第7話
「ビンゴ! でもそれだけじゃない。山陽党の幹部、それと常山組幹部」
「っへぇ……」
そう相槌を打ちながらパスタは笑った。峠山が党首を務める山陽党と、関東一円を牛耳っている暴力団・佐竹組の直系、常山組。この二つの組織が関与しているというのは、知事選が控えている今は特に、戦局がひっくり返るほどのスキャンダルだ。
「地下カジノの運営資金の35%はこの常山組の金だといわれてる。そして、35%が峠山。残りの30%は提携企業や提携団からのものね。地下3階には巨大金庫があるけど、そこに全ての金はない。4階にあるという噂」
糸井は半分ほど残ったコーヒーにミルクを足すと、ぽつぽつと水玉模様のように浮き上がる白い斑点を眺めて一口飲んだ。
「その4階に5億があるってわけか」
「5億?」
ティースプーンで白い斑点をかき混ぜていた糸井は“5億”という言葉に反応した。
「5億って、なんの話?」
「なんの話もなにも、そのカジノ運営資金は5億あるんだろ?」
「5億は3階にある金庫の金よ」
コーヒーをかき混ぜる手が止まっている糸井と、コーヒーを口に運ぶ途中で固まっているパスタと、ミックスジュースをストローでぶくぶくとしているニャンニャン。この3人の中でわずかな【沈黙】が居座った。
「待て」
その沈黙を破ったのはパスタであった。パスタは持ち上げたまま止まったコーヒーを飲み干し、一呼吸置くと糸井を見詰めた。ドキリとしたのか、糸井はパスタに見詰められると止めていたスプーンをカップに【チン】と鳴らした。
「その4階の金庫にはいくらあるんだ」
「聞いた話だと・・・・・・30億」
「それが、現金で?」
「そう、現金で」
パスタは右手で頭をくしゃくしゃと掻くと、大きなため息をついた。まるで降りたい駅を乗り過ごして2つ先の駅で目覚めた時のようだ。少し回りくどかったか。
「絶対あのくそオーナー知ってやがったな!」
悔しそうに漏らすパスタの脇でニャンニャンはニャンニャンうるさかった。
「ニャンニャンうるさい!」
「にゃ!」
その様子を眺めながら糸井は「そして5階だけど」と付け足した。もう聞きたくないと言ったようすで、細目でそれを聞いているパスタに糸井は動悸を隠しながらプレイアロー地下5階について話した。
「5階はトンネルになっている」
「トンネルだと?」
「そうよ。聞いて驚いて。このトンネル、峠山の事務所と繋がってるって話」
地下通路か、なるほど。パスタは心の中で呟いた。思っていたよりも驚かなかったパスタを見て少しだけテンションが下がっている糸井を無視してパスタは更に思考を続けた。
(巨大規模のマフィアが関与しているカジノには確かによくある話といえばよくある話。この地下通路の設計図は)
「地下通路の設計図はないのか?」
「あるわけないでしょそんなの」
「そうか。そうだよな。ニャンニャン」
「覚えたにゃ」
「よし」
席を立とうとするパスタとニャンニャンを糸井は慌てて引き止めた。
「ちょっと待ってよ! あんたら時々こんな風に変な情報聞きにくるけど一体なんなの!?」
「常山組が関連してるってことを聞きたかったのさ。うちの親父からの命令でね。悪いな、探偵」
「うっ」
糸井がパスタのことをヤクザ者だと勘違いしているのを利用して、パスタはそれに便乗し、演じることにした。そのほうがなにかと都合がよいのだ。
「あ! て、天河!」
「なんだ」
「ま、また会えるわよね」
パスタは糸井のその言葉に振り返ると糸井の顎を親指と人差し指で持ち上げ、顔を近づけた。
「お前が望むならな」
店を出たパスタは、改めて今回のオーダーに無理難題さにため息をついた。『やれ』といわれたことはプロとして『やる』が、それにしたって今回の仕事の規模の大きさはなんなのか。これまでも命の危険に晒されるようなオーダーは多々あったし、むしろそれがデフォルトとも言える。だが、今回のオーダーはそんなレベルの話ではない。リスクが大きすぎるのだ。今こうしている間にもキニC達はそれぞれの仕事をしている頃だろう。パスタは手元に持ったスマートフォンを操作すると“ルージュ”にコールした。
『ちゃお。どうしたんだいパスタ』
癇に障る明るい声。
「プレイアローについて調べた」
『ふむ。報告して』
パスタは糸井から仕入れた情報をルージュに報告する。
『じゃあ、35億』
「……」
『よろしく』
そういってルージュは切った。
「……」
パスタはスマートフォンを耳に当てたまま立ち尽くした。想像通りの答えが返ってきたからだ。予想を裏切らないその予想を裏切らない言葉に苛立ちを覚えた。鈍い音を立て、ニャンニャンの頬がパスタの拳の衝撃を受け、首から上がゴムマリのように振れた。
「ありがとうございます!」
パスタは無言でニャンニャンを殴ったのだ。行き場のない怒りをニャンニャンに向けたのだ! なんとういう虐待! だがニャンニャンの顔は笑っている。
マゼンタに戻ると他のメンバー達もいた。
「オーダーの修正がある」
店に入って一息も要れずにパスタはキャスト達に言った。
「どうせろくでもない修正でありんしょ」
キニCがため息がてらに吐き出す。
「聞きたくないっす! 聞きたくない~!」
続いてブラシが耳を塞いでかぶりを振る。
「喜べ。峠山から奪う金が5億から35億に引き上げだ」
