第14話

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ロ"シアン"・ルーレット








 映画『トッツィー』をご存じだろうか。

 1982年、主演は名優ダスティン・ホフマン。才能はあるが、完璧主義で妥協を許せないダスティン・ホフマン演じる売れない俳優ドーシーは、その気質ゆえにどのタレント会社からも煙たがられていた。その為、オーディションに参加もままならない彼は女装し、ドロシーと名乗り、女性としてドラマのオーディションを気紛れに受けるがこれが受かってしまい、ヒロインこそ逃したもののほかの役を獲得する。

 そして、女性と偽っている為か、その開き直った演技とスタッフたちに対する対応が逆に世間に好意的に受け取られ、皮肉にもドロシーは瞬く間にスター女優の仲間入りをする。

 彼女を巡って一大ムーブメントが沸き起こるが、当然ドーシー本人とはしては複雑だ。

 そんな少し不思議な毎日を送っている中で彼は、同じドラマのヒロイン役の女優に恋をしてしまう。だが、彼女の知るドーシーはあくまで【女優ドロシー】であり、その事実を明かせないでいた。

 知ってしまえば、世は大騒ぎになるし、ヒロインにも嫌われてしまう。だけども、この想いを隠して通してはいれない。そんな葛藤とドーシーが闘っていると、今度はヒロインの父親がドロシーに求婚してしまう始末。このドタバタ騒動をドーシーはどう収束していくのかが、終盤の見どころといえよう。


 さて、謂わずともご理解頂けるだろう。

 マゼンタの面々とこのドーシーとの接点は、実に強烈と言える。

 しかしそういうものは、この物語序盤に既に提示されている訳であって、別段として新鮮味があるわけではない。……が、一人の人間が男と女、二人を共存させてなにかを達成しようとした場合、このドーシーとドロシーのように、見事に演じ分けれるだろうか。

 ここは人波行きかう伊右衛門通り。プレイアロー・ステーションビルの巨大液晶テレビは、ニュースを読む女性アナウンサーを巨人化し、向かいのビルの窓を見つめている。ニュースのテロップには『カジノ反対派 より過激に』とある。それについての記事を読みながら、映像が切り替わり垰山の演説に野次を飛ばしたり、火炎瓶などで威嚇する黒いバンの過激派の姿が映し出された。

『垰山氏の選挙妨害は、4月10日の演説以降3度目で、今回は機動隊が出動し、厳戒態勢での演説になった為か、足を止める有権者はここ数回の演説の中でも最低の数に留まりました。今回の妨害で配置された機動隊との衝突が予想されましたが、過激派とみられる一派はやや遠い距離からの威嚇を繰り返した後に、その場を離れました』

 アナウンサーがそこまで読むと、同じシーンが繰り返し映し出され過激派の人物が拡大される。だが黒いヘルメットに黒いサングラスにマスクで人相など特定できそうになかった。

 このニュースに誰も足を止めることはなかったが、別の場所でテレビを見ていたプレイアロー・ステーション支配人の甲斐谷信二は神妙な面持ちでこめかみあたりを擦っていた。

 甲斐谷は、42歳。糸井が言っていたように、元々は垰山の部下として働いており、現在もプレイアローの支配人という肩書きを背負ってはいながらも、その背後にはやはり垰山が絶対者として君臨している。彼の仕事は、垰山の影を世間に悟らせず、プレイアローの運営をすること。そうすることで垰山が彼に約束するものはどれほどに大きいことか。

 それだけにこのニュースは甲斐谷の頭を悩ませる種となっていた。垰山の約束した地位は、あくまでも垰山が知事になることが絶対条件である。それは世迷言や夢見言などではなく、垰山の人気を持ってすれば充分に現実的な話であった。

 が。この過激派の運動がさらに過熱化すれば、当然ながら有権者たちは垰山に対して不信感を抱くこととなる。息子のTOHGEの活躍で、選挙離れしている若者層の票数をどれだけ獲得できるかにもよるが、中年層から高齢層にはこのイメージは重要だ。だが、甲斐谷が危惧するのはイメージのことよりも他にある。

