第26話 ベントラ・ベントラ・スペースピープル

【まだ田んぼの真ん中の宵入り】

 さて、と一頻り戯れた二人は、目の前にぐんと伸びる砂利道を見る。

「てかさ、おれは一つ言いたい」

「なぁに?」

 睦千ははぁー、と大きく息を吐きながら相槌を打つ。

「今まで勝手にやってきたのに、お互い過去のことになった途端、めっちゃ慣れない気を遣い始めたわけ。昔の事ばっか考えて、過去と今を繋げる作業を疎かにしてたと思うわけ。おれたち、昔の最悪なできごとがなかったら今一緒にいないよ」

「……もうちょっと簡単に言って?」

「おれたちは今を大切にするのがいいよねーって話」

「把握」

「把握してないよ、睦千は。おれたち、過去も未来もあるけど、結局、もがけるのも変えられるのも今しかないじゃん」

「未来は変えられるっていうキャッチコピーは信用してないんだ」

 睦千が面白そうに訊ねる。

「能天気に未来は変えられるんですよって言われると、昔からむかついてたなーって思ってさ。先の事考えてもしょーがないよ、考えたってその通りに行くとは限らないし、どうせは諸行無常、今のベストが未来のベストとは限らないわけ。おれなんて、昔は偏差値高い大学に行くのがベストだと思っていたけど、行ってないし、行ってない事に非常に満足しているわけ」

「つまり?」

「今を大切にする事以上に、未来の自分のためにできることってなくね? ってこと。未来のためとか御託言ってんじゃねーって感じ」

「よ、見事な演説」

 ご清聴どーも、と青日は返すと、じゃ今を考えますか、と睦千は立ち止まり、いつもの考える姿勢になった。軽く指を絡めた格好、気取った睦千らしい姿に、青日はふふん、と心の中で胸を張って笑った。

「もう一度整理すると、ボクたちは宇宙人の怪を追いかけていた」

「そーだね」

「追いかけて祠の中に入ったら、アリスよろしく別世界に」

「波多野小羽留が生きている世界ね」

「それで、ボクは見慣れない映画館が突然現れたから入ってみた。そしたら、突然、シアターの椅子に座っていた」

「だから、祠の扉、映画館のドア、アブダクションの扉みたいなのがここにもあるかもって事?」

「そう、どこでも異世界ドアー、みたいなのが」

「散々ループしたけど、そんなのなくない?」

「まあね」

「怪しいのはあのお稲荷さんだけど」

「最初が祠だったし、まあ、一番怪しいけど……でも、何にもなかったし……」

「実は、バス停で待ってたらバスが来る、とか」

「ありそー」

 睦千はむぐむぐと指を動かし、だとして、と続ける。

「じゃあ、いつ来るのって話じゃない? 単純な時間経過?」

「てか、今日何日だった?」

「八月二十日だったけど」

「なら時間経過もありかー」

「打つ手なしってこと? 最悪、面倒」

 睦千はだらりと手を下ろし、はー、と暗くなってきた空を見上げた。

「スッキリしない、納得できない、大団円で終わりたい」

「でも、どうするのさ」

「……道以外はまだ探索していない」

「えー、リスキーじゃない? ずっと続いているように見えるだけって可能性は?」

「考えすぎだよ」

「歩いているうちにゲームオーバーは笑えないじゃん!」

「じゃあ、あの祠壊そ」

「なんで!?」

「神様でも怒らせたらなんか変わるかなーって」

「バチ当たり!」

「じゃあ、他に何かあるわけ?」

 睦千は疲れたように、やはり空を見上げて、UFO飛んでねーかなーと腹をさする。どうやら、空腹で苛立っているようだ。青日だって、もう帰りたい。昨日までの多少トンチキな日常をご所望中だ。