店内から力のない「やったー」という声が聞こえた。
「そんな大金どうするんでありんすか。オーダーに文句をいえないのがわっちらのルールーではありんすが、【そこまでする必要】がありんすか?」
キニCは“お菊”に変身するための準備をしながら化粧台の鏡越しに毒を吐く。
「知るか」
率直で素直なパスタの返事。納得はしないが理解するしかないメンバー達のモチベーションによって店内の空気はかつてないほどにどよりと重く、暗い。
「決行期日の指定は今のところないから情報収集に全力を注いでくれ。俺もそうする」
「今日は牛丼の並をニャンニャ……」
「ニャンニャンうるさい!」
店内にいた全員が一斉にニャンニャンに突っ込んだ。黙るニャンニャン。少々可哀相ではある。ちなみに喫茶店で糸井はTOHGEについては
「(同じ10POTメンバーである)MIYOSHIのほうが好き」とだけ告げた。
さて、どんよりとしたシアンの面々のシーンは置いておいて、気分転換に他の登場人物に場面を変えてみよう。
場面を変えたはいいがここはどこだろうか。見たところ公園のようではあるが……。
「せんせー、えほんよんでー」
「ちょっと待ってね、たからちゃん」
「ぼくがよんであげるよ!」
「えーあんちゃんひらがなよめるのー??」
「よめないけどだいじょうぶだよ!」
とても小さな公園の脇に小さな建物がある。外にいてもこのようなやりとりが聞こえてくるというのはよほど狭い敷地なのだろう。幼稚園では無さそうだし、保育園でもなさそうだ。こんなに狭い敷地で何十人の幼児の面倒を見ることは恐らく不可能であろう。では、この施設がなんであるか門まで戻って確認してみよう。
【へいせい託児所】
託児所……である。
つまり、俗に言う【無認可保育園】という施設であろうことが予想できた。何故舞台がこんなところに切り替わったのだろうか。物語に深く関わる人物でもここにいるのだろうか。
「偉いねーことぶきくんは! さすがお兄ちゃんだね!」
この保母さんは中々の美人だ。私があと20年若ければお相手願うところだ。……というよりもこの保母の女性、どこかで見覚えがある。はて、どこだったか。
「じゃあ先生があっちに行っている間、たからちゃんと遊んであげてね」
ぱっちりとした瞳が特徴的なその女性は見れば見るほど、少女漫画の世界から飛び出して来たのではないかと錯覚するほどの可憐さであった。
彼女がたからとことぶきと呼んだ子供と遊んでいた部屋から、隣の職員室のようなところに移動すると【保育ノート 船越 宝 寿】と書かれた小さなノートを開いた。そこにボールペンでなにかを書き込んでいる。覗き込んでみるとどうやらここに親宛てに今日の彼らの様子を書き込んでいるようだった。しかしよく見てみると不審な点がある。数日前までは毎日、ノートの内容を見た母親とのやり取りが書かれているが、ここ数日前からどうも母親からの返事が書かれていない。
『♪』
不意に携帯電話の着信音らしきメロディが鳴った。今子供たちの間で大流行の【あたりまえダンス】である。彼女は丁度自分のデスクのすぐそばに置いていた携帯電話を手にすると着信の相手を確認する。そこには【壮介】と出ていた。
「ちゃお。どうしたんだいパスタ」
この妙に明るい声。女性なのにこの言葉遣い……覚えはないだろうか。
「ふむ。報告して」
少しの間、相手の話を聞いているのか軽く相槌を打つ。
「じゃあ、35億」
35億?
「よろしく」
そういうと彼女は電話を切った。もうお分かりだろう。彼女はマゼンタオーナー・ルージュ。本当の名を……なんていうのだろう。とりあえず豊満な胸についている名札をまじまじと見てみよう。誤解なきように言っておくが、“名札”を見ているのである。決して“胸”ではないことをご留意頂きたい。……ほう、これはこれは。
あ、名前は【赤井 千穂】と書かれてある。時刻は18時を回っている。しかし、幼い2人の子を迎えに来る様子はない。
「じゃあ、一緒に帰ろうか。ことぶきくん、たからちゃん」
「うん!」
兄だと思われる“ことぶき”は元気に返事をした。5歳くらいだろうか。
「……たからちゃん?」
たからと呼ばれた妹らしき女の子は絵本を両手に持って座ったままうつむいていた。
「ママは?」
たからは兄のほうも千穂のことも見ずに聞いた。少し小さいがそのはっきりとした口調からおそらく3歳くらいと思われる。
「ママはどこ? ママに会いたい!」
今にも泣きだしそうになるたから。……ちょっと待ってもらいたい。
先ほど千穂は兄妹に対し『一緒に帰ろう』と言った。この言い回しは妙ではないだろうか。
「オムライス食べよっか? 先生がおっきいオムライスのお店に連れていってあげる!」
「ほんとに……?」
「やったぁ! ぼくオムライスだいすき! たからいかないなら、たからのぶんもあんちゃんがたべるぞ!」
「だめー! たからもたべるー! ケッチャプーすきだからぁ」
なんとかご機嫌とりに成功したようだ。2人は着替えを済ませると千穂と共に園を出た。そして薄暗い町を3人で歩き、その先に消えていくのだった。場面を変えたのはいいが、余計に私を含む読者を混乱させてしまったようだ。
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