第13話
「えっと……基本的によくいるのはプレイアローの地下よ。よくいる、といっても一流のアイドルだからね、しょっちゅうはスケジュールが合わないから居ないみたい。それ以外だと、『BARノルウェイ』。ビリヤードが盛んな今時珍しいプールバーね」
とパスタに答えた。パスタはその情報を聞きながらポケットからスマートフォンを取り出しメモ帳機能を呼び出し、そこに『BARノルウェイ』と打ち込んだ。
糸井は手帳を胸ポケットに直すと、空になったいちごオレの缶をにやけながら角度を変えながら眺めている。
「お前、スマホとかタブレットじゃないのか」
パスタの言葉にハッと我に返り、糸井はゴミ箱にいちごオレの缶を投げ込むと腰に手を当てて「そんな金はないわ!」と自慢げに言った。だがそのすぐ後に
「でもね、それだけじゃない。結局最後にはアナログが勝つのよ。デジタルは便利だけどね。便利なだけ。本当に必要な時に当てになるのは結局アナログなのよ」
「誰の受け売りだ?」
「ふん! あんたの知らない小説よ」
女なのにハードボイルドに憧れた高学歴貧乏探偵・糸井未久は言った。
「そうか。また教えてくれよ、その小説」
「はぁ!? なに言ってんの? 教える訳ないじゃない! そんなもの全部くれてやるわ! 新品でね! 新品でくれてやるわ!」
何を言っているのだこの女は。
「とにかく、だ。『BARノルウェイ』、だな……。さすが名探偵だな」
そういうとパスタは糸井に背を向け、繁華街の出口へと足を進めた。
「ちょ、どこに……」
「もう尾行けてくんなよ。次は写真ばら撒くからな」
「ぴやぁ!」
どこかうれしそうなイントネーションを含んだ悲鳴だったが、パスタはそれに気づかない振りをしながらアルデンテがあるねんて! をもう一本取り出した。ネオン街のあちこちから聞こえるBGMのテンポに合わせるように、“パリッ、ポリッ”と乾燥パスタが折れる音を鳴らして。
「ちょ、あのさ! 殺人ライダーの情報とかも持ってるんだけど……」
巷の都市伝説の情報を持っていると叫ぶ糸井の声が遠のく。
パスタのいうように、オーナールージュが下したオーダーの決行日は4月20日である。
知って頂きたいのは現在が4月13日だということである。
「あ~~! しんど~~~! あのタコ親父飲ませすぎだろ~~!」
時刻は深夜2時。丁度マゼンタの営業が終わり玄関の鍵をかけたところだった。
「さっちんはいいにゃん。こっちはずっとプロテイン飲まされたにゃん」
……さっちんとは誰だろうか。
「ニャンニャンはほんっと、そっちの客っていうか……筋金入りのマッチョゲイしか来ないっすよね」
サキがまだ水割りセットが置かれたままのテーブルに突っ伏し返事をする。
……なるほど、さっちんとはサキのことか。海坊主の分際で勝手に我々の知らないニックネームで呼ぶのはやめてもらいたいものだ。それにオーナールージュにも怒られていた“ゆっちん”という源氏名は完全に無視しているようだが、誰も彼の身の危険を案じはしないのか。ここでもしルージュが来たら海坊主は文字通り海に還ることになりそうなものだが。
「ニャンニャンのタイプはパスタだにゃ。自分がムキムキなのに、相手にムキムキを求めないにゃ」
「ニャンニャンうるさいわね。本当に殺すわよ」
「にゃ」
どうやらオーナールージュの前に織姫ママによって海に還ることになるかもしれない。
「うぅ~……しんどいーっす。お菊と明石家はいいっすねぇ~ほんっと……」
お菊と明石家、織姫にニャンニャンとサキが今日の出勤メンバーだ。きゃりぃは休日という名の準備期間を取っている。マゼンタの今日の営業は別段忙しかった訳ではないが、サキのファン(に今日なった)客がサチをがっちり離さずに飲めや飲めやの応酬だったのだ。店自体はその客とニャンニャン目当てのマッチョゲイだけだったので、お菊と明石家は裏でシアンの準備作業をしていた。今日の織姫はニコニコしていただけなので、機嫌がいい。