 というか、待って

「あ」

「ん?」

「あったよ、祠壊す前に試すべき方法!」

「何?」

「おれたち、UFO呼んでない!」

「…………うわ、マジだ」

「由々しき事態だよ、おれたち、宇宙人に会いたいと思っていたのに、呼んでいない! 会いたいと伝えてない!」

「うーわ、最悪。一番、それっぽい方法なのに、今の今まで考えなかった、ばかすぎる、へこむ」

「最近の睦千、調子悪かったしね」

「青日もそうだよ」

「ぐぅ」

「何それ」

「ぐうの音」

「じゃあ言い返して」

「……ぐぅ……」

「負けを認めな、青日……ところで、青日はUFOの呼び方知ってんの?」

「……睦千は?」

「なんか、きいた事あったけど、忘れた」

 なんだっけなー、と睦千はまたフラフラと歩き出す。

「とりあえず、手でも繋いで回ってみる?」

「なんで?」

 青日は少し驚きながら尋ねる。

「それっぽいから?」

「まあ、それっぽいかも?」

 首を傾げながら、とりあえず差し出された睦千の両手を、それぞれの手で握る。大きいけど白くて薄くて細くて、見かけの割に熱い睦千の手を握って二人で輪を作った状態だ。そして、ゆっくりと回る。視界の中心に睦千、周囲の景色だけが回って、メリーゴーランドみたいに思った。

「目ぇ回るー」

 ゲラゲラと笑いながら青日が叫ぶと、睦千もアハハと笑う。

「バターになっちゃう」

「バターになって溶けちゃう前にUFO呼ぼうよ、なんか呪文ないの?」

 なんだっけなぁー、と睦千は斜め上を見上げる。

「弁当、弁当みたいな感じだった気がする」

「絶対ちげー! ハロ、ハロー、こちら八龍の住民ー、とかの方が来るんじゃない?」

「ハローハローコンニチハ!」

 きゃはは、と笑う。ふざけた状況に笑い声が溢れて止まらない。睦千もお腹減ったーと言いながら回る。

「帰ったら何食べる?」

 ふと、睦千がきいてくる。青日はうーん、と考えた。珍しく、ちゃんとお腹が減って、いっぱい食べられそうな予感がしていた。

「せーので言おうよ」

「違うの言ったら?」

「じゃんけん」

「よし……よし、決まった」

「えー待って待って……うん、決まった」

「じゃあ、せぇーの」

 睦千の気の抜けた掛け声に合わせて、青日は口を開く。

「みんみんの餃子定食」「みんみんの餃子定食!」

 おや、と回る二人の足が止まった。足は止まったけれども、手は繋いだままだった。

「一緒だ……」

「なんか、この感じ、久々」

 睦千が呆然として言う。青日もこくこくと頷いた。離れていたりギクシャクしていたり、睦千と話しているはずなのに、ラジオと話しているみたいな周波数が違っていたズレが、「みんみんの餃子定食」の一言で、空間も時間も飛び越えて、フェイス・トゥー・フェイスの「あーこれよこれ」感に。初めてじゃないはずなのに初めてじゃない感覚、七月の初めに飲む今年最初のラムネのおいしさみたいな、初めて聞く歌が妙に懐かしいと思ってしまった時みたいな、ふと見た時計が十一時十一分を示していた時みたいな、世界とおれの目のピントがようやく合って、ふいに視界の発色がよくなった感じ、いや、やっぱり鼻詰まりが開通した時のあの感覚かもしれない、とにかく、しっくりさと新鮮さがおれたちの五感とあるかもしれない第六感へと襲った。

 それは睦千も同じらしく、ぽけっと口を開けながら、すん、と鼻を鳴らした。

「なんか、マジで泣きそう、そんな事ないけど」

「全米が泣いた!ってやつ?」

「疲れすぎかな、食べたいものが被っただけで、迷子の犬が飼い主と再会したのを見た時ぐらい感動している」

「めっちゃ感動しているじゃん……おれもだけど。そういうので泣いた事ないけど」

 思わず、睦千の手をぎゅっと握ってしまった。感動映画で泣いた事は、今のところ記憶をひっくり返してもなかった気がするけど、今、うっすらそんな映画の、そんなシーンで泣く登場人物の気持ちは分かった気がする。

