第12話
FILE: 05
パープル・サンセット
映画『ダークマン』をご存じだろうか。
かの『スパイダーマン』シリーズでその名を世界に至らしめたサム・ライミが『スパイダーマン』以前に手掛けたヒーローアクションである。しかし、諸兄方はご存じだろうか。サム・ライミ監督が元々はホラーが得意な監督であり、実際にホラー映画界では『スパイダーマン』以前から有名であったことを。
近年、ホラーへの愛が再燃したのか、『スペル』というモンスターのようなゴーストが襲いかかるとんでもないホラーも撮っている。さて、そんなサム・ライミが撮った『ダークマン』だが、知る人ぞ知る名作となっている。日本でのキャッチコピーは「ダークマンは、誰だ」。
このキャッチコピーからも分かるようにこの映画の主人公であるダークマンは視聴者以外には正体不明。しかも、ハットにロングコート、そして包帯でぐるぐる巻きにされた顔。完全に変態である。
だが、劇中では実にこれが格好良い。
元々人工皮膚の研究をしていた主人公は、悪者の工作である爆発事故に巻き込まれて生死の境を彷徨う大怪我を負う。特に顔の怪我が酷く、彼は自分の顔を失ってしまうのだ。だが同時に事故の影響で痛覚を失い、痛みを感じない体になってしまった。そうして人工皮膚を駆使し、他人になりすましたり、痛みがないからこその無茶なアクションを繰り広げたりと、自分をこんな目に会わせた組織に復讐を誓うのであった。
古今東西、ヒーローのテンプレートというのは単純明快なものである。だが、その中でもカテゴリを分けられる。勧善懲悪ものと、復讐ものである。あくまで荒く分けたものだが、大きく分けるとこの2つで説明がつくであろう。
主人公は自分の顔を無くした変わりに、他人になる力を身に付けた。それは彼にとっては苦しみである他なかったが、復讐を成就するためにはこの上ない能力ともいえた。
ここで私が言いたいことは、裏と表の顔。どちらの顔がその人間にとって正しい、本物の顔なのだろうか。“ダークマンは誰だ”、それはそのまま“お前は誰だ”とも置き換えれるのではないだろうか。
少し話は逸れるが、ゲシュタルト崩壊論というものがある。
毎日鏡に映る自分に向かって「お前は誰だ」と問いかけるのだという。それを続けると次第に精神に異常をきたし、まともではいれなくなるというのだ。俄かに信じがたい話ではあるが、貴方がダークマンではないという保証はどこにあるのろう。試しに私が訪ねてみよう。
「貴方は誰か」
「――で、誰でありんすか。ぬっしは」
「糸井探偵事務所の糸井未久よ! 今このビルに天河壮介ってチンピラが入って行ったんだけど、ここには……来てないよね、さすがに」
マゼンタの玄関で糸井にお菊が対応している。なんとも珍しい絵である。
「“さすがに”? それは一体どういう意味でありんすか!? ニューハーフを馬鹿にするってことでありんすかぁ!?」
「い、いえ……そんなことは……ただ、こんなとこに」
「“こんなとこ”ぉ~」
喋る度に墓穴を掘る、時折見かけるタイプの女性のようだ。この糸井という女性は。これでよく探偵なんてものをやっていられるものだ。……そういえば、従業員はいなかったか。
「しかしぬっし、【ニューハーフ顔】でありんすな。もしかして同業者でありんすか?」
「ニューハー……フ!? し、失礼な!」
「失礼?」
それから少し糸井とお菊は口論をした後、糸井が敗北した形で去っていった。
「ちょいとパスタ、頼みんすよ。知り合いに見られるなんて勘弁んす」
「悪ィ。まさか糸井に見つかるとは思ってもみなくてよ。気をつけるさ」
パスタにとって、糸井と店の近隣で会うのは誤算中の誤算であった。しかも今回は一方的に糸井がパスタを見つけてしまったから始末が悪い。
「ここで長くマゼンタやってるからな……そろそろ引っ越し時かもな」
「えーー! 折角サキのお客さんついてきたのにぃー!?」
それを聞き逃さなかったサキは頬を膨らませて言った。