「ママ! ……ん、もう閉店でありんすか。ではパスタ、ようやく入手できんした」
ニコニコとしたままの織姫はお菊が持っていた一枚の紙を手にする。お菊はカウンターに腰かけて煙草に火をつけ、ニャンニャンにほうじ茶を頼んだ。タバコの煙がカラオケ用のテレビ液晶にまとわりついたと同じタイミングで織姫から笑顔が消えた。
「……フィリップ」
その場にいた全員がその一言に反応し、動きが一瞬止まった。織姫の顔は笑顔から無表情に変わり、人差し指を立て手を銃に見立てた。銃口をこめかみにあてるようにすると織姫はその目を固く閉じた。
「……」
全員がそれを見て理解した。これは織姫=パスタが、シアンのスイッチが入ったときにする癖だ。フィリップがなんなのかは分からないが、とにかくこれをしたパスタは覚悟を決めたということ。それを知っているだけにその場の全員の目つきが変わった。酔いつぶれていたサキでさえも、突っ伏したまま瞳は大きく見開いていた。
「本格的に始動、だな」
高く盛ったカツラとウィッグを乱暴に外してパスタはテーブルに置いたグラスに入ったウィスキーを飲み干し、強くグラスの底を鳴らした。
――くそ、なんでマリーに会えないんだ!
……これは、誰の声だろうか。確かに私も度々あのマリーという女性に会いたいと思うのだが懐事情が……割愛する。
――パパか!? 容姿の問題じゃないんだ、くそ、金と力か、くそ。
なにかに対して異様に嫉妬しているようだ。この心の声だけを聞けば、小学生にも関わらずスポーツカーで現れる某御曹司を連想させる。カコン、という独特な音が聞こえた。
それではこの暗闇を払ってみよう。なるほどここはバーである。ビリヤードの台が8台ほど並んでいる、結構な規模のプールバーだ。
我々の正面に見えるのは奥の4台並ぶ台の内、左から2番目のビリヤード台だった。
他に客は見えるが、ビリヤードをしているのはこの男だけなようだ。
なるほど、さきほどの小気味のいい『カコン』という音はビリヤードの球がポケットに落ちた音だったようだ。では冒頭でお聞きいただいた心の声の主はこの男の声だということか。
TOHGE。トップアイドルなのにも関わらず、こんな一般のバーでビリヤードなどよくもできたものだ。一般の……バー……ん? よく見るとカウンターで酒を飲んでいるカップルはドラマや映画でよく観る顔。それだけではない。他のボックスを見てみると音楽番組などでは常連のバンドメンバーがオレンジ色のカクテルを飲んでいる。
なるほど。ここはそういった人間が集う、それ専用のバーだと考えたほうが正しそうだ。
「おうTOHGE、なんだ機嫌悪そうだな」
「ん、あー。KONG」
KONGとは同じ事務所のアイドルグループである『TENNKA』(天下)の一員だ。
このグループはHIPHOPをメインで……失礼、私も諸兄方も興味のない話だと思うのでここまでにしておこうと思う。
「ところで、さ。すっげー上玉いんだけど」
KONGはTOHGEに機嫌が悪そうだと言っておきながら、そんなことは無視するかのように肩を組み正面の少し離れたボックスに座る女性を指した。
「上玉……? なんだよ、お前が行きゃいいだろ」
TOHGEは興味なさそうにポケットから出た球を台の上で並べ始めた。
「いや、それもそうなんだけど……さ。お前には是非、バラエティ以外の仕事を廻して欲しくてね」
TOHGEは斜め上に視線を移し、首を傾げながら口をパクパクさせて(あーなるほどね)と、悟った。TOHGEと違って同じアイドルでもカテゴリのバランスが違う。TOHGEはドラマや映画、歌などを重点的にこなす実力派と呼ばれるが、このKONGはバラエティやクイズ番組などによく呼ばれるタイプなのだ。だからこそ、TOHGEのドラマなどの仕事が喉から手が出るほど欲しい。……と、言う建前。
「でも俺、別に今女はキョーミないんだよなぁ」
