第3話

『♪』

「なんだ」

『なんだもなにも話の途中で電話壊さないでよ』

「黙れ」

 携帯電話は壊れたはずなのに、すかさずチープメロディの鳴る電話を取る天河。今は電話を複数持つ時代。考えてもみれば不思議なことはないのか。だが、貴方と同じ疑問が浮上する。

“何故スマホでなくガラケーなのか?”

 これは今後大きな課題にな

「さっさと今回の仕事の内容を言え」

『分かったよ。言えばちゃんと僕とセッ』

 2台目が逝く音がした。そうか、天河は日常的に携帯電話を投げて壊すからスマホよりも安いガラケーを使っているのだ。これでわたしも貴方も納得である。

『♪』

「いいか、次はもう出ないからな」

『気が短いなぁ壮介は』

 3台目。この調子で壊して行ってくれたら近い内にガラケーからスマホの完全移行が実現するかもしれない。

「……で、今回の仕事の内容は?」

『セッ』

「真面目に言っておかないと色々面倒なことをお前にしてやるからな」

『……分かりました。分かりましたよ。ジョークの分からない男はモテないんだよ壮介』

「俺はお前で懲りたからな。モテるのはもういい」

『それはそれは、では“オーナー”から君たち“シアン”に依頼(オーダー)する』

 暗闇で支配人(オーナー)から指令が下った。ここの部分だけをモザイクにかけるのを許してほしい。便宜上必要な描写だからだ。

「……正気で言っているのか」

『ビビっちゃった?』

「そうじゃない。【そこまでする理由】があるのか?」

『あるよ。いいね、きちんと他の“シアン”の連中にも通達すること。詳しい内容はまた連絡します』

「……了解」

 暗闇というシーンは楽だ。特に描写の説明をしなくとも声のトーンで大体の状況が伝わる。活字という媒体であってもそれは一緒である。そして、次に受話器の向こうの美女は明らかに声のトーンを変えて天河に言った。

『分かってるだろうけど、【これ】は“命令”だからね。失敗はチームの死を意味する』

「……何年やってると思ってる」

『24年と5カ月。何年もやってるから毎回言ってるんだよ。感謝しな』

「……ふん」

『それと』

「なんだ」

『真面目な話、本当にどうする? セッ』

 3台目が逝く音の次に椅子が軋む音、そして静寂が訪れた――。スマホ完全移行の日は近い。 

「かくもこう言おう。全ての事象は理に適う。理に帰せしに理に埋まる。これこそが万物の心理でもあり同時にこの世の理(ことわり)であると」

 オペラ俳優のように優雅にお手を拝借しているこの男、昨夜確かに見た顔である。名を確かワンワンと

「ニャンニャン、なにを訳の分からんことを言ってやんすか。いい加減指名を取らなきゃ本当にクビになりんすよ。わっちのように妖艶な振る舞いを心がけないからでありんす」

 こちらはお菊。おや、ちょっと待ってほしい。先ほどのVTRで確かにこのキャストは居たが、冒頭のアクションでもこの口調に聞き覚えがありはしまいか。

「……? 妖艶? 猫にそんな種類はいないにゃ」

 ワンワ……いや、ニャンニャンと呼ばれた名に相応しくない屈強な体のその男は鳩が豆鉄砲を正面から浴びたかのような顔でお菊に尋ねた。

「どうしてぬっしは思考がそんな風に着地するんでありんすか」

 呆れた。といった様子でお菊は手鏡片手に顔を白く化粧する。

「昨日の映画の台詞だにゃ」

 スキンヘッドの頭に緑の猫耳付きのカチューシャを装着しながらニャンニャンは得意げに言った。

「さようでありんしたか、ぬっしの記憶力はまことたいそうでありんすな」

 この言葉から察するにニャンニャンなる人物は、屈強な体と怪力に付け加えて記憶力にも定評があるらしい。出だしの長い台詞で情景の説明がすっとんでしまったが、ここはどうやら化粧室……というより楽屋のような場所である。業界の言葉を借りるのであればメイクルームとでも言うのだろうか。

「おはよーざーす」

 お菊とニャンニャンとの会話が一区切りするのを待っていたかのようなタイミングでサキが入ってきた。念を押しておくが、彼がサキだというのはわたしの勘である。サキの姿は上下茶色のジャージに頭はぼさぼさの金髪。ソバカスが朝でカサカサになった肌で余計に目立っている。

