOHGEは目の前の小さな段差のあるステージを指差してホステスに尋ねる。慌ててホステスは名刺を差し出して「あみです」と自己紹介をした。

「ああ、あみちゃん。その織姫ママのショーっていうのはこのステージで?」

「ええ。ママは週末だけショーをこのステージで公演するんです。色々なダンスが出来るんですよ。特にポールダンスは本格的で、こんなところでこのレベルのポールダンスを見れるなんてここは穴場ですよ!」

 マニュアル読みではない自分の言葉で話している。これはTOHGEのよく知る【一流のホステス】である証拠であった。彼女のいう通り、ここは穴場かも知れない。とTOHGEは思った。

「でも、……言い方は悪いけどなんでこんな小さなお店で、そんな本格的なショーを?」

「それは……、見て貰ったら分かると思います。大っぴらにこのショーを出来ない理由が。だから、この場所で知る人ぞ知るっていう立ち位置でありたい。っていうのがママの方針なんです。それは私たちホステスもおんなじなんですけどね」

 あみは柔らかく笑いながらももの上に両手を置いた姿勢で言う。

 TOHGEは、次第に織姫のショーを段々と見たいと思うようになった。

  ショーの存在を聞かされた当初は、そんなものよりもなぜ自分のテーブルにつかないのか気に入らなかったが、あみのその推し具合に興味を惹かれたのだ。実のところ誰も気になるところであろう。そのダンスショーに、カジノにいるはずの織姫がどう演じるのか。まさか他のシアンのメンバーがすり替わる、なんてことはないだろう。

 いくらきゃりぃ=レコーダが特殊メイクのプロフェッショナルであったからと言って、織姫ほどの美しさを彼らにコピーすることは不可能に近い。いや、仮にそれが可能であったとしても体格まではごまかせない。

 現在、その身を余らせているシアンのメンバーと言えば……。私の記憶が正しければ、レコーダとシャラップだけである。彼は痩せ身の長身、いくら顔や胸を“作る”ことは出来てもその体格までは似せられない。

「TOHGE様、織姫ママからのメッセージカードをお預かりしております」

 ウェイターがTOHGEの元へ、便箋に入ったカードを手渡した。今時珍しく蝋で封をしてある。

「メッセージカード? 今読んでも?」

 それを受け取ったTOHGEは裏表をペラペラと交互に見てウェイターに聞いた。

「ええ、結構でございます。それでは」

 ウェイターはそう言うとまた奥へと消えてゆく。ウェイターの後姿は、すらっとした長身にスリムなスタイルであった。

 ……ん? 痩せ型で長身……?

 【今日はご来店ありがとうございます。今夜この時間にお呼びしたのは、前回のお礼に是非私の自慢のショーをご覧いただきたかったからです。TOHGE様のようなプロの方の前で、ダンスなどと愚かかもしれませんが、お楽しみ頂けるよう誠心誠意頑張りますので、どうか最後までご覧ください。今夜はショーが終わり、着替えが終わればその後はフリーです。その後はどうぞTOHGE様のお気の向くままに連れ回してくださいまし。 織姫】と、メッセージカードにはこのように書かれていた。

 アイドルとはいえど、所詮は男。愚かな生き物である。いや、単細胞というべきか。 メッセージを読んだTOHGEは、中に書かれたショーのことよりもショーの後のことの方が大事であるようだった。それが手に取るように分かる。なぜならば私も愚かな単細胞であるからだ。

 時刻は21:30――。まだショーまでには時間がある。

 

