第5話


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カジノベイビー

 







映画『評決のとき』をご存知であろうか。

 黒人差別の色濃く残る州で、白人が黒人の娘を陵辱した。娘の父親が激昂し、加害者である白人を殺してしまう。当然、裁判になるのだが彼の弁護にあたるのは新米の白人弁護士、冒頭で述べた通り黒人への差別が色濃く残るその町では、黒人であるその父親の立場は圧倒的に不利なものであった。 

 ジョン・グリシャムが原作の傑作法廷サスペンスであるが、アクションの要素もふんだんに盛り込んである。簡単にあらすじを紹介したが、観たことのある諸兄には肝心なポイントがまるごと削げ落ちた、痒いところに手が届かない不完全な紹介文である。そう、私はこの映画について肝心なところ、つまり見所であるところを全て伏せて紹介したのだ。

 本来ならば、被害者の兄が報復行動が過激化し弁護側にも危機が訪れたり、黒人側の発言をことごとく軽視されたり、しかし最後に待ち受けていたのは……など魅力のあるコピーなどいくらでも思いつくであろうのに、である。

 さて、次に紹介するある男には前述の映画と共通する点がいくつかある。

 まず、政治。次に差別。常に自分が有利な立場に誘導すること、元・弁護士。 だが、以上の点はあくまでも些細な共通項にしかならない。なによりも大きな共通点は……【肝心なポイントを曖昧に演説すること】であろうか。

 おや、それだと映画との共通点というよりも私の紹介文との共通点になってしまうではないか。そんなことよりもその人物を知っていただきたい。

 ビールの空き缶を並べたようなビルの山々に埋もれている大通りの交差点。ビルとビールをかけたわけだが、どうであろうか。失敬、ビルとビールの件は置いておいて、その交差点を分断するように高架型の線路の走る駅が建っている。平日や週末を問わずに人のドットで溢れ返るこの街の風景だが、今日はどうやら少し様子が違うようであった。駅の改札を出てすぐのバスロータリーに人のドットが集中している。この群集が私の言うことを聞いてくれるのならば、是非とも人文字でも作ってもらうか、ダイブというものをしてみたい。そんな私の願いも虚しく、この人込みはみな一つの方角に注目しているようだ。

 群集の視線が集まるほうに目を向けてみると、そにには1台の選挙カーとその上で演説をする1人の年配の男性がいた。その胸にはタスキがかかっており、太い黒い文字で【峠山勝彦】と書いてある。そう、この男が今回の“シアン”のBullである。

 さて、問題はこの男が何者であるかという点だろう。折角なので、この男の演説に耳を傾けてみようと思う。

「TPPのテーブルにつくことで危ぶまれる我が国家の安全! 保障! 生活! これらは自らの手で守っていかなければならないのです!

 しかし、諸外国からの輸入なくしての貿易は残念ながら成り立たない。確かに理想は!

 私たちの国で作ったものを、私たちの国内で流通させ、日本国の経済を諸外国に依存しない、そんなサイクルであります!

 ですが、どうでしょう!? 日本の経済は諸外国の援助なしでは有り得ないのです! しかし、だからといってTPPの交渉が突破口であるか? 否! 私はそうは思いません!

 日本という国のブランドをもっともっと上げていくことが突破口、いや、最善策なのです!」

 ……中々暑苦しい演説である。このもっともらしいことをもっともらしく大声で語っている人物は一体どんな顔をしているのか、読者の皆様もそろそろ気になりはじめた頃かと思う。ではこの人込みの頭上を歩き、もっと近い距離でこの男を見てみることにしよう。

「私が知事になった暁には、この街にカジノを設立することをお約束します!」

 男の顔がよく見える距離に差し掛かるかどうかの時、これまでの演説よりも一段と大きな声で謳った。まだ少し肌寒い春先だというのに、汗をかいてマイクをギトギトに汚しているその男の頭は歳はおそらく六十代前後かと思われるにも関わらず、密林のように茂っていて、こまめに黒染めをしているのだろう、年齢の割には艶のある真っ黒な髪を分かりやすく七三に分けている。グレーのスーツに身を包んだ体躯は、ややなで肩の中肉中背である。頬辺りがややたれてセンスの悪い帽子でも被ってくれれば、立派な七福神のどれかのようだった。目つきはメガネをかけていても目立つギョロッとした大きな目で、群集を射抜くかのように真っ直ぐ見詰めている。そんな人物観察をしている中でも私は『カジノを作る』とかそんな大それたことを公約として高らかと謳ってもよいものかと心配だ。