「帰ったら行こうよ、みんみん」

「行くに決まっているじゃん」

 睦千は力強く頷いた。無駄に自信満々な相棒の顔に、洗濯物の気持ちってこんな感じなのかもと、突如、青日は思った。ぐちゃぐちゃにされて、洗われて、ぶん回されて脱水されて、それからぐっと伸ばしてお日様に当たる、その日始まりの太陽や、柔らかい日差しに当てられて、服は心なしか生まれ変わったように見える時がある。青日と睦千の間にある「関係性」と名前のついた糸みたいなのも、きっと、今お日様に当てられたのだ、なんてメルヘンでロマンチック。

 日が沈みつつあるのに、目の前はパッと明るい。目の奥が痛くなるほどに明るく見える。いや、ほんとに眩しい。感情が昂ってとかじゃない、白くて強い光が二人の真横から彗星の尾のようにまっすぐ突き進んでいる。

「何!?」

 青日が叫ぶと、睦千は分からないと叫び返して、青日の手を離し、サングラスをかけた。それでも焼石に水のようで、睦千は眩しそうに眉を歪ませ、何も見えないと言った。青日は目を固く閉じ、周囲を警戒する。警戒していると、腰の辺りに何かがギュッと巻き付いた。

「ぎゃっ」

「ごめん、離れないようにウィッピン巻いた」

「先言って」

「ごめんって」

 そうこう言っているうちにどんどん光は強くなる。さすがの青日もなんか死ぬのかもしれないと頭の中でちらと思った。仕事柄、誰かの死の場面に立ち会ってしまった事はあるが、いざ、それが自分に降りかかった今、青日の頭には死に対する恐怖が普通にあった。こんな奇怪病を持っていて、日曜日は死にたくてしょうがないのに、今はそんなのふざけていると思っていた。ようやく睦千と仲直りできたみたいなのに、お腹減っているし、やりたい事まだあるし、見た事ない青色だってあるだろうし、もう少しだけこの世を楽しみたい気分だったのに! ここで死ぬなんて、クソみたいな打ち切りエンドだ。

「どうしよう!」

 青日は睦千の腕にしがみついた。

「慌てなくて良いよ。死にはしないだろうし」

「マジで言ってんの!?」

「マジマジ。ボクの奇怪病を信じなって」

 怯える青日に対して、睦千は落ち着いていた。落ち着いて引っ付いてきた青日の肩を抱く。こういうところだよ、と青日は内心呟く。こういう事、さらっとしちゃうから変なのに目ぇ付けられるんだ、映画スターかよ、そしておれはヒロインかよふざけんな、睦千のせいだ、今回のもきっと睦千のせいだ! ビバ・八つ当たり!

「なんか来る」

 睦千の手が青日の肩に食い込んだ。青日は、どうして良いのか分からなくなって固まる、お手本みたいなパニックってやつ。眩しいけど目を開けた。見上げると、白い光の中で一層輝くプラチナブロンド。この世全てのどんな輝きにも屈しない白金が、吹き殴る風の中、馬鹿みたいに光り、暴れている。青日はその光に手を伸ばし、がしりと掴む。柔らかい髪が指に絡みついて、睦千がイテと声を溢す。日常が手の中にある、だから平気、と青日は眼球が焼ける痛みに耐えながら、光源へと目を向けた。そこには黒い影、形はまさに例の宇宙人だった。青日は、睦千を呼んだかどうか、白い光に脳味噌を照らされ混ぜられ、とんと意識と記憶が定かでなくなる。それが気を失っていたと気付くのは、目が覚めた体感数時間後のことである。


「良き奇跡を見せてもらった。では、新たな惑星ほしの奇跡を願って」




【八龍:中華飯店みんみん】

「はぁい、お待ちどうさま、餃子定食が二つと、唐揚げね」

 夕方の中華飯店みんみんは仕事終わりのおじさんと部活帰りの中高生で賑わう。傷だらけのテーブルと擦れた座面の椅子、油っぽい壁には短冊に達筆で書かれたメニュー、床は割と綺麗で、カウンターの奥のキッチンは大体いつも中華鍋と鉄板の音で騒がしい。家から程近く、程よく汚く、料理が美味い店は睦千のお気に入りだ。