「ぬっしは今起きたんかぇ!?」

「あっれぇ、なんでわかんすか」

「10人おったら10人がわっちと同じこと言わんや! あんたには女形の誇りっちゅうもんがないでありんすか」

 ポンポンと白粉(おしろい)叩きながらお菊は頬を膨らませる。

「いや、女形とかじゃねーし」

「【じゃねーし】!? どの口が言わんや!」

 ギャーギャーと喚き始める2人ですっかり盆祭りのようになった室内に次々とキャストが出勤してくる。

「おはよーさん」

 明石家が赤いワンピースで現れた。ポリシーでもあるのか、すね毛は剃らずに熱帯雨林状態である。ストッキングでさらに見るものの不快感を増幅させる魔法の足だ。

「あ、姉さん! おはようございます! 今日は何で攻めんすか!?」

 サキがお菊との噛み付き合いを降りて、明石家の元へ駆け寄ってくる。

「はっははー、今日のうちの一張羅はねぇ~……ジャーン!」

 明石家が肩からかけているボストンバックから取り出したのは【ナース服】。男が女に望むトップランカーだ。

「うっわー! いいないいなー! サキも着たいっす! 着たいっすよー!」

「え~、しゃあないなぁ~今度、持ってきたるわぁ~」

 世にも恐ろしいキャピキャピ感を部屋全体に充満させていると明石家の背後にもう一人キャストが立っていた。

「……ざいます」

「うっわ! びっくりした! あんたほんまおるならおるって言うてや! きゃりぃ!」

「……ません」

「ちゃんとハキハキ喋りぃさ! 頭の方全然聞こえへんわ!」

「すみ……」

「今度はケツが聞こえんわ!」

 この明石家のおかげでここまでのどの会話を切り取っても漫才にしか聞こえない。喋ってないと死ぬのではないかというところからこの源氏名は誰しも納得するところではないだろうか。この4人は見ての通りのニューハーフである。いや、今の言葉で言うのならば“女装家”と言うのか、ともかく分かりやすく言うなれば“おかま”の集まりだ。

「……うぃっす」

 来た。最後のおかま。

「あーママおはよー!」

 最後のおかまはおかまのボスのくせに【ママ】と呼ばれて不機嫌そうな顔になる。

「機嫌わるそー! なになに!? グロスの乗りが悪いとか?」

 サキがキャピキャピと女子高生のようなテンションで最後のおかまの回りを衛星のようにくるくると回る。次の瞬間『バチン!』という小気味のいい音と共にサキの鼻から血が花火のように吹き出した。これが世に言う【裏拳】というやつである。

「俺の! 今の格好を見てグロスの乗りとかよく言えるよな!」

 はて? このおかまはなにを言っているのかと思えば、なるほどよく見ればこのおかまはおかまのくせに男の格好をしている。

 ブラウンのレザージャケットにサイケなサングラスがピリリとアクセントを効かせたトップスの着こなしと、ブラックジーンズとREDWING、今時誰もつけないバックルが“今時付けないのに“という逆の発想でむしろクールに決めている。今の彼をみて誰が【おかま】と呼ぶだろうか。

「まっこと、これがわっちらが嫉妬に嫉妬を重ねたところで絶対に適わないべっぴんの女形になるんやなんて、まこと信じられまへんぇ」

 一足先にメイクの済んだお菊が最後のおかまに手鏡越しに言った。ここまでお読みの方はもうお察しだろうが、この最後のおかまは天河壮介。またの名をパスタ。

 またまたの名を、“BARマゼンタ ママ 織姫”という。

「おい、きゃりぃ。頼むわ」

 パスタはサングラスを外すと化粧台の前に座った。きゃりぃは、……ああ、そういえば地味だったので彼女の外見の説明が遅れてしまった。彼女は、七分丈のGパンに少し背の高めのパンプスにこれまた七分丈のロングTシャツに裾の短めのベージュのジャケット。すこし派手めのシルバーのドクロを反対にしたネックレスと、この面々の中では実は一番女性らしい格好だった。きゃりぃのファッションチェックも済んだところで話を戻そう。