「ニャンニャン引っ越し嫌ニャン」
「ニャンニャンうるせえな殺すぞ」
「ニャ!?」
パスタは営業前のカウンターに座ると、いつものアルデンテがあるねんてを取り出しぱりぱりと噛み始めた。【アルデンテがあるねんて!】なぜに語尾が関西弁なのかよく分からないが、そこは食の台所と言われるだけあり、関西をリスペクトしているのだろう。ここで関係のない講釈をしてしまうあたりが昨今の小説文化を象徴しているようだろうと自慢をしたいところだが、そこはぐっと唇を噛み締めて我慢したいと思う。
「あのさぁ」
私が名誉ある自粛を身に染めていると、カウンターの椅子の背もたれに全体重を委ね、だらんと首を後ろにブラブラさせているパスタが店内の仲間に一言水を打った。その言葉の滴一滴にそれぞれ開店に向けての準備をしていた面々はパスタに注目した。
「4月20日」
誰も一言も発しないが、何故か空気がざわついている。
「決行日」
それぞれが気持ちの悪いレベルの女装、中々のレベルの女装をしている中でその瞳の奥には、我々の想像も出来ないような色が覗いていた。なるほど、これがシアンなのか。
「きゃりぃ、今日何日だっけ」
サキがまつ毛をつけながらきゃりぃに
「……日(12日)」
きゃりぃは相変わらず言葉の頭を消しながら答えた。これで聞き取れているのがすごい。
「なはっ、たった一週間かいな」
今日のコスチュームをボストンバッグから出し、鼻歌と手を取り吐いた。本日の衣装はキャットウーマンだ。若干、マニアックである。
「奪取するのは35億。どうしても不可能な時でも最低5億は持ち帰ること。……オーナーの優しさだそうだ」
どこからか「まあ素敵」と聞こえた。そもそも最初から5億の話だったのが、プレイアローカジノに更に30億があると知った瞬間35億になったのだ。これのどこが優しさなのだろう。などと誰もが心に思ってはいるが口に出して言えないことを私が諸兄方に向けて代弁してみたがどうだろう。伝わっただろうか。少なくともパスタの惰れた態度の説明はついたと思う。
「運び出しが問題っすね」
サキが天井に視線を移して右手の人差し指と親指で顎を触った。
「1億がおよそ10キロ、35億で約350キロ。ニャンニャン、お前持てる?」
パスタが乾燥パスタを一度に2本齧りながら聞いた。
「さすがのニャンニャンでも無理だニャン。無理をしてもせいぜい200キロ行けるかどうかだにゃん」
ニャンニャンは携帯ゲーム機をプレイしつつ答える。気になるゲームのソフトはハード内で猫を擬似的に飼うことのできるというものだ。どうやらニャンニャンは本当に筋金入りの猫好きであるようだ。
「お菊」
「あいやもう少うし待っておくんなまし。もうじき入手できるはずでありんすから」
お菊はスタンドミラーで着付けをチェックしながら報告した。
「まだ不安要素が多いな……。本来ならこのタイミングでGOってのは危険すぎるんだが、どうだ? お前ら出来るか」
その問いにそれぞれの準備に追われている面々は一瞬止まった。そして、一斉に「仕方ないでしょう」と言った。
パスタはその言葉を聞いて少し笑った。マゼンタのシアンたるプロ意識の表れなのであろうか、肯定的な言葉ではないが誰一人として否定的なことは言わなかった。パスタはカウンターの椅子を鳴らして立ち上がると、一つ大きな伸びをし、深呼吸を一つ吐いた。
「そうか。じゃあちょっと行ってくるわ」
パスタはマゼンタの玄関ドアを勢いよく開けると、一度立ち止まり店内の連中に一言。
「借金?」
「返済!」
マゼンタの店内に男なのか女なのかよく分からない声が響いた。
借金……返済?はて、どういうことなのか。ここにマゼンタ=シアンの行動理念が隠されているのだろうか。おっと、そんなことを考えている内にパスタが店を出てしまった。急いで追いかけてみたいと思う。