 奥の二人席に通された二人の元にみん姉さんが膳を二組持ってくる。スラっと細いがちょっと筋肉質、骨ばって喉仏もあるが、「みん姉さん」なのだ。薄化粧の顔は東洋の美人風で、オンボロの中華屋を華やかな雰囲気に変えている、掃き溜めの鶴ってやつ。そんな雰囲気が睦千と少し似ていて、そのせいか、睦千はみん姉さんに懐いているようだった。

「あ、姉さん、ビールもう一本お願い」

「はいはい」

 睦千が空き瓶を渡しながらみん姉さんに追加注文をする。それを持ったみん姉さんが立ち去ってから、青日は睦千の茶碗に自分の茶碗に盛られた白米の三分の一ほどを移した、ビールと白米は一緒に食べられないタイプなのだ。睦千は増えた白米に何も言わずに、いそいそと醤油と酢とラー油を小皿で混ぜていた。

「じゃ」

 二人で手を合わせて、いただきます、と声を揃える。それからパリパリに焼かれた餃子に手を付けた。この場でマナーとか知ったこっちゃない、焼きたての餃子をすぐに食べない方が失礼という判断。野菜と生姜が多めのさっぱり系の餡と裏腹のもっちり分厚く小麦の香ばしさがパンチの皮、これが醤油に合う。普段は酢胡椒で餃子を食べる青日もみんみんの餃子は酢醤油にラー油が一番美味いと思っている。あち、と言いながら一口で食べると、野菜の甘さと豚肉の旨みが溶けた汁が口の中でいっぱいになる。向かいの席の睦千は、わし、と箸で米を掴み頬張る。マジでほっぺが張っている。それもしょうがないか、と食い道楽の相棒の幸せそうな顔を見ながら、卵スープを啜った。

 白い光に包まれ、気を失った二人を見つけたのは萩和尚こと昇市だった。本部の裏の路地で仲良くぶっ倒れていた二人のそばに、例の宇宙人がいたらしい。おや、とささっと浄化した、と言うのが今回のオチ。本部の医務室で目を覚ました睦千と青日は、盛大にごねた。スッキリしない! 解決していない! と布団を叩き、枕を投げ合ったのだ。

「でも、あの宇宙人の怪、消えかかっていたぞ」

「消えかかっていた?」

 枕を投げようとしていた睦千は、昇市の言葉にピタと動きを止める。昇市はどかりと丸椅子に腰掛け話す。

「欲望が満たされて満足している怪だな。邪の気がなくなっていれば、そのまま消えるから放っておくんだが、邪の気が残っていれば、また次の欲望を満たそうとして更に暴れるから祓う」