白い球を黄色い【9】と書かれたボールに狙いを定めながらKONGをちらりとも見ずに話す。キューを構え、押したり引いたりデモンストレーションをしているTOHGEの狙う9ボールにピンク色……いや、マゼンタカラーの人影が目に入った。
「まぁそういわず一目くらい見てやってくれよ」
KONGが背後で声をかけるが、既にTOHGEはそれを聞いていなかった。
「あ、あの……ファンなんです! 良かったら……その」
「KONG、分かったよ。ドラマの話しといてやる。その代り……」
TOHGEはその人影をゆっくりと腰から胸へと視線を上げてゆく。
「お前はどこかいってろ」
KONGはなにか言って去ってゆく。
「ちょっと一緒にお酒飲みませんか?」
胸から顔へと視線を更に上げてTOHGEは疑心を確信に変えた。
――あの時の女だ。
KONGは去り際、その女性とすれ違い様に小声で「これでいいんだろ!」と言ったのを私は聞き逃さなかった。それを確かに聞いていたはずの女性は口元を柔らかく緩め美しい笑顔をTOHGEに向けた。
「ええ、是非」
キューの構えを解いてTOHGEは向き直った。TOHGEの向き直った正面に立つのはそう、織姫であった。プレイアロー地下カジノに続く道をTOHGEは得意げな調子で織姫の前を歩いていた。先ほどのプールバーでカクテルを2杯ずつ飲み、他愛のない話をした。しかし、その会話の節々にTOHGEの巧妙にしかけた下心が見え隠れしている。
わざと気づかせるワードもあり、完全に姿を悟らせないトリックワードも織り交ぜ、乙姫を飽きさせなように、軽妙なトークで、口説いているのか口説いていないのか曖昧な境界で織姫を翻弄しようとしていた。
当然、織姫はパスタであるからして、そんなTOHGEの思惑は手に取るように解っていたが、織姫は努めてその熱くない鉄板でタップダンスを踊ってみせた。その会話の中でTOHGEが自らカジノに誘ってきたのだ。
「プレイアローの地下にカジノあるって知ってる?」
「え!? 噂では聞いたことありますけど、都市伝説みたいなものじゃないんですか?」
笑いながら織姫は答えたが、この誘いこそが織姫が待っていた目的そのものであった。案の定TOHGEは笑って「その都市伝説、真相しりたくない?」とお得意のスマイルで持ち出してきた。
それで今、織姫はTOHGEの背について歩いているわけだ。
「もしかして下心のある所に行くつもりですか?」
恐る恐る織姫はTOHGEに聞いた。TOHGEは「あはは」とテレビでよく聞く笑い声をあげると、軽く織姫の方に振り向き、
「下心? それは次に会うときに取っておくよ。今日はあくまで僕のエンターテイナーな部分を見てもらおうと思ってさ。テレビのTOHGEとは違う一面を、特別に織姫ちゃんにね」
時折手振りを織り交ぜて話すその姿は、まさにドラマの役が抜け出してきたのかと錯覚してしまいそうだ。プレイアローの道路を挟んで正面にあるドラッグストアへTOHGEは入って行く。
「なにか買うんですか?」
織姫の問いに顎の動きで応える。【まあついてきなよ】とでもいいたげなジェスチャーであった。
「あのさウコンにんにくあるかな?」
薬剤師のカウンターの奥で薬の整理をしている白衣を着た店員にTOHGEは尋ねた。
「ございますよ。ウコンにんにくですね」
白衣の店員はTOHGEに振り返ると、確認する。
「ああ、やっぱりウコン唐辛子にするわ」
店員は「かしこまりました」と返事すると、次に「こちらへどうぞ」と奥に設置されているトイレへと案内した。そして【多目的トイレ】と書かれたドアの前に立つと、そこに掛けられた【故障中】という札を外し、ドアを開けた。
「行こうか」
「え、でもここって……」
どこからどうみても障害者や妊婦が利用する為に広く作られた、ちょっと気の利いたところにならどこにでもある【多目的トイレ】だ。
「いいから」
先に入るTOHGEに着いてゆく織姫の目の光が微かに変わる。
「……」
――まさかここでナニしようってつもりか?