カジノに居る織姫を覗いてみよう。

 場所を移してここはかのカジノである、

 ある、が……なんであろうか? ブラックジャックのテーブルに人だかりが出来ている。

「BJ(ブラックジャック)!」

 その黄色い、少し高い声が張る威勢の良い声。少し遅れて背後の人だかりから「おお~」と歓声が起こる。

「……20です」

 ディーラーの苦しそうな声。同時にさきほどの歓声よりも大きな歓声がどっと沸きあがる。どうやらBJを出した女性が勝ったようだ。

「やったぁ!」

 歓喜の声を上げる主は、前回コテンパンにやられた織姫であった。そのテーブルにはコインの山。

「お強いですね。いかがされますか?」

「もちろん、続行します!」

 織姫は山ほどのコインを全てベットする。ディーラーの眉間に一瞬皺が寄った。当然、周りの人だかりはまた歓声を上げる。

「よろしいのですか? 勝っている内にフェードアウトされたほうが賢明かと」

「いいんです! 今日みたいな日はとことん行かないと」

 織姫は上目使いでディーラーを睨み、笑った。明らかにディーラーの闘争心を煽っている。

「解りました。では配ります」

 ディーラーの手札2枚の内、オープン札は【A】。対する織姫のオープン札は【7】。

「サレンダーかインシュアランスされますか?」

「うう……ん、いいえ、結構です!」

「よろしいのですね?」

「ええ」

 織姫はディーラーの出した助け舟にも乗らなかった。ディーラーの手札の一枚がAということはブラックジャックである可能性が高い。織姫はブラックジャック以上の高配当でなければ勝ち目はなかった。しかもベットしたチップはほぼ全財産。

「ヒット」

「かしこまりました」

 カードを貰った織姫は、そのカードを見て俯いた。それを見たディーラーは「いわんこっちゃない」と言った表情で片方の口角を上げる。

「いかがされますか?」

「スタンド」

「かしこまりました。ではカードをオープンします」

 ディーラーが伏せているカードをオープンする。オープンしたカードは【J】、ブラックジャックである。

「私の勝ちですね」

 ディーラーはここまで負けていた雪辱をようやく晴らせた安堵で、ほんの少し表情に綻びを見せた。織姫の周りを囲んだギャラリーは「あ~」と落胆の声を上げ、その場から離れようとしている。

「え……、負けですか……。私もブラックジャックだったのになぁ?」

 織姫はそういうと3枚持った自分のカードをオープンする。

「は……?」

 カードを見たディーラーは思わず、そんな感嘆の短い悲鳴を上げた。

【7.7.7】

【7】が3枚、つまりはスリーセブンである。

「うおおおおおおおおおお!!」

 場内から絶叫とも取れる歓声があがり、ほかのゲームの客やディーラーたちもそのテーブルに注目する。

「スリーセブンだ! スリーセブンを出したぞ!」

「すっげ! 初めて見た!」

 織姫は沸きあがる場内の歓声に気づいていないようにニコニコと笑うと、立ち上がりその場を去ろうとした。

「待ってください……!」

「はい?」

 ディーラーは脂汗を流しながら、悔しそうに歯を食いしばりながら織姫を呼び止めた。

「勝ちです……! あなたの……」

「え、そうなんですか!? やった!!」

 配当された勝ち分のチップを貰い、織姫は子供のようにはしゃいでいる。もう既に織姫以外にテーブルにつく客はいなかった。

「私の完敗です……」

「そんな! たまたま運が良かっただけですって!」

 織姫は落ち込むディーラーにおどけて見せる。

「いえ、運も実力の内ですので。次回は負けませんよ」

 ディーラーは力なく笑って見せた。プライドをズタズタにされたのであろう。精いっぱいの痩せ我慢、といったところか。

 ギャラリー達は、その一大勝負を見届けるとばらばらと散って行った。

「…………」

 だが、そのテーブルに居座っている客がただ一人。

「…………?」

 ディーラーはその意味を理解出来ないでいた。

(まさか……)そんな心の叫びが聞こえてきそうだった。

 その客は、とてつもない山になったチップを全部、差し出すとにこにことその笑顔を崩さない。

「お客様?」

 その客……織姫はにこにことした表情を一つも変えずに、コールする。

「続けます。カードを配ってください!」

 先ほどまで流していた脂汗が全て引き、ディーラーは青ざめた。

「ついている時はとことん。破産するまでやりますよぉ~!」

 ニコニコ。人の笑顔から効果音や擬音など聞こえるはずもないが、ディーラーにはその織姫の笑顔から恐ろしく『ニコニコ』という音が騒がしい場内に響いた気がした。


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