 常山組との関連が表沙汰になること。

 これがなによりも恐ろしい。そもそもカジノ計画も常山組との縁を、如何に円満に切れるかという課題によって生まれたものでもある。尤も、経済面や莫大な利益、その功績により地位も目的ではあるが。

 比率で言えば7:3といったところか。7が地位。3が常山との決別。

 だがこの常山との決別に失敗してしまうと、泥沼は必死。垰山どころか自分の立場ですら危うい。この過激派の登場により、常山がしゃしゃり出てはこないものか。甲斐谷はそれに肝を冷やしていたのだ。 

「甲斐谷支配人?」

 その声に甲斐谷が振り向くと、マリーが穏やかな笑顔で佇んでいた。胸元の空いた、黒のドレスが彼女の色香を更に強く醸し出している。

「なにかお困りですか?」

 薄い唇に濃いめのパープルルージュのリップを開閉させて、魅力的な声で甲斐谷に尋ねた。その声を反射的に避けたかったのか、甲斐谷は目を床に逸らすと「なんでもない」と一言放った。

「そうですか。では私は部屋に戻ります」

「待ってくれ」

 その場を去ろうとしたマリーを呼び止めると甲斐谷は少し震えた声で言う。

「垰山さんの身になにかあった時、お前はどうするつもりだ?」

 部屋に戻ろうと2歩ほど歩いたところで立ち止まっていたマリーは再び笑顔で振り返ると、甲斐谷に向かって

「……別になにも。私はこのビルの象徴ですから。誰かに買われないかぎり」

 シャンデリアの照明の光を吸った胸元の宝石が、まるで甲斐谷をサーチするようにチクリと照らす。その光に一瞬目を細めた甲斐谷はすぐに顔の角度を変え、再び視線をマリーに戻す。

「誰かがお前を買ったらここから出ていくということか?」

「そうですね……。だけれど最低でも10億は出してもらわないと私は買えませんよ?

 そこまで出せばきっと垰山も諦めるでしょう」

 どこまで本心を言っているのか悟らせない、妖美な笑みでマリーは甲斐谷をからかうように言った。濃いブラウンのスーツの胸ポケットに差し色で挟んだ赤いスカーフが、彼の青ざめた顔色と対照的で目立つ。甲斐谷は身長は低いが、痩せ型で頬はこけてはいないが鋭くとがった顎が特徴的だった。盛んな色好家でもあり、彼を知る人間の間では有名だった。だから常に彼は垰山の持ち物であるマリーの側にいつつ、触れてはならない禁断の果実の香りを好んで嗅いでいた。

 おそらく、それはマリーにも気づかれており、彼女はそんな甲斐谷を面白がっているようにも見える。だが、その本心はどうなのだろうか。やはり私のような男であれば、……いや、面目ない。

「10億? 悪いが私にはそんな大金は出せんね。それにこう見えても妻も子供も居る身なのでね」

 鼻を鳴らして笑う甲斐谷の本心を悟ったマリーはクスッと口を隠して笑う。

「10億出さずに私が欲しければ、そうですね。無理矢理奪い去るしか方法はないのではないかしら。甲斐谷支配人、私を奪って逃げてくださる?」

「冗談じゃない! あと20年若ければ、考えたかもしれないがね」

 まんざらでもないといったように甲斐谷はマリーに答えた。だが、その表情からはなにか善からぬ妄想をしているであろうことを思わせる。

「でももし本当に垰山の身になにかあった時……。その時はこのカジノと共に心中します。

 私は人生を金で買われた娼婦ですから。ふふふ」 

「心中って、そんな……」

 “冗談だろ”と言いかけた甲斐谷の耳にドアの閉まる音が足跡を残した。その足跡を目で追いかけるがそこにはもうマリーの姿は無い。

「……ちっ」

  さて、諸兄方に知っておいてもらいたいのは今日が決行日である4月20日であるということ。35億円をまるごと強奪するというハリウッド映画も苦笑いで後ずさりする無謀な計画の決行日である。しかし、ここで私は諸兄方に謝らなくてはいけないことがある。