「宇宙人は邪の気が残っていたって事?」

「そうだな。でも、まー、大人しかったもんよ。ぶっ倒れているお前らの横で体育座りしていただけだったしな」

「そんなのもあるんだ。睦千知ってた?」

「初耳」

「調査方にはあんまり教えてねーからな。教えたって、意味がない」

 おん? と睦千が枕の標準を昇市のスキンヘッドに定めた、馬鹿にしたかこの坊主。対して昇市は、平然と説明をした。

「消えかかっている邪の気がない怪は、お前らには見えない。呪方だけだ。そういう怪は、最早、残像みたいなもので、気配と大して変わらないんだ」

「……それなら、知ってても知らなくても変わらないね」

 確かに、と睦千は構えた枕を降ろしたのだった。それから、帰ってよろしと言われて二人はてくてくと中華飯店みんみんに向かい、今に至る。

「ていうかさー」

 半分ほど食べ進めた睦千が不意に声を上げる。

「ボクたち、一日しかアブダクションされていなかったってさー、いまだに信じられないんだけど」

「それな」

 青日は唐揚げを持ち上げながら答える。さっぱり系餃子を出す店のくせに、唐揚げはにんにくが効いたガッツリ系、白米にもビールにも合う若さの味方みたいな唐揚げである。

「おれ、気分は九月だよ。こっからまた一ヶ月もあっつい季節を過ごすなんて、無理かもしれない」

 そう言いつつ唐揚げを齧る。うん、がつんとにんにく、夏の夜の味がする。そんな後味をビールで流して、ふう、と一息。

「でも、今日は八月四日らしいよ」

 睦千はそう言って餃子を口に入れると、すぐに白米を一口。相変わらず、一口が豪快である。

「あー日付感覚バカになってる!」

 いらいらするー! と青日も残り少なくなっていた白米をかき込む。普段はお行儀悪いからしないけど、たまには青日にだってご飯をかき込んでしまいたい夜があるのだ。茶碗を空にして、餃子の最後の一個も一口で頬張り、卵スープも飲み切る。付け合わせのキャベツと人参のサラダをしゃくしゃくと咀嚼しているうちに、頭に上っていた血が落ち着いていく。

「まあ、どんだけ騒いでも、今日は八月四日で、明日は八月五日だもんね」

「そうね」

 睦千もいつの間にやら餃子をあと一つ残すばかりとなっていた。その餃子を持ち上げ、タレに付けて、やはり一口。丁寧に咀嚼して飲み込むと、ビールを一口。そして、口を開いた。

「杏仁豆腐、食べない?」

「……まだ食べんの?」

「お酒飲むとお腹減らない?」

「……減らないよ」

「え、減らない?」

「多分だけど、普通減らない」

「……アルコール分解するのに色々使うじゃん」

「少なくともおれは減らない」

「……初めて知った……」

「おれも睦千がそこまで胃袋に身体を乗っ取られているとは思ってなかったや……」

 あははははは! と二人で一緒に笑い出す、くっそどうでもいいわ、んな話! ひとしきり笑い終わると、睦千は一つ残っていた唐揚げを貰うねと掻っ攫い、青日は残っていたサラダを食べ切った。

「……甘いの食べたいし、おれも食べようかな、杏仁豆腐」

 ん、と唐揚げを頬張る睦千は親指を立てる。青日はグラスに残っていたビールを飲み干した。

「下げるよ」

 すいっとやって来たみん姉さんが空いた食器を持っていくついでに追加注文をすると、ふ、と鼻で笑う。

「相変わらず、よく食べるねぇ」

「食べっぷりが良いってよく褒められる」

「はいはい、よく食べれて偉いねぇ。飲み物はなんかいる?」

「おれ、ウーロン茶ほしい」

「青日はウーロン茶ね、睦千は?」

「ウーロンハイ」

「ここで吐くなよ」

「吐かない」

 はいはい、とみん姉さんは軽々と積み上げた食器を持って、キッチンへと戻っていく。

「……暴飲暴食じゃない? さすがに」

 静かな声で青日が嗜めると、睦千は別に、と呟く。

「平気。なんか、むしゃくしゃしているだけ」

「……おれもだよ」

「だから、いっぱい食べたの? 珍しいじゃん、ビールと定食、一緒に食べるの」

「それもあるけど……」

 青日は口籠る。イラついていたし、お腹も減っていた。でも、今、本当は杏仁豆腐まで食べ切れる気はしていない。ただ、睦千が一人で食事を続けるのを見ていたくなかった。抱え込んだ何かを飲み込むために、食事をしようとしているのを放っておけなかった。