パスタは外に出ると目の前に立つ自動販売機に120円を投入した。点灯するボタンを端から端まで首と一緒に流し見すると、その中から【いちごオレ】のボタンを押した。パスタもかわいいところがあるではないか。いやもしかして彼も建前でノンケだと言っているだけで既におかまの世界にどっぷりと毒されているのでは……
「ほらよ」
パスタは自分の背後に向かって高くいちごオレを投げた。ゆっくりと放物線を描きながら飛ぶいちごオレの軌道の先にどこかの店舗のゴミボックスがあった。なるほど、戯れにいちごオレを買い、それを封も開けずにゴミ箱に捨てるという遊びが北関東を中心に流行っていると聞いたこと……はない。断じてない。
「ぴやあ!」
ゴミ箱の奥から缶の落ちる音の代わりに女の悲鳴が聞こえた。この個性的な悲鳴には聞き覚えがないだろうか。
「俺のおごりだ名探偵」
パスタは背を向けたまま顔だけ半分振り向きながらゴミ箱に話した。口にはお馴染みのアレが咥えられている。
「あ、あんたの施しは……」
突然ゴミ箱から人間が生えた。恐ろしいこともあるものだ。この大都会にも、現代の妖怪といえるようなおぞましい化け物が存在していたことになる。それがこの現代妖怪・ゴミ箱女である。
……いや、落ち着いてよく見てほしい。
これは、人である。糸井未久。貧乏探偵である。頭に魚の骨を乗せた糸井未久。パスタは片手の掌をクイクイと招き、【ついてこい】と意思表示をする。パスタの施しを受けないはずの糸井は頭に骨を乗せたままいちごオレを大事そうに両手で持っている。膨れ面がオタクと揶揄される兵たちに受けそうだとパスタは思った。
……いや、私が思った。
「TOHGEについての情報はないか」
「急になによ! TOHGEなんか知ってるわけないでしょ! それになんで私があんたなんかに情報を……」
まだそんなことを言っているのかこの女性は。どこに着地したいのかが理解し兼ねる。それほどまでに女心というものは複雑なものであろうか。
「そのいちごオレ。それが報酬だ」
「え? ……バッ! バカにしないでよ! 誰がこんな」
そこまで言うと糸井はぷしゅっとプルを起こすとごきゅっと一口飲んだ。
「ま、まぁ飲んじゃったからしょうがないよね! ほんとに卑怯だわ! あんたって男は!」
パスタは少し笑って「そうだな」とだけ答えた。
「そのいちごオレと俺を尾行(つ)けた理由を不問にしてやるのでどうだ」
「……うっ」
どうやらパスタはたまたま彼女に見つかったのではなく、どこからかここまで尾けられてきたようだ。マゼンタに彼女が訪ねてくるまでパスタはそれに気づいていなかった。
曲がりなりにもプロであるパスタにその気配を感じさせないのはさすがに腐っても探偵、といったところであろうか。
だが、今は違う。彼女が張っていることを前提に気を探っているとパスタほどの男になればどんなに熟練されていようがその存在は手に取るように解っているのだ。糸井はパスタを睨みながらいちごオレをごきゅごきゅと喉を鳴らしておいしそうに飲み干した。最後の方を急いで飲んだからか、短い咳を何度かし、その瞳は涙目である。
「の」
「『の』?」
「飲み干しちゃったわね! 仕方ないわ! 尾行けたつもりもないけれど、それは不問にしてあげよーかしら!」
これが今流行りのツンデレという奴なのであろうか。私には理解の外である。頭に魚の骨を乗せたままの糸井は「で? TOHGEのなにが知りたいの?」とパスタに尋ねた。
「言っておくけど、豆知識とかはないわよ。それがお望みならググってウィキってね」
腕組みをしてパスタにそういう糸井は何故偉そうなのだろうか。
「いや、そうじゃない。TOHGEのプライベートでよく行く店を教えて欲しい」
糸井は少し俯き、考えた。そして手帳を取り出しペラペラと捲る。やけに年季の入った手帳だ。皮製のようだがいい具合にこすれている。手帳には沢山の附箋が貼られている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます