第4話
つまり、その存在はあまりにも美しいということ。
ゴミだらけのアスファルトが【地獄】で、そのすぐ頭上に輝くネオンや看板達が【天国】と例えるのならば、そこをあるく彼女は“神”以外にどう形容すればいいのか。それほどまでにこの街には不釣り合いな神は、ある総合商店ビルに立ち止った。
センスのない色の電飾で【2F スナックまよい】、【3F ラウンジカテジナ】、【4F BARマゼンタ】とビル内の案内が出ていた。
酔っ払いのスーツ姿の男がどこかの店舗から出てきたのか、神とすれ違う。素面ならばおそらく声もかけることもできずにすれ違うのだろうが、酔いを追い風につけて神に話しかけた。話しかけた内容はよくあるナンパの常套句であったが、その言葉を打ち消してしまうほどの衝撃を持った微笑みで、5歩ほど歩いた正面のラーメン屋の看板に男は嘔吐してしまった。血相を変えて店から出てくる従業員の怒鳴る声を響かせながら、神はそのビルのエレベーターに乗り込んだ。ドレスの色と同じくマゼンタに塗ったネイルが白い指の美しさを更に際立たせた。
その指が押したのは【4F BARマゼンタ】、この人物が誰であるか。もうお分かりだろう。
「いらっしゃいませーー!……う゛」
「やあ、サキ。元気そうだね」
「お、オーナー……! お、お疲れさまっす……」
「うん。お疲れ様。そういえばさ」
神のオーラに身を包んだBARマゼンタオーナーは、ニコニコと笑顔を振りまきながら少し周辺を見渡してサキに言った。
「なんで玄関で待ってなかったの? これが僕じゃなくてお客様だったら?」
「へっ!? ああ、あの」
「“申し訳ございません”じゃないかな。ペナルティ1だね」
「もも、申し訳ございませんっ!」
顔中の血の気が引いた表情でサキは謝った。玄関での異様な空気に勘付いたのか、店内のキャスト達に針の穴に糸を通すかのような緊張感が走った。
オーナーが臨店した時、店内にはゲストは2組。
共にお一人様であったために、それぞれにお菊ときゃりぃが付いていた。
淡いピンク色の照明と、バニラ色の間接照明の店内には同じくピンク色のソファのボックスが2つと、5人ほどかけれるカウンターがあり、ところどころに花やオブジェが飾られている。カウンターの中ではニャンニャンがグラスを拭いていた。
「ゆっちん。……ゆっちん!」
オーナーは聞き慣れない名前を呼んだが、誰も反応がない。苛立ったのか再度強い口調で同じ名を呼ぶがやはり反応はなかった。
「ニャンニャン!」
そう強く呼ばれてニャンニャンが振り向いた。鳩が豆鉄砲を正面から連発で食らったような顔だ。オーナーはカウンター越しにニャンニャンに対してこれまたニコニコと笑いながら低い声を作り言う。
「君のここでの名前は“ゆっちん”だったよね? ニャンニャンは“シアン”の時の名前だったはずだよね? なんで呼んでも反応ないのかな?」
ニャンニャンの少し蒸し暑い店内で真っ赤になったスキンヘッドが、瞬く間にブルー……いや、“シアン”に変わってゆく。確かにニャンニャンの名札には【ゆっちん】と書いてある。
「もしかして、キャラがブレてる? 僕がちゃあんとブレないキャラ作りをしてあげようか?」
力いっぱいぶんぶんと首を横に何度も振るニャンニャン。その遠心力で頭につけた猫耳カチューシャがカウンターの外に飛んだ。接客の最中のお菊ときゃりぃも気が気でないのか、目が泳いでいる。そんな中、スタッフルームのドアを開けて織姫が現れた。
「おはようございます。オーナーママ」
「おはよう。織姫ちゃん」
どちらともにっこりと笑いあっているが、見えない力が反発しあっているのをキャストは全員感じていた。
「ミーティングですよね? まもなくクローズですので奥でお待ちください」
「そう? もし良かったら僕を接客してくれてもいいんだよ」
「あらぁ、そうです? サキ」
ビクン! と静電気でも当たってしまったかのようなリアクションでサキは織姫に対して手をぶんぶんと振る。
「あら、サキは喜んで接客してくれるそうですよ。オーナー」
サキはもはや泣いている。
「そう。それは楽しみね。じゃあクローズまでサキにお酒を作ってもらおうかしら」
ニコニコとした表情のままでサキを流し見たオーナーは再び目線を正面に戻した。明らかにサキをダメ出しする気満々のようだ。店内の客はいずれも男。ニューハーフであることを知らずに訪れる客はほぼおらず、この二人の客もそれを承知で遊びに来ている。
元男で今は女もどき。話自体は楽しい上に、細やかなサービスと、ラウンジやキャバクラに比べれば良心的な価格設定も手伝って、意外とこの業態は息が長い。それでも目当てのキャストが居てリピートする客は少ない。あくまで3軒目や暇つぶしでくる客が圧倒的に多い。
それにBARマゼンタに関しては織姫以外のキャストのクオリティは決して高くはないので下心を持って通う物好きはトキの数よりも少ないのだ。外へキャッチをしに行っていた明石家が少し玄関のドアを開けて、そして閉めた。オーナーに接客をしているサキの姿をみたからだ。
「おーこわ! あんなんに睨まれたら生理止まるわ。来たことないけど」
もう一度外に出ようとエレベータ待ちをしていると『ピンポン』とメッセージを知らせる電子音が鳴った。明石家はポケットのスマートフォンを取り出しメッセージの内容を確認すると、『おかえり。寒かったでしょ? 温かい店内でサービスについて語らいましょう♪ 【送信者:マゼンタオーナー】』とあった。
明石家はおそるおそる後ろを振り返った。扉を半分開けて顔を半分覗かせたオーナーの姿がそこにあった。
「きゃぁああああああああ!!」
――午前2時。
マゼンタのあるビルのテナント案内の灯かりは既に全て消えていた。眠らない町は尚もネオンを点し続け、アンデッドと化した夜の住民達を誘惑している。 マゼンタのビルのように光を落とした店々もあるが、この時間になっても依然としてカラフルな鬼火は消えることはなかった。
――映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』
ジョージ・A・ロメロの傑作であるが、今の年代の若者には『バイオハザード』と言ったほうが時代の風潮に沿っているのかもしれない。とにかく、ゆらゆらと光を求めて歩く人間の姿はそんなアンデッド映画さながらであった。
「お仕事お疲れ様です。“マゼンタ”の皆さん。おはようございます。“シアン”の皆さん」
オーナーはソファに腰掛けた面々にそう挨拶をした。パッチリとした二重のまぶたに長い睫毛、薄く伸ばしたシルバーのアイラインでその存在をカムフラージュしているが、その瞳は闇を呑みこんでしまうかのような冷たさと、光を支配したような優しさを混在させていた。彼らはこの瞳の恐ろしさを知っているし、同時に絶対的な信頼感も持っている。
オーナー“ルージュ”はそんな絶対的なカリスマでもあるのだ。オーナールージュはカリスマでも在るが、同時に彼らにとって支配者でもあった。どんな理由があるのかというのは物語の構成上後回しにするが、とにかく彼らにとっての彼女は尊敬する存在でもあり、畏怖する存在でもある。
何故、長々と彼女のカリスマ性について語ったかというと、つまり今この空間を包んでいる空気がそれらを全て内包するかのようなそれであったからだ。オーナールージュは外見上は20代後半のようにも見えるが、落ち着き払ったその佇まいはもっと年配のように思える。見るものに“自分を確定させない”才能があるのだろう。
「では、今回の“依頼(オーダー)”について」
オーナールージュは、先ほどまでにぎやかにしていたマゼンタのメンバーが息を飲み注目する中、今回の”仕事“について話しはじめた。
さて、彼女が今回のオーダーを発表するまえに説明しておかなければならない。
マゼンタとシアン、この対極の位置に居る二つの色が同居しているのがこの空間であり、この面々である。彼らにはそれぞれ“もうひとつの顔”があった。きゃりぃが元特殊メイクアーティストであったのと同じに、それぞれが【なんらかのスペシャリスト】であるのだ。
彼らはそれらを駆使し、オーナールージュから課せられる“オーダー”を達成させてゆく。この裏の稼業を表のマゼンタと対極のシアンと呼び分けている。
ちなみに6人中4人は本当にニューハーフだ。そして1人はゲイ。
唯一ノンケであるのが、この物語の主人公である天河壮介=パスタ=織姫である。この書き方をするとハーフみたいで格好が良いので、時々使っていこうと思う。そんな男なのか女なのか分からない連中にうってつけの仕事が、ニューハーフバーである『マゼンタ』。
その『マゼンタ』のおかげで『シアン』が割れにくいという側面がある。
人の先入観というのは馬鹿馬鹿しいほどに脆く恐ろしい。
誰もが『まさかニューハーフが犯罪集団だなんて』と心の中で多寡を括っているのだ。結果として、それは現在までのところ功を奏している。……だが、理由はその他にもあるのだが。それはこの先の機会に。それではオーナールージュの“オーダー”に戻そう。
「今回のBullは峠山勝彦」
誰も言葉に出さないが、ざわついた空気が一瞬場に流れた。暖かなキッチンで、半開きの冷蔵庫から冷気が背中を横切るような。ひんやりとした空気だった。
「DoubleBullがアロー地下カジノ」
無茶なオーダーはこれまでにもあったがその響きはシアンを凍てつかせるには充分なものだった。明石家が「あほな!」と叫び、お菊が明石家の口を塞ぎ「しーっ」と口に人差し指を立てた。オーダーを発表するさい、ルージュはその的(ターゲット)をダーツ用語で話す。暗号のようなものだ。ここでいうBullというのは、標的の名前。DoubleBullは標的の場所。そして、hat trickは標的から奪うものだ。
hat trickというのはダーツでいうところの【3投連続でBull(中心の的)を刺す】テクニックを言う。無論、熟練の技が必要な技であるが、運で成し遂げれることもある。実に良い暗号ではないだろうか。
「hat trickは」
ルージュを見詰める織姫を除いた全員が『まさか』といった面持ちでそれに続く言葉に構えた。
「地下カジノの運営金、5億」
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