 パスタがきゃりぃに『頼むわ』と言ったのは、彼女は元プロのメイキャップアーティストだからだ。

「今日も魔法を振りまいてくれるんすね!」

 サキが鼻から血を流しながらキラキラと目を光らせてその作業を見守る。

「……ゃあ、今日もいつもとおんなじ感じでいいですね」

「ああ」

 パスタが椅子に腰かけて目をつむる

「……ぁ、先に着替えてもらったほうが……」

「ん、ああ、そうだな」

 パスタはそういうとクローゼットからヴァイオレットパープルのドレスを取り出すとその場で着替え始めた。

「ちょっと! ママ、男じゃないんだから更衣室で着替えてぇな!」

「俺は男だ」

 既に半裸になっているパスタに向けて明石家が恥ずかしそうに(だが顔は笑っている)言うが、パスタは平然と返す。

「だがまぁ、お前らに見詰められながら着替えるのは確かに癪だな」

「じゅるり」

「……おい、誰だ今唾を飲んだのは」

 洋服屋にある試着室のような更衣室に入ると、パスタは勢いよくカーテンを締めた。ガサガサと衣擦れの音を漏らしながら思い出したようにパスタが口を開いた。

「ああ、そうだ。“シアン”の仕事が入ったぞ」

 勢いよく締めたカーテンが開く。丁度パスタがシリコンを胸に詰め込んでいるところだった。

「ななな、なんやてぇ~!!」

 カーテンを開けたのは明石家だった。『ボゴッ』という鈍い音が響いたかと思うと、その場で明石家が膝から崩れ落ち、つんのめって倒れた。

 再びカーテンを締めると次に「それで、今夜閉店後に“ミーティング”だ。当然、“オーナー”も来る」と締めくくった。

「……~~っ!!」

 室内はなんとも言えない空気になった。明らかにこれは楽しい空気ではない。551があるときとないときとでいうのならば、これは確実にないときの空気だ。

「そういうわけだから、今日の営業中に飲むのはほどほどのしとけよ」

「ニャンニャン!」

「ニャンニャンうるさい!」

 少しして綺麗なヴァイオレットパープルのドレスに豊満な胸(シリコン)でパスタは更衣室から出てきた。そして、先ほどの化粧台に座ってきゃりぃに続きを促した。きゃりぃは前述の通り、元々はメイキャップアーティストだったのだが、更に以前、違うキャリアを持っていた。それがいったい何なのか、まもなくご披露頂けるかと思うのでもうしばらく見守っていて欲しい。

 「毎回思うが、本当に自分の胸ながら本物にしか見えないな」

「……なことは(いえ、そんなことは)」

 パスタのシリコンをブラに無理矢理詰め込んだ豊満な胸はきゃりぃの腕によって、誰がどうみても本物の胸にしか見えないほどのクオリティに仕上がっていた。触れれば触れた力の倍ほど弾き返してきそうな弾力を思わせる、完璧な女性の胸。これを人工的に作り上げるのがきゃりぃのもう一つの顔。

 ――元・“特殊メイクアーティスト”。

 年齢は不詳としているが、オーナーからの話によれば、過去にハリウッドで特殊メイクを担当していたそうだ。それがなぜこんなところでニューハーフ嬢をしているのかという疑問はまた後日としよう。手際よくメイクを進めていくきゃりぃによってパスタの顔はみるみる女性の顔になってゆく。パスタは元々、中性的な顔つきをしており、女性向のメイクを施すことで絶世の美女になってしまう。普段は【化け物屋敷】として名を馳せているこの『BARマゼンタ』だが、パスタのおかげでその汚名を返上している。

 そして――、

「……たよ。(はい、できたよ)」

「ん、さんきゅ」

 鏡に映っているのは、どこかの国の姫のようだった。彼の源氏名は本名の【天河】とこのお姫様のようなルックスとかけて【織姫】とお菊が名付けた。そう、今目の前にいるこの人物はパスタでも天河でもない、“織姫”なのだ。そしてその人気を更に裏付ける特技が【彼女】にはあった。パスタが何度か軽く咳払いをし、『まー、まー』と声を裏返らせる。そして、一呼吸して言う。

「さぁ、みんな。今日も頑張ってお客様に尽くしましょうね」

 この声。彼は幼い頃からの特訓の成果で、女性の声を出すことが出来るのだ。この美しさと、この女性声。ここがニューハーフバーでなければ誰一人として、彼を男性だと見抜く人間はいないだろう。

『はい、ママ!』

 パスタはニッコリと笑った。マゼンタママ 織姫の出勤である。

 地面には無数のタバコの吸い殻と、缶コーヒーやコンビニ弁当の残骸が散乱している。

 大げさでなく【散乱】しているのだ。

 翌日の朝には、サラリー族が群れをなして通勤ラッシュにタスキを託す頃、不思議と綺麗になっている。だがこの0時を過ぎた頃のこの街の通りはご覧の通りである。それだけ人がこの狭い界隈でひしめき合っているということの証明でもあり、それほどの数の人間がさようならを言えずに彷徨っている足跡でもある。

 夜に生きる人間というのは、そんなカテゴリーの人間でなければならない。かの有名なあの御大も、カリスマ的なあのミュージシャンも、誰もがこの虚しい夜の空気を知っている。知っていなければ、人はゴミにもダイヤにも成れないのだ。今日もまたそんな寂しい夜を歩く夢遊病者達に紛れて、その人物はいた。

 前述通りが世の理であるのならば、間違いなくこの人物も“ゴミ”、或るいは“ダイヤ”であった。残骸のアスファルトを少し低めのヒールで埃を蹴り、【誇り】を舞い上げて颯爽と夜の風を十戒のそれのように割りながら。

 美しきタップダンサーを舐めるようなカメラ―ワークで果実のように張った美尻から、真さらのキャンパスのような背中に影を作る肩甲骨、蚕がその身に絶望を宿したかのような漆黒の中にも黄金の艶をゆるやかなリズムで反射させる長い髪。

 彼女の回りを照らすステンドグラスのようなネオンはここが魔界かはたまた教会か曖昧にさせる説得力を持っていた。

 彼女を横切った後には神に祈るかのように呆けた男どもがその場に茫然と立ち尽くした。

 ファーのついたマーブル模様のよくある毛皮のジャケットに、マゼンタカラーのワンピース形のドレス。ケバケバしいアクセサリーは一切なく、その“神”が如何に素材のみで究極を掴んだのかが、嫉妬を超えた境界線で揺らめいていた。

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