織姫の心の声が聞こえてくる。明らかにこの声は“織姫”と“パスタ”が混在している声である。状況によってスイッチを入れ替える為の準備。
織姫がTOHGEの一挙一動に注視していると、そんなことはさも知らないTOHGEは、便座を下ろすとウォシュレットの【ビデ】と書かれたボタンを長押しした。
ガコン、という機械的な作動音が一度鳴ると、すぐに宙を浮いたような感覚が織姫を襲った。この特有の浮遊感を織姫は知っている。
――エレベータか。
20秒ほど浮遊感があった後、もう一度さきほどと同じ、ガコン、という作動音が鳴り浮遊感が消えた。
「おいで、こっちだよ織姫」
ちゃっかりと織姫を呼び捨てにするとTOHGEはトイレのドアを開けた。ドラッグストアだったはずの景色はどこへ消えたのか、そこに見える景色は赤い絨毯の敷かれた長い廊下であった。
「え、なんですかこれ……」
口元を押さえて織姫は驚嘆の声を上げた。
「まぁまぁ、おいで」
先を歩くTOHGEを小走りで追いかける。
――へぇ。なるほどね。
少し歩くと金の縁が施してある黒い大きな両開きの扉が2人に構えていた。その両脇に黒服と思わしき体躯の良い男が立っている。
「いらっしゃいませ。TOHGE様」
「よっ、お疲れ様」
慣れた様子でTOHGEは黒服にねぎらいの言葉を掛けると「ごゆっくりお楽しみください」と扉を開いた。
開いた扉から広がる光景は圧巻の一言に尽きた。
まるでなんとかドアでラスベガスにテレポートしてきたかのような景色。
「携帯電話はお持ちですか」
黒服は2人に尋ねる。
「なんだよ。いいだろ別に、俺は常連だし垰山の息子だ」
「申し訳ありません。規則ですので」
「俺に恥かかせる気かよ」
「ですが……」
権力を笠に着た分かりやすい横柄な態度で黒服と言い合っている。
「あ! いいんです! どうぞ、私の携帯です」
織姫はそんなやり取りを制止するするように、自らスマートフォンを差し出した。
「ごめんね織姫ちゃん、次からはこんな思いさせないからさ」
タレントスマイルで許しを請うTOHGEに織姫は笑顔で返事をした。
「気にしないでください! それよりすごいですね! 私、今すごくドキドキしています!」
「そう? そういってもらえると嬉しいな」
TOHGEは自らのスマートフォンも取り出すと黒服に預け、織姫に聞こえるように「ちっ」と舌打ちをした。
「さぁ! なにから遊ぼう!? ルーレット? スロット? バカラにBJもあるよ! うちはバリエーションが自慢だからね、パチンコなんかもある! カジノでは珍しい低ルートゲームもあるし、なんでも教えてあげるよ!」
TOHGEは両手を広げて広がる金色の天井と、真っ赤な床にデコレーションのように存在する遊技台と煌びやかな格好のゲスト達を背に、それが【自分の物】だと自慢する。
「もちろんチップは僕が奢るぜ。たっぷり楽しもうじゃないか」
TOHGEは織姫の肩を抱き、この場で自分の敵など居ないとでも言いたげに場内を歩いて回った。
「で、でも……いいんですか?」
「今夜の出会いに感謝してるんだ。これはその気持ちだから気兼ねせずに遊んでよ!」
織姫は少し間を空けて、全開の笑顔で大きく頷いた。
織姫は扉から一番近いテーブルを指差し、「あれはなんのゲームですか?」と聞く。
TOHGEが「あれはBJ(ブラックジャック)だよ」と答えると織姫は「あれで遊んでもいいですか?」と尋ねた。
「いいけど、そんなのでいいの?」
TOHGEが少し可笑しそうに聞き返すと「ルールが分かるのってあれだけだから」と恥ずかしそうに織姫は答えた。
「良かったら後で他のゲームも教えてください!」
はしゃぎたいのを無理矢理押さえている様子で織姫はそわそわとTOHGEを急かしつつ言った。
「ああ、いいぜ。俺が一からカジノってのを教えてやるよ!」
おお、優越感で口調が変わってしまった。さすがあの親にしてこの子、である。
「HITしますか?」