 ギトギトの脂ぎった年配男性を丁寧に説明したところで、彼の話をもう少し聞いてみよう。なにか今後のヒントになることを言うかもしれない。言ってもらわなければ物語の構成に無理があるといえよう。 

「カジノを作ると簡単には言いますが、それを作った上で市民のみなさまにご迷惑をおかけするようなことはありません。ただでさえ国民のみなさまから血税を頂いているというのに、ギャンブルでその財布のお金をよこせ、と。そう言っているわけではないのです! この公共カジノ計画の一番の目的は、諸外国からのお客様であります!先進国では既にカジノは国の財源として立派に機能をしております。しかも、他の国から来られるお客様がお金を使われるということは、日本にとってなによりも財源として重宝されるはず! これが実現すれば、この街は当然、国から特別な待遇を受けるでしょう! いえ、私がそうします! そして、青少年の育成の為、カジノにおきましては国民、特に町民のみなさまには入場制限、条件などを設け、簡単に入場できなくし、国の秩序を守ることもここに約束致します! 如何でしょう! この峠山勝彦に清き一票を預けては頂けませんかっ!

 そうして頂けると・・・・・・」

 これ以上は聞く必要がなさそうなので、ここまでにしておこう。つまりこの男、知事になって公共のカジノをこの町に作ると言っているのだ。この男、峠山にとって都合のいいことにほぼ同時期に他府県の市長、出馬候補もカジノ構想を掲げている。確かに実現すれば、国の財源として重宝はしそうだ。

しそうだ……が、当然それだけではない。この演説を傍聴している民衆の何人が知っているだろうか。峠山が“私利私欲の為だけにカジノを立てたい”ということを。

 しかもこの峠山、人気アイドルグループである【10POT(テンポット)】のメンバーであり、常に抱かれたいランキング上位にランクする“TOHGE”の実の父親でもある。元々、政治家として知名度もあったがこの10POTの人気に火がついてからというもの、その人気にあやかって数々のテレビ番組に出演している。今回の知事選においてもその知名度を全面に押し出した戦略で話題になっていた。もうお分かりだろうが、その戦略とは……

「きゃぁぁあああ!」

「TOHGEぇぇえええ!!」

「死んじゃう! おいどん、死んじゃう!」

 群集が瞬時に観衆に変わる。峠山の横には息子でアイドルであるTOHGEがマイクを持って観衆に手を振っている。

「どうも、10POTのTOHGEです。今日はパパの演説に来てくれてありがとう!」

 観衆が更に沸く。まるで津波のような轟音と言ってもいい歓声だ。

 ほどほどに背が高く、前髪だけやけに長い緑のメッシュ。父親似の大きな瞳はギョロ目ではなく、パッチリとして射抜くような眼力を持っている。癇に障るほどに甘く、やや高めの声で妙に高い鼻を少し擦りライブを続ける。

「おいおい、今日は僕が主役じゃないんだから・・・・・・。はは、パパはね、昔っから知事を夢見てきた。僕が小さいときからその姿を見てきたから、今回のチャンスは息子としても絶対にものにして欲しいんだよね。そのためだったら僕はアイドルを辞めてもかまわないとさえ思うんだ」

 観衆から毒電波のような悲鳴が空を突き刺す。

 TOHGEはわざとらしく目尻を手で擦ると、これまたわざとらしく乾いた声で「ははは」と笑った。

「だからさ、みんなパパのこと応援してあげてね!」

 そしてわざとらしく親子は固い握手を結ぶ。一斉にフラッシュの乱舞に包まれる。






「なんてカラッからの言葉なんだ・・・・・・」

 選挙カーの周りに今回の演説が混乱にならないよう手配されたパトカーと覆面パトカーで周りを見渡しながら一人の刑事が呟いた。

「ちょっと! 荒崎さん、聞こえますって!」

 その独り言を捉えた脇で無線機をいじっていた若い刑事が慌てた様子で言った。

「大体、こんな仕事は上居とかの方が適任だろう。なんで俺が」

 荒崎と呼ばれた男は恨めしそうに峠山親子を見上げながら呟く。みっともなくせり出した腹の肉がベルトの上に「よいしょっ」と乗っかっている。その体格からかやはり暑いようで、他の部下はスーツのジャケットをきちんと着ているのに荒崎だけはYシャツにエンジ色に雨の柄の入ったネクタイを緩めていた。年齢は39歳。柔道と相撲の心得あり。見たまんまである。頭髪は短くはしているが、登頂付近はやや危うい。