 前置きしたが、『夢オチでした! てへぺろ』などではないのでご安心頂きたい。

 そうではなく、私としたことがパスタ達を見失ってしまったのだ。マゼンタにも、ガレージにも今は誰もいない。残念だがここで唐突ながら物語を打ち切りたいと思う。

 それでは作者の次回作に乞うご期待!

 ……と、ここで突然エンドロールが流れるのはかのノンフィクション映画である『マン・オン・ザ・ムーン』だけでいい。しかしながら彼らを見失ってしまったのは事実であるので、彼らを探すのに少し手を貸して頂きたいのだがいかがだろうか。

 まず、どこを探そう。マゼンタ内には誰もいないが、やはりプレイアローを詮索するのが賢明だろうか。……などと模索している私の真下に知っている頭が現れた。このハイカラな、失敬。ファッショナブルな髪形は、TOHGEである。

 ここはマゼンタのビルだが、なぜこんなところに現れたのだろうか。まだ夜は浅い、こんな時間に……。 

 お気づきの方もおられるだろう。

  そう、織姫が前回TOHGEと熱い熱い接吻(男同士)を交わした夜、彼に……いや、彼というのはTOHGEであって、天河=パスタ=織姫→彼ではないのでご留意……失敬。 いささかしつこいようである。ともあれ、織姫があの夜、TOHGEに名刺を渡していたのを思い出して頂きたい。

 では何故にこんな自殺行為をしたのだろうか。マゼンタにTOHGEを呼んだところで織姫がニューハーフであることがバレてしまうではないか。それどころか、今夜決行のはずだ。そんな夜に自らの店に呼ぶだなんて正気だと思えない。……私は気づいてしまった。

 なるほど、糸井に代わって私が名探偵の看板を背負おうかと迷ったが、それは次回作に取っておこうと思う。つまり、天河=パスタ=織姫はオーナールージュに反旗を翻した訳だ。度重なる横暴ぶりについに天河=パスタ=織姫は、オーダーを反古にし、TOHGEを手籠めに……

「ピンクサファイア……3階かぁ」

 私の思考を遮ってTOHGEは名刺と看板を見てひとりごとを呟いた。この際TOHGEのことは放っておいて、私の推理の続きを聞いてもらいたい。オーダーを反古にしたということは、かの白土三平氏の描いた『カムイ外伝』を彷彿と……、なにを目で追っておられるのだろうか? 

 ……なるほど。私とも在ろう者がついついヒートアップしすぎたようだ。物語を諸兄方と共に終幕まで見届ける使命があったことを忘れていた。 

 それでは気を取り直してこのイケメンアイドルの尻を追いかけてみようと思う。しかし、それにしてもこの男は一流のアイドルだというのにも関わらず、特別な細工もせずに堂々とこのビルまで来た。顔が知れているというのに、素顔にサングラスを掛けただけでこの繁華街まで来たのだ。それを思うとこの男、我々が思うよりも肝が据わっているのかもしれない。だが、さきほどTOHGEが呟いた言葉をお聞きいただいただろうか。

 記憶に自信のある御仁ならば、先ほどのTOHGEの言った言葉に違和感を覚えたと思う。

 彼が呟いた“ピンクサファイア”と、“3階”のワード――。まずBARマゼンタは4階である。

 そして、3階は『ラウンジカテジナ』がある。そう、このビルには『ピンクサファイア』などという店は存在しないのだ。だがどうだろう。よくご覧頂きたい。この看板にはなんと書いてあるか。


【2F スナックまよい】

 【3F ピンクサファイア】

 【4F BARマゼンタ】

 

お分かり頂けただろうか。どうやらもう始まっているようである。



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