BJのテーブルに座った織姫はディーラーに聞かれた。織姫が「?」と半笑いでTOHGEを見つめる。
「もう一枚カードを引きますかってことだよ。引くなら『HIT』、引かないなら『スタンド』ってコールすればいい」
織姫は頷き「HIT!」とコールした。配られたカードをこっそりと見ると、穴が空くほどディーラーを見つめる。
「スタンド!」
ディーラーは微笑み、「オープンします」と自らのカードをオープンさせる。
「ブラックジャックです」
AとJだった。
「ああっ! 負けちゃいました~!」
悔しそうに顔を両手で隠して織姫は叫んだ。織姫の手前には7と8と4のカードが置かれていた。ディーラーは微笑みを絶やさず、「もう一度されますか?」と聞き、TOHGEとハモるように「します!」と答える。
そして、何戦かゲームを楽しんでいるとカードを配っていたディーラーは
「それではディーラーを変わります」
と言って、今度はショートカットの女性ディーラーにチェンジした。それを頃合いに二人は別のゲームを遊ぶ。気が付けば、時間は既に深夜を回っていた。
「あ! もうこんな時間!」
腕時計を見て織姫は叫んだ。
「ん、泊まっていくといいよ。ここには宿泊の施設もあるんだ」
TOHGEはウェイターが配っていたチーズの乗ったビスケットをかじりながら、織姫に泊まることを勧めた。
「今日は実家から妹が来てて、さすがに帰らなきゃダメなんです」
その言葉に酔いもあり、TOHGEは不機嫌な顔を隠せない。
「でも」
織姫はバッグを開けカードケースを出すとそこから一枚名刺を出し、裏に電話番号を書いた。
「次も誘って頂けるのなら、是非……その、泊まらせてください……」
と電話番号の書いた名刺を差し出した。これは事実上の“次は許します”宣言である。これを言われて機嫌を損ねる男はいまい。
「そっか、仕方ないね。今度は2人で大勝しようよ!」
男なんてものは総じて現金なものである、所詮アイドルと言えど意中の女性が甘い匂いを漂わせればこの調子だ。
「ここはね、本当は完全会員制だから僕以外と来てもきっと入れないから。気を付けてね」
とTOHGEは預けたスマートフォンを織姫に手渡して念を押す。流石遊び慣れていると言えよう。飴を散々舐めさせておいても、自分が優位であることを崩させない。意外とこの男も父親に負けず劣らず、政治向きなのかもしれない。
「TOHGEさん以外の人となんて怖くて……来れませんよ! 今日は本当に楽しかったです。その、夢のような時間で……」
エレベータを待っている間にTOHGEを喜ばせる台詞を吐く。そして多目的トイレベータが到着し、2人は乗り込む。織姫は扉が閉じたのを確かめると瞳を閉じ、唇をTOHGEに差し出した。
……まさか、キス? TOHGEは無言で織姫の誘いに答える。
落ち着いて見て欲しい。このキスシーン、男と男のキスである。言っておくが私は直視できないので見ていない。代わりに目に焼き付けて欲しい。
やはり! パスタはゲイであったのだ! 身も心もニューハーフに染まっていたのである!
「その名刺に書いているお店に来てください……。4月20日、待ってます……」
そういうと小走りで開いたドアの外に出た。引き留めようとなにか言いかけたTOHGEの言葉を織姫は「迎えに来てくださいね! 今日はここまででいいです!」と唇を指差した。
「ああ、行くよ必ず」
TOHGEは伸ばそうとした手を高く上げると、別れの手を振った。美しい別れではないか。私が目を離していた間にこんなドラマのような別れを演じるだなんて感慨深い。これが男同士でなければ。そこから少し離れた公園の手洗い場からジャブジャブと激しい水音が聞こえた。
「おえぇぇ! 冗談じゃねえぞ! おえぇえ!」
しばらくジャブジャブという水音は鳴り続いていた。
ジャブジャブ。
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