「どう考えても荒崎さんが適任でしょう」

 無線機の調子が悪いのか、かちゃかちゃと無線機周りをいじくりながら部下である狭山は心ここにあらずといった様子で返した。狭山は、よくある顔をしたよくある男だった。歳は27歳。説明が雑になっている? それは仕方の無いことだとご理解頂きたい。今日はここまで男の解説しかしていない。ここで美女でも登場してくれたなら、少しはやる気にもなるが。考えてもみてもらいたい。ギトギトの政治家。モテモテのアイドル。禿げ始めた刑事とそのお供。

 どうだろうか。これでも私に『きちんと狭山について解説しろ』というのか。答えて頂きたい。

「こうなって来るとよぉ~、なんか起こって欲しいよな」

「ちょっと、滅多なこといわないでくださいよ!」

 荒崎が見上げた頭上の空は、青い空と眩しい太陽が覗いていた。

「にしても熱っちぃな」

「寒いですよ!」

 汗を拭う荒崎の頭上で太陽の光を窓のガラスに反射させているビルの5階にあるカフェで、峠山親子のわざとらしい演説を見下ろす人影があった。

「かっこいいっすよね~、やっぱりTOHGEは」

 デラパフェをぱくつきながら大きな縁のサングラスをしたサキがガラス越しに小さく見えるTOHGEを人差し指でなぞった。

「まこと、あんなんのなにがええのんか、わっちにはわかりんせんわ。殿方でありんすならやっぱり海老様でありんしょう」

 抹茶ミルクをストローで啜り、お菊が吸っていたタバコを灰皿に押し付けて消した。

「まぁそうは言うても、お仕事でありんす。わっちはわっちの畑でやらせて頂きますぇ」

 大きなツバの黒いハットは、近くで見なければお菊が男性だとは気づかせない。もっとも、美しいかどうかはさておき、外見だけでお菊が男性だと気づく人間はそう居ないであろう。お菊は少し大きめの辛子色のポーチから辛子色のレザーケースに入れたタブレット端末を取り出した。画面を触りスッと指をなぞると、お菊はタブレットのUSB接続端子に小さな黒い箱型の機械を挿した。

「それなに?」

 ジャージにスカートでパフェを食べるサキはいい意味で言えば中性的にも見える。だが一般的にはこれは【ただの中学生】にしか見えないであろう。

「ぬっしに説明したところで頭(こうべ)で理解できやせんでしょう」

 タブレットの画面をタップダンスのそれのように片手で躍らせると、タブレットの画面上にいくつかの映像が映し出された。

「うわぁ、これ……って」

 画面を覗き込んだサキは思わず声を漏らす。お菊のタブレットに映っているのは色々な角度からの峠山の映像。しかし、よく見てみると色々な角度と言っても皆大体同じような位置からの映像である。下からやや遠くの峠山を撮っている点ではどの映像もそう変わらなかった。

「おっとと、ここからはわっちのことは“キニC”と呼んでおくんなまし。“ブラシ”」

「りょーかい。……ねぇ、これって携帯のカメラの映像だよね」

「ご名答。その通りでありんす。わっちらの下で群がって必死で写メやムービーを撮っている連中の画像をハックしてやんす」

 キニC(=お菊)がそう言っている間にも次々と画面が変わっていく。

「ここから100メートル圏内のケータイ・スマホの画像を傍受。釣れるといいんでありんすがね」

 パッパッと数秒ごとに切り替わる映像群を見詰めていると、その中にかなり近い距離で峠山親子を撮っている映像があった。

「……釣れた釣れた。釣れた魚は大きいでありんすかぁ?」

 楽しそうにキニCがその映像を指で捕まえて保存した。氷が半分溶けた抹茶ミルクを一口飲むとキニCはタブレットをしまった。

「で、“ブラシ”。ぬっしはどうなんでありんすか」

 店を出る支度をしながらキニCはブラシ(=サキ)に尋ねた。

「ぐも~ん(愚問)! あれごとき楽勝に決まってるでしょ。問題は【これからなにがいるか?】っすよ」

 パフェの残り汁をグラスを逆さにして飲み干すとブラシは笑った。

「じゃ、ごっちそーさまっ!」

 ゴンッ、と空のグラスをテーブルに置くとブラシは走って店を去っていった。

「あれぇっ!? そんなご無体な! ちょい、ちょい~!」

 キニCはその独特の言い回しの悲鳴を叫んでしまったものだから、店内の客の注目を浴びてしまった。

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