「おれ、睦千と一緒だと、いつもよりご飯食べれるんだよ」

「ボクと一緒じゃないと、もっと少ないって事? そのうちぶっ倒れていたんじゃない?」

 ケラケラとほろ酔いの顔で笑う。

「だから、今、すっごい健康だなって思う。だから、睦千と一緒に食べたいんだよ」

 睦千は真顔になって、右人差し指で青日の頬をつついた。

「……なに?」

「いや、酔っているのかなって思って」

「睦千の方が酔っているよ」

「……酔ってないよ、なんか酔えない」

 青日の頬から指を離した睦千は、椅子に深く腰掛ける。

「……あの宇宙人、奇跡を見せてもらったって言っていたじゃん。それをずっと考えていた。あれが、何に満足していたのか」

「うん」

「単純に、ボクたちの事を奇跡だと言ったんだと思う。ボクたちが出会った奇跡。ボクたちがそれを奇跡だと認識して喜ぶ、映画のハッピーエンドみたいな光景見て満足した」

 それが、ムカつく。睦千は腕を組んで呟いた。

「……なんか、分かるよ、それ。見せ物になるのも、誰かに奇跡だって言われるのも、嫌だ」

 そりゃ、おれと睦千が出会ったのは奇跡だろう。奇跡だけど、他人に言われるのは違う。だって、おれたちがどうやって過ごしてきたのか、みんなは知らないだろう。上辺だけ見て、奇跡だって言うな、簡単に奇跡を見た気になるな、この奇跡はおれたちだけのものだ。

「ちょっと覗き込まれて、摘み食いされた気分」

「そうね、怒ったって、もうどうしようもないのに」

 睦千はグラスに残っていた温いビールを飲み干した。

「青日が一緒に怒ってくれて、嬉しいよ」

「睦千がムカつくってちゃんと言葉にしてくれたからだよ」

「なんだそれ、てれくさ」

 困ったように眉尻を下げ、八重歯を見せて睦千はほころぶ。そうしていると、みん姉さんが杏仁豆腐と飲み物を持って来て、なんだこれ、と呟いた。

「初デートの中学生でも、もう少しナチュラルよ」

「うっさいよ、姉さん」

「はいはい」

 面白がったような顔のみん姉さんが立ち去って、二人は徐にグラスを持つ。

「仕切り直そ。乾杯だ、乾杯」

「よし、杏仁豆腐に乾杯!」

 かんぱーい、とグラスを合わせて、一口。睦千の視線がうろちょろと宙を彷徨って、もう一口。それから口をへの字にしながら、グラスを置いて一言。

「…………姉さん、薄くしやがった……」

「親切じゃん、あ、杏仁豆腐おいしー」

 わざとらしく不貞腐れた睦千を見ながら、青日は杏仁豆腐を食べた。食べれないかも、と思っていたけれども、甘い物は別腹だった。睦千もまいっか、と杏仁豆腐を微笑みながら食べていた。

 杏仁豆腐を食べ終わって、会計を済ませると、青日は家に帰る睦千に腹ごなしだなんだと適当に言って別れて、八龍の夜を歩いた。嗅ぎ慣れた街の香り、小羽留がいた八龍とは違う香りがする。あっちは少し甘めの香りで、シナモンとペッパーが足りないような香りだ。八龍のこってりまったりピリとした匂いに帰って来たんだなとしみじみと、しかし足取りは迷いなく、目的地に向かっていた。

 迷いない青日が向かったのは蓮華殿、扉を開け中に入ると、いつも通り、李矢はパンダを転がしていたし、丈は笹を猫じゃらしのように使い、李矢のパンダと遊んでいた。

「おー、青日じゃねーか、久々に見たな、てか金貸せや」

「いい加減、お前はパチンコを止めろ」

「勝ってきただろーが、今日は」

「青日、貸さなくていいからな……どうした?」

 李矢が何か思い詰めたように無言の青日を気にかける。それに釣られて、およ、と丈も青日をじっと見た。

「……強くなりたい」

「お?」

 丈は遊んでいた笹から手を離す。その笹をパンダは転がりながら貪り始めた。

「おれ、強くなりたい」

「具体的には?」

 李矢は普段と変わらない隙のない佇まいで尋ねる。

「睦千に頼らなくても、奇怪病をコントロールしたい。日曜日に、勝ちたい。あと、奇怪病の解釈も広げたい」

 青日はもう一度繰り返した。

「強くなりたいんだ、おれが」

 開いた窓から風が吹き込む、夏の熱気を残した熱い